artscapeレビュー
2016年03月15日号のレビュー/プレビュー
コレクション展「1945年からのシュルレアリスム」
愛知県美術館[愛知県]
愛知県美術館の常設もよかった。名古屋を軸に「1945年からのシュルレアリスム」を紹介するが、暗い感じの四畳半シュルレアリスムは日本的だと思う。また若手紹介企画の水戸部七絵が強烈だった。部屋内に作品がひとつだけ。以前、アーツ千代田で見た絵から進化し、もはや絵画の概念を超えるモリモリの巨大肖像物に変容していた。
2016/02/27(土)(五十嵐太郎)
アーツ・チャレンジ2016(あいちアートプログラム──虹のキャラヴァンサライに向けて)
会期:2016/02/23~2016/03/06
愛知芸術文化センター[愛知県]
審査を担当したアーツチャレンジ2016は、愛知芸術文化センターの正式展示スペース以外の空間を使う公募である。1~3回目、去年と今回も関わったので経緯を見てきたが、クオリティが高く、安定性の高い作品の展覧会に成長した。が、あえて欲を言えば、ひとつくらい思い切ったチャンレジをして、ときには失敗するような問題作が入ってもよかったかもしれない。印象に残った作品をいくつか。
地下階段の宮本宗は、人工補綴としてのクレーン+身体の大型インスタレーションの力作である。照沼敦朗は、カーマニアの自身を投影したミエテルノゾム君を軸に絵画、彫刻、映像を展開。棒読みラップのアニメが強烈だった。
水野里奈は、味覚→視覚の変換を提示するが、あいちトリエンナーレ2013、VOCA、豊川で見た絵画から進化し、複数の空間を重層的にたたみ込む表現が感じられて、そこが興味深い。11階のL字回廊の田口友里衣は、小さなガラス玉と石によるささやかな庭を設置し、それが屋外のビル群と共鳴する。
伊藤久也は、悪のカタチをワークショップによってさまざまな人に制作してもらう作品だが、参加者から語られる言葉が面白い。池谷保の絵は、目を突き刺す棘のようなテクスチャに覆われた表面である。一方、大崎土夢はマチエールの勝負ではなく、かたちと内容のズレが連鎖しながら、複数の絵画がさまざまな関係性を構築していく知的な空間をつくる。
写真:左=上から、宮本宗、照沼敦朗、水野里奈 右=上から、田口友里衣、伊藤久也、池谷保、大崎土夢
2016/02/27(土)(五十嵐太郎)
陸前高田のたからもの
会期:2016/02/27~2016/03/27
名古屋市博物館[愛知県]
名古屋市博物館の「陸前高田のたからもの」展へ。3.11で被災した陸前高田の博物館の資料を紹介。その修復の方法や文化財レスキューの状況も。現在、博物館は廃校で修復を継続中。モノだけでなく、津波でコンピュータがやられ、所蔵リストのデジタルデータを失ったことも博物館として多大なダメージ。
2016/02/28(日)(五十嵐太郎)
名古屋大学脇坂圭一研究室《ソトマで育てる、ソトマでつながる》
[愛知県]
竣工:2015年
名古屋大学の研究室で設計した脇坂圭一の案内で、日進市に向かい、未来の風景をつくるコンペで実現した3棟の住宅を見学した。外部の交流空間ソトマを設けながら、ボックスを組み合わせて家の空間をつくる提案は、結構汎用性に富むことがよくわかる。また複数だからこそ、相互の家の見えや関係性がさまざまなシーンを生む。
2016/02/28(日)(五十嵐太郎)
プレビュー:林勇気「電源を切ると何もみえなくなる事」
会期:2016/04/05~2016/05/22
京都芸術センター[京都府]
パソコンのハードディスクに大量にストックした写真画像を、1コマずつ切り貼りして緻密に合成することでアニメーションを制作する映像作家、林勇気。緻密な作業の膨大な積み重ねによって制作される作品は、個人の所有する記録媒体やネット上の共有空間に日々膨大な画像が蓄積され、共有され、消費されていくというメディア状況を可視化するとともに、ポスト・インターネット時代の知覚や身体感覚についての問いを投げかけている。「電源」をキーワードにした本個展では、電源を切る行為によって消滅してしまう、映像という非物質的なメディウムの存在的な危うさに注目する。それはまた、電源のON/OFFという行為の身体性と映像との関わりを再考する機会にもなるだろう。
2016/02/29(月)(高嶋慈)