artscapeレビュー

2014年10月01日号のレビュー/プレビュー

太田三郎 個展「POST WAR 69 戦争遺児」

会期:2014/08/11~2014/08/23

コバヤシ画廊[東京都]

「切手」で知られる太田三郎の個展。タイトルにあるように戦争遺児たちの肖像の切手作品を発表した。
それぞれのモノクロ写真と名前、そして戦後69年の「69」が記されている点は共通している。異なっているのは、切手シートの下欄に書かれた個人的なエピソード。太田が彼らに取材した内容が短い文章で的確にまとめられている。
心ならずも戦争遺児として戦後を生き抜いてきたそれぞれの歴史。そこには陰惨な差別への憤りや親の愛への渇望、戦争への憎しみが凝縮している。なかには、現在の悪化する日中韓関係や集団的自衛権の是非について言及している者もいる。当人の顔が切手に印刷されているので、あたかも当人がこちらに語りかけているように錯覚するほどだ。戦争体験者の声が、切手に載せられて、こちらに確かに届けられているのだ。
興味深いのは、この作品において太田本人の作家性が最小限まで切り詰められている点である。太田は、特定の彼らの声を特定のあなたへ届ける媒介物としての作品をつくってはいるが、しかし、制作者としての存在を主張しているわけではない。むしろ、両者の関係性を演出しつつも、両者が交通する瞬間には身を隠す、いわば「消滅する媒介者」なのだ。
歴史という関係性は途切れやすく、傷つきやすい。戦争遺児に関わらず、戦争体験者の声が届けられる機会は希少である。そのとき、アートに可能なことは限られてはいるが、太田の作品はひとつの有効なモデルを示した。

2014/08/21(木)(福住廉)

旅行記[前編] 佐藤貢 出版記念展

会期:2014/08/27~2014/09/07

iTohen[大阪府]

廃品や拾得物などを組み合わせて、詩情豊かなジャンク・オブジェをつくり上げる佐藤貢。彼の場合、作品もさることながら、その生き方自体も魅力的である。20代のアジア放浪から、帰国後の和歌山移住、そして現在の在住地である名古屋まで、佐藤の行動は常に捨て身の直感に従っており、その都度の出会いを肥やしにして作品世界を成長させてきた。まるで彼自身が強力な磁場であるかのように、人と素材と場が引き寄せられていくのである。そんな佐藤が、アジアでの放浪旅行の前半部を綴った自伝『旅行記』を出版し、その記念として個展を開催した。作品はオブジェが中心で、ドローイングと平面作品が少々。作風に大きな変化はないが、廃品のガラス瓶(液体入り)の多用が目立っている。自伝出版を機に、彼への理解が劇的に深まる可能性がある。後編の出版と次の個展が待ち遠しい。

2014/08/27(水)(小吹隆文)

再燃焼展

会期:2014/08/26~2014/09/06

MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w[京都府]

家庭で不用になった量産陶磁器を回収し、古民家の解体素材を燃料にして窯で再焼成したものを、作品として展示している。昨年に続く2度目の展示だが、前回と異なるのは実用に耐えうる品が少なからず含まれる点だ。以前の作品は異形の美というか、再焼成により絵付けや本体に生じた予測不可能な変形を愛でる意味合いが強かった。要するにオブジェである。しかし今年の新作のなかには、一見の者が事前説明なしに見ても実用品と呼べるものが幾つかあった。このプロジェクトが目指すゴールがどこなのかは不明だが、技術的向上により選択肢が広がったことは歓迎すべきだ。

2014/08/28(木)(小吹隆文)

中島麦 BECOME THE RESIDENT of KITAHAMA N BLDG. produced by infx

会期:2014/08/01~2014/08/27(予約制オープンアトリエ)、2014/08/28~2014/08/31(オープンアトリエ)、2014/09/01~2014/09/15(アトリエ展示公開)

KITAHAMA N BLDG.[大阪府]

画家の中島麦が、大阪・北浜の商業ビル地階の空きテナントに自身のアトリエを一時移転させ、1カ月半にわたりオープンアトリエと公開制作と作品展示を行なった。何もないまっさらな空間に画材や備品が持ち込まれ、日々制作を積み重ねるうちに、壁面には作品が、床には絵具の染みが広がっていく。一作家の創造の過程をこれほど長期間にわたり公開するケースは稀であり、場所が交通至便な大阪市内中心部だったことも幸いしたのであろう。入口付近の壁面は来訪者がサインを記したカードで埋め尽くされ、多くの人に支持されていたことが窺えた。と言っても、事前に大々的な告知を行なったわけではない。SNSによる口コミの輪が徐々に広がっていったのだ。このイベントの成功を機に、大阪市内中心部で同様の催しが広まることを期待する。

2014/08/28(木)(小吹隆文)

デス・プルーフ in グラインドハウス

会期:2014/08/23~2014/08/31

新橋文化劇場[東京都]

名画座がまたひとつ消えた。JRの高架下に軒を連ねる新橋文化劇場・ロマン劇場が2014年8月31日をもって閉館した。終戦後の1950年代の開館以来、客席わずか81の小さな空間で上映される35ミリのフィルム映画を求めて、多くの来場者が訪れてきた。入れ替え制を採用するシネコンを尻目に、入場料900円で一日中過ごすことができるのも、人気のひとつだった。
最終週を飾ったのは、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』(1976)と、クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)。いずれも、この映画館を自己言及的に暗示した、みごとなセレクションである。なぜなら、前者において不眠症に悩まされる主人公が夜な夜な通い詰めるのがポルノ映画館だからであり、後者の「グラインドハウス」とはB級映画館を意味しているからだ。それゆえ、来場者は映画の内と外をリンクさせながら、映画館で映画を鑑賞することの醍醐味を存分に味わうことができた。
とりわけ、すばらしかったのが『デス・プルーフ in グラインドハウス』。耐死仕様の車を使って次々と惨劇を繰り返すスタントマンの男と、その刃に襲われる女たちの物語だ。小気味よい音楽と冗長な会話劇という二面性は、これまでのタランティーノ映画と変わらない。けれども、映画の終盤からはじまる女たちの復讐劇は、フェミニズム映画とさえ言いたくなるほど、突出して痛快である。両手を突き上げて勝利を喜ぶラストシーンには、誰もが「どんなもんじゃい!」という熱い想いを重ねたにちがいない。
暗闇の中で見ず知らずの赤の他人と同じ映画を見るという経験。そして、たとえ一瞬だとしても、同じ気持を共有するという経験が、映画館で映画を見る最大の楽しみである。劇場がなくなった後も、この快楽は憶えておきたい。

2014/08/29(金)(福住廉)

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