2022年09月15日号
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artscapeレビュー

快快『アントン、猫、クリ』

2010年11月01日号

会期:2010/10/27~2010/10/30

STスポット[神奈川県]

篠田千明名義で2009年の4月に行なわれた「キレなかった♥14才リターンズ」(@こまばアゴラ劇場)というシリーズ公演の1演目として上演された作品を、快快名義で上演した今作。前回のときも感じたことだけれど、「雨、雨、雨」など、役者たちがものの名前を口にすると雨の情景が観客の心の中に自動的に広がる(広がってしまう)というアイディアは、1年半後に見直してもやはりとても新鮮だった。役者が役のセリフを喋るだけが演劇上演ではない。舞台美術というか小道具というか、そういうものが「もの」として用意されていなくても「言葉」が置かれるだけで(役者が舞台空間で発話するだけで)、観客の想像力によって舞台美術が勝手に立ちあがる。彼らがしばしば舞台風景を生み出すために用いるプロジェクターのように、観客の想像力がひとつのレイヤーとなって舞台空間を飾っている。とはいえ、ここで役者は単なる朗読者に収まってはおらず、言葉に動機づけられたさまざまな動作を小気味よく繰り出す。それはまるでダンスのようだ。と、ここまで書いて例えば「それはチェルフィッチュの『わたしたちは無傷な別人であるのか?』(以下「別人」)に似ているということか」と思うひともいるかもしれない。そう、事実ぼくは上演中、両者を比較して見ていた。とくに思い出していたのは、隣の他人が聴いていた音楽がイヤホン越しに耳に入ってきて気になってしようがなくなる、なんて場面のこと。そうした「別人」での「入り込んでくる音楽」というテーマと快快が言葉を見る者の内に差し込む振る舞いとは、とてもよく似ている。さらに、ある程度、言葉に動機づけられるのとは別の動機から身体を動かす役者の有り様も似ている。ただし、チェルフィッチュの役者たちが訓練の行き届いたテクニシャンであるのに対して、快快の役者たちは統制がきいていなくて粗っぽく個性的だ。アフタートークで篠田が役者たちをバンドになぞらえていたのは、この点で示唆的である。チェルフィッチュの役者たちはまるでクラシックの演奏家、快快はバンドマンのよう。どちらがいいとはいい難いけれど、プレイヤーの姿勢の違いが作品に与える印象は大きい。今回は他にも録音されたセリフに合わせて役者が動くとか、同じセリフを何度もリピートさせて、しかも、断続的に「停止/再生」を行なうとか、上演についてのアイディアが多数試みられていた。そのどれも極めて興味深かったのだけれど、同時に、ひたすら陳列されるばかりでそれら方法相互の関係は不明確なままであり、一つひとつの方法が際立つとその分だけ、白血病の野良猫と近所のアパートの住人たちとの交流の物語が印象薄くなってしまった、その点はなんとも残念だった。

2010/10/27(水)(木村覚)

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