2019年12月01日号
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artscapeレビュー

2011年05月15日号のレビュー/プレビュー

本橋成一『屠場』

発行所:平凡社

発行日:2011年3月25日

牧場で草を食む牛の姿はよく目につく。肉屋の店先にグラム単位で並んでいる肉もすぐに目に入ってくる。だが、その間に位置するはずの屠場(食肉処理場)がどんな場所なのかはほとんど知られていない。賭場を撮影した写真や映像を発表するのがとても難しいからだ。
牛の眉間に鉄棒が飛び出るピストルを撃ち込み、昏倒させる。巨体をトロリーコンベアで吊るして血抜きした後、ナイフ一本で全身の皮を剥いていく。その後、部位によって内臓と肉に分離され、加工されていく過程はまさに熟練の職人技そのものだ。たしかに見方によっては残酷きわまりない場面の連続かもしれないが、職人たちは自分の技に誇りを抱き、その向上ぶりを競い合っている。本橋成一が、1980年代から大阪・松原の屠場に通い詰めて撮影した写真をまとめた本書のページを繰ると、この職場が人間味のある職人たちによって支えられる、熱気あふれる場所であることがよくわかる。
これまで屠場の写真を表に出すことができなかったのは、いうまでもなくそれが部落差別の問題と深くかかわっているからだ。食肉の加工は長く被差別部落民の専業であり、明治以後も隠微な形で職業的な差別が続いてきた。肉を穢れと見る仏教的な不浄観もそれを助長したのではないかと思う。そのことが、たとえ賭場の人たちの許可をきちんと得て撮影した写真であっても、展示や印刷媒体への掲載をためらわせる過剰反応を生んできたのだ。だが、時代は変わりつつある。見ないように、見えないように隠すことが、逆に差別意識を温存することにつながることがわかってきた。この写真集の刊行もその流れに沿うものといえるだろう。
写真を見ていると、屠場そのもののたたずまいが大きく変わってきていることがわかる。巨大な肉の塊が物質としての強烈な存在感を発する様が、コントラストの強いモノクロームの画像でくっきりと浮かび上がってくる。現在の「工場」と化した食肉処理場では、もう見ることができない光景だ。

2011/04/18(月)(飯沢耕太郎)

森と芸術

会期:2011/04/16~2011/07/03

東京都庭園美術館[東京都]

タイトルにそそられて行ってみた。結論を先にいうとハズレだった。おしまい。ではあまりにそっけないので、ルソーの描く素朴なジャングル画から、コローの幻想的風景画、セリュジエによるシンボリックな森、エルンストらシュルレアリスムの森の表現、川田喜久治の撮った《ボマルツォの森》まで、興味深い作品はいくつかあった。豊かな森(国立自然教育園)に囲まれた庭園美術館ならではの企画、というのもわかる。でも、日本中から森の絵(や写真)をただ集めただけという印象は否めない。森といえばゴシック建築からアンディ・ゴールズワージーまでいろいろあるだろうに。

2011/04/19(火)(村田真)

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海沼武史「八人の王が眠りに就く処」

会期:2011/04/07~2011/04/30

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

作家本人のプロデュースで会期中に「アイヌ音楽ライブコンサート」が開催されるということもあり、写真を見て最初は北海道の風景なのかと思った。そこに写っている、ゆったりとした丘陵地帯のたたずまいが、いかにもそれらしく感じたのだ。だが、聞けば撮影場所は海沼武史が住む八王子周辺だという。それで、この不思議な響きのタイトルの意味もわかった。「八人の王」というのは八王子から来ていたのだ。
その「八人の王」=八王子は、いま眠りに就こうとしている。太陽が沈み、黄昏時の紫がかった大気があたりを包み込み、家々の明かりが点灯され、空には星が瞬きはじめる。その移り行く時間を細やかに定着した写真群を眺めていると、そこに写っているのが現在の都市化された八王子ではなく、いわば太古の昔の風景であるように感じる。起伏のある地形が、より剥き出しのままあらわにされているようなその眺めは、安らぎとともにどこか怖さも感じさせるものだ。海沼がもくろんでいるのは、そんな始源的な風景のあり方を、黄昏時の光の魔術的な効果を利用しつつ、丁寧に写しとっていくことなのだろう。
1962年生まれの海沼は1996年に渡米し、帰国までの9年間、ニューヨークを中心にスピリチュアルな風景写真を発表してきた。その緻密な観察力、広がりを持つ作品の構想力が、いま大きく開花しつつある。

2011/04/20(水)(飯沢耕太郎)

Emerging Project 2011展

会期:2011/04/01~2011/04/28

新建築社1階、吉岡ライブラリー[東京都]

新建築社の吉岡ライブラリーは、平田晃久のデザインによる本の展示空間である。ひだ状のパーティションにより表面積を増やし、ほとんどの雑誌が表紙を見えるようにレイアウトしている。ヴィジュアルが重要な建築雑誌ならではの視覚を楽しめる空間だ。そのオープンを記念する「Emerging Project 2011」展では、乾久美子、長坂常ほか、若手建築家22組の模型が、書架空間のあいだのあちこちに設置された。シンプルな模型展がより魅力的に見えるギャラリーである。4月7日の出展者による座談会では、全員で東日本大震災について討議していたが、それだけに、22組のなかに東北や名古屋の建築家がひとりもいないことが気になった。ほぼ東京であり、西日本(アルファヴィル、土井一秀、井手健一郎)と北海道(五十嵐淳)が少しだけである。JIA東北住宅大賞の審査で毎年まわってると、東北にもけっこうがんばっている良い若手建築家はいるのだが、残念だ。

2011/04/22(金)(五十嵐太郎)

写真新世紀大阪展 2011

会期:2011/04/05~2011/04/27

アートコートギャラリー[大阪府]

東日本大震災を経ることで、作品の見え方が変わってくることがある。2010年度の「写真新世紀展」は昨年11月に東京都写真美術館で開催され、優秀賞に選ばれた齋藤陽道、佐藤華連、柴田寿美、高木考一、谷口育美のなかから、佐藤華連の「だっぴがら」がグランプリを受賞した。その時の展示はむろん見ているのだが、それが大阪市・天満橋のアートコートギャラリーに巡回したのをあらためて見て、特に齋藤陽道の作品「同類」の印象が違ってきていることに気づいたのだ。
齋藤は彼自身が聾唖のハンディを負っており、作品のなかにも障害を持つ人たちが登場してくることが多い。波打ち際に置き忘れられたように写っている車椅子に、裸の赤ん坊がぽつんと座っている写真などもあり、人間の存在の寄る辺のなさ、にもかかわらずいきいきと輝きを増す生命力を捉えようとしているのがわかる。作品に寄せたコメントに「大きな連なりの流れのなかにいる、ひとつのものたち。その意味においてすべては同類だ」とあったが、自分を含めて連綿とつながっていく命の流れを、肯定的に実感しつつ写真を撮っているのだろう。単純に明るい写真というだけではなく、ほの暗い闇の部分にもきちんと目配りができている彼の作品世界の広がりが、震災後のいま、切実に胸に迫ってくるように感じた。赤々舎から写真集の出版が決まったという話も伝わってきた。それもとても楽しみだ。

2011/04/23(土)(飯沢耕太郎)

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