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artscapeレビュー

五線譜に書けない音の世界~声明からケージ、フルクサスまで~

2017年03月15日号

会期:2017/02/26

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

京都市立芸術大学 芸術資源研究センターの記譜法研究会が企画したレクチャーコンサート。スタンダードな五線譜によらない記譜(図形的な楽譜など)をテーマに、声明(仏教の法要で僧侶が唱える音曲)と、ジョン・ケージやフルクサス、現代音楽における図形楽譜を架橋する試みが行なわれた。
第1部「声明とジョン・ケージ」では、声明の記譜法についてのレクチャーの後、ケージの《龍安寺》を天台宗の僧侶が声明で披露。伝統音楽・芸能と現代音楽、東洋と西洋の架橋が音響的に試みられた。第2部「記譜法の展開」では、現代音楽に焦点を絞り、足立智美、一柳慧、塩見允枝子の3作品が上演された。足立智美の《Why you scratch me, not slap?(どうしてひっぱたいてくれずに、ひっかくわけ?(1人のギター奏者のための振り付け))》は、ギター奏者の両手の動きを映像で記録した「ビデオ・スコア」を元に演奏するというもの。音を生み出す所作をインストラクションとして言語的に指示するのではなく、音を生み出す身振りの記録映像が楽譜として機能する。生身でなく、映像に記録された身振りではあるが、1対1で対面して「手本」の身体的トレースを行なう様子は、むしろ古典芸能の稽古・伝承に接近する。
一方、一柳慧と塩見允枝子の作品では、図形楽譜やインストラクションに従いながら、複数人がさまざまな楽器や声、身体の音を用いて同時進行的に演奏を行なう。楽譜のスタート地点の選択や音の出し方の幅は即興的な揺らぎを生み、「アンサンブル」として間合いの意識が発生することで、スコアに基づく「上演」ではあるものの、一回性の出来事に近づいていく。塩見はレクチャーの中で、「言語能力、記述の正確さが求められる」と語っていたが、指示の曖昧さを回避するそうした努力の一方で、スコアの規定のなかに、演奏者の能動的な関わりや創造的なリアクションを生み出す余白や伸びしろをあらかじめどう盛り込むかがむしろ問われるだろう。それは制限が課された中での逆説的な自由かもしれないが、記譜とパフォーマーの間にある種の相互作用や循環が起こることで、記譜が引き出す創造力が発揮されるのではないか。「五線譜」という近代音楽の制度化されたフォーマットへの疑い、オルタナティブな記譜法の開発・創造であると同時に、記譜と創造的振る舞い、「開かれ」のあり方について改めて考える機会となった。

2017/02/26(日)(高嶋慈)

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