artscapeレビュー
2010年02月15日号のレビュー/プレビュー
平展2010
会期:2010/01/23~2010/01/31
元・立誠小学校[京都府]
奥田真希のキュレーションによる名前に「平」のつく11名の作家のグループ展。「平」という文字の意味に焦点を当てた、このコンセプトの説得力はほとんどない気がしたけれど、グループ展ではなく11名の個展だ思えば気にならない。日が暮れてから訪れた会場で、特に目をひいたのは河合晋平の作品だった。薄暗い廊下に展示された、電気部品を組み合わせて制作された海の生きもののようなカタチや影が幻想的な雰囲気だ。空想の生物世界のイメージは先月大阪で見たときよりも美しく感じられた。荒削りな面もあるが、新岡良平の絵画も良い。透明感と静謐な雰囲気をもつ画面に誘い込まれていくような魅力があった。
2010/01/30(土)(酒井千穂)
宇野常寛編『ゼロ年代のすべて』
発行所:第二次惑星開発委員会
発行日:2009年12月31日
世代交代を印象づける編集方針になっており、なるほど90年代から活動している論客で、この本にも参加しているのは、宮台真司と東浩紀ぐらいである。あれほど80年代から90年代を席巻したニューアカデミズム、あるいは『へるめす』や『批評空間』的な布陣は皆無だ。サブカルチャーを中心にさまざまなジャンルを総括しているが、建築や都市と関連が深いのは、「〈アーキテクチャ〉再考──建築・デザイン・作家性」の鼎談と、「『郊外の現在』──ジモト・ヤンキー・グローバリゼーション」だろう。実はいずれも筆者の仕事が参照されており、前者ではスーパーフラットをめぐる建築論、後者では『ヤンキー文化論序説』に触れている。10年前の出来事がもう歴史化されていることに加え、そのまま伝わらないことを興味深く思った。少なくとも、スーパーフラットと建築論を接続するときに、筆者は繰り返し、ひとつはファサードの表層に対する操作、もうひとつはプログラムや組織におけるヒエラルキーの解体を指摘したはずだが、五十嵐は表面性しか触れていなかったことになっている。つまり、スーパーフラット論も表層的に読まれたと言えなくもないが、まあ、歴史とはそんなものだ。ショッピングセンターこそ考えるべきというきわめてゼロ年代的な主張が、10年後どのような成果をあげるかに期待したい。かつて森川嘉一郎が建築は終わるとうそぶいた議論は、それこそ建築界において定期的に登場するオオカミ少年的な言説だったのに対し、藤村龍至らの批判的工学主義ラインは新しい職能のあり方を具体的に想像しており、生産的である。ところで、60年代から70年代にかけても、建築家は都市計画、高層ビル、工業住宅など、幾つかのジャンルに接近しようと野心を燃やしたが、いずれも撤退した。敗北の歴史が続く。今度こそは成功して欲しい。お手並み拝見である。なお、ゼロ年代の「すべて」において、現代美術がごくわずかな記述しかないことも気になった。編集者サイドが興味をもっていなかったのかもしれない。ともあれ、短いテキストでは、外部と接続する村上隆がいなかったゼロ年代という総括がなされている。単純にアートの世界が不毛だったのか、それともアートの言説をサブカルチャー論壇に送り込む新しい論客が登場しなかったからなのか。どうも後者のような気がする。少なくとも、建築界は人文系にプラグ・インする藤村龍至を輩出した。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
渡辺真弓『パラーディオの時代のヴェネツィア』
発行所:中央公論美術出版
発行日:2009年12月25日
本書は、もっとも繁栄していた16世紀のヴェネチアに焦点をあて、リアルト橋、都市改装、パラーディオの活動(住宅ではなく、主に教会を手がけていた)、そしてサンソヴィーノやサンミケーリなど、ほかの建築家や水利技師について詳細に論じている。サンソヴィーノやパラディオが工事に失敗したり、雨漏りをして、損害賠償をしたというエピソードも興味深い。建築のデザインを分析しつつ、それが都市にフィードバックしていく。ゆえに、本書はヴェネチアの都市史でもある。そして16世紀はまさに都市景観にとって重要な完成期だったという。単に水の都というだけではなく、重層的な時間を刻む都市を形成したからこそ、ヴェネチアは素晴らしい景観を獲得した。筆者が2008年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館のコミッショナーをつとめていたとき、著者の渡辺さんが会場に訪れたことを思い出しながら読んでいたら、あとがきでそのときのことについて触れていた。実際、彼女の視線は過去の話だけではなく、サンティアゴ・カラトラヴァや安藤忠雄のプロジェクトなど、現代のヴェネチアの状況についても向けられている。なお、本書には付録として、パオロ・グァルドによるパラーディオ伝の翻訳もつく。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
イリヤ/エミリア・カバコフ『プロジェクト宮殿』
発行所:国書刊行会
発行日:2009年12月15日
ロシアのアーティストによる夢のアイデア集というべき本である。「プロジェクトを集積した宮殿を造る」というメタファーが述べられているように、建築的にも読めて興味深い。実際、建築家ならば、アンビルドやユートピア的な計画になるだろう。ちなみに、プロジェクト宮殿のインスタレーションは、バベルやタトリンによる第三インターナショナル記念塔など、文化史的な記憶を背負う螺旋の構造体になっている。もっとも、建築家がある種の社会性をおびた提案を行なうのに対し、アーティストはときには馬鹿馬鹿しい、あるいはほほえましいイノセントな発想を行なうことが重要だ。本書をめくると、さまざまな思いつきがスケッチ付きの仕様書として記述されている。例えば、「空飛ぶ部屋」「いちばん合理的な刑務所」「雲をあやつる」など、日常と夢のあいだを往復するためのウイットに富んだプロジェクトが続く。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
フランク・ロイド・ライト『自然の家』
発行所:筑摩書房
発行日:2010年1月10日
フランク・ロイド・ライト、87歳(1954年)のときの著作の翻訳。同書は、すでに遠藤楽訳による『ライトの住宅』(彰国社、1967年)として出版されているが、富岡義人による読みやすい新訳で出版された。1936年-1953年と題された第一章と、1954年と題された第二章による構成であり、訳者よれば、創世記から福音書に至る旧約聖書・新約聖書に見立てられて編集されているのではないかという。師のサリヴァン事務所で主に住宅を担当したライトは、大きくいえば、独立後、プレーリー(草原)型住宅から、ユーソニアン住宅(ユーソニアは、サミュエル・バトラーの用語でアメリカのこと。Usonia : United States of North America)を経て、有機的建築に至るが、本書ではユーソニアン住宅から有機的建築に至るライトの思考が力強い文体で描かれる。特に強調されるのは「単純性」や「統合性」といった概念である。有機的建築の本質は単純さであり、それは単なる簡素な単純さとは別のものだとライトはいう。複雑化する人生の中で、勇敢に単純であることによって自由が得られるのだという、ライトの強い思想が全編にわたって感じられる。本書は、ライトの年譜や建築地図もつけられており、ライトの入門にも絶好の本であろう。なお、2009年でライトは没後50年を迎えた。
2010/01/31(日)(松田達)