2021年09月15日号
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artscapeレビュー

我妻恵美子『肉のうた』(大駱駝艦・壺中天公演)

2014年10月01日号

会期:2014/09/13~2014/09/21

壺中天スタジオ[東京都]

最初の約30分くらいまでは、わくわくしてみていた。冒頭の秀逸なこと! 幕が開くと、少し傾いた壁がさほど大きくはない舞台を占めていて、5人の女たちがほとんど裸という出で立ちでその壁に寝そべっている。女たちはサランラップなのか透明のビニールに包まれている。その様は、スーパーで売っている肉のパックにとてもよく似ていて、薄気味が悪くしかしエロティックだ。少女たちを食らう会田誠の絵画を連想させる。主体性を奪われた、肉としてのみ存在価値を認められている女たち。白塗りの肌にビニールの輝きが重なる。ここと、そのすぐ後に、赤い網に吊るされた4人の女たちの前にあらわれた異形の怪物の場面は、ともかく惹き付けられた。怪物は毛むくじゃらの棒状の体で、棒の下部に我妻恵美子が入っているのだけれど、愛嬌ゼロのグロテスクな着ぐるみが、囚われた女たちの周囲をしばらく徘徊するその様といい、女たちとの関係性といい、妄想性に溢れていてその後の展開に期待を抱かせるのに十分だった。ただ、この毛むくじゃらの怪物から我妻がすぽんと産み落とされると、舞台はそれまでみたいには転がらなくなっていった。ビニールに包まれていた5人の女たちと赤い網に吊るされた4人の2組は、交代で群舞を踊る。その踊りはそれぞれエロティックでクレイジーでコミカルで、壺中天公演らしい質がある。ただ、その群舞と我妻との関係がぼくには簡単に把握できなかった。故に曖昧に映った。転がらなさの原因はそこにあるように思われた。我妻はその場を仕切る女王的な存在にも見えるが、その場から疎外されている傍観者のようでもある。ほぼでずっぱりだった我妻に舞台上で誰一人つっこみらしいことをしないのが気になった。自由なのだが、そのぶん不自由にも見えた。男性ばかりの壺中天公演では嬉々としてぼけたり突っ込んだりしているのとは対照的だ。女性ばかりの空間において「ぼける」「つっこむ」とはどんな意味があるのか、あるいはそもそも意味がないものなのかどうなのだろう……などと考えながら吉祥寺の帰路を歩いた。

2014/09/19(金)(木村覚)

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