artscapeレビュー

chair+(チェアプラス)展

2011年02月01日号

会期:2010/12/10~2010/12/19

アクシスギャラリー[東京都]

実験的な椅子のデザインを行なうというと、どうしても椅子の素材を、形態を、時にはその機能を変容させることを考えがちだが、この種のアプローチはもはや遣りつくされた感がある。2010年12月に開催された、デザイナー、建築家、編集者、ライター、プロデューサーのグループ「SIDE」による「chair+」展が興味深かったのは、デザイナーをそうしたジレンマから解放せしめるようなテーマ設定がなされていたことだ。そのテーマとは、「新作の椅子が存在する、あるいは存在に至ったシーンを明確に描く」ことであり、「chair+」のプラスは、デザインの契機やコンセプトを意味する。結果として、「SIDE」の各メンバーが個別のブースで提示したシーンとその椅子は、日常を思いも寄らぬかたちで切り取り、われわれと椅子との多様な関わりを炙り出す刺激的なものだった。
デザイナー・五十嵐久枝は、寝しなに子どもに読む本を積むためのベッド脇の台を、椅子に変換した。台よりも身体的なフォルムを有する椅子は、それ自身の息遣いのようなものを場に与え、背の裏にあるLEDがもたらす椅子の影もこの夢想的な生を主張する。建築家・寺田尚樹は驚くべきことに、名作スーパーレジェーラをプラモデル・キットに変容させた。宙に浮かぶ完成作とその影はもはや座るためではない、イコンとしての椅子の在り様を示すとともに、それを作者がこつこつと作り続ける壮絶な光景を想起させる。対照的に、デザイナー・藤森泰司が生み出したのは、光が差し込む白一色の朝の食卓である。シンプルな椅子のある空間は、「慌しい生活の中の“途中”」である朝のシーンを静止させ、その儚く美しい瞬間を虚構的に顕現させる。ともにデザイナーの村澤一晃と小泉誠は、日本と椅子との関係性を異なる視点から切り取ってみせた。床座用の脚付きクッションをさまざまに発展させた村澤の椅子は各々、部屋の用途を決めない日本家屋と同様、使う人や場所、用途を限定しない不思議な比率を有する。小泉は、過去の日本人が初めて経験した洋風椅子であろう学童椅子に「そり」を付け、現在の日本でもいまだ「洋風」なロッキングチェアに変容させた。デザイナー・若杉浩一に至っては、椅子はもはや人間のためではなく、「酒」のためのものだ。椅子の背は酒瓶を支えるためにあり、一杯やる人間は角材に尻を引っ掛けるのみなのだ。編集者・内田みえ、ライター・長町美和子、グラフィックデザイナー・粟辻美早の3人はメンバーの思考が詰まった展覧会ブックレットを制作し、ブースでは「本」を積み上げた。確かに「本」──グラフィック・デザインと言葉──は、デザインの発展と分かち難く結びつく媒体に違いないことを改めて認識させられる。デザインディレクター・萩原修は、ベンチ一台をブースに置いた。このベンチは、実際にデザインの対話ができる場ともなるが、同時に、本展がメンバー間の討議の所産であることの象徴ともなる。実際、「chair+」展を観て感じられたのは、椅子がいまや生活の基本アイテムであることを超え、現代の高度に発達した文化、思考の表象としてわれわれの内部に棲みつくものであり、その視座における新たなデザインの可能性がわれわれの前に広がっていることなのだ。次回展も期待したい。[橋本啓子]
写真=大森有起/photo: yukiomori

2010/12/12(日)(SYNK)

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