2024年03月01日号
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artscapeレビュー

岡崎藝術座『アンティゴネ/寝盗られ宗介』

2012年05月01日号

会期:2012/04/19~2012/04/24

STスポット[神奈川県]

ギリシア悲劇(アンティゴネ)とつかこうへいの戯曲(寝盗られ宗介)、異なる作品と言えばまったくそうなのだけれど、確かにどちらも集団と個人の争いが描かれているという意味では共通点があるわけで、主宰の神里雄大らしいそうした主題の設定によって、二つの物語はたくみに併置された。上演時間は80分ほど。両戯曲の一本分よりもおそらく短く、故に「抜粋」がもつ軽妙ささえ感じられて、なんと形容しようか、例えば「啓発的」とでも言いたくなるような作品だった。集団と個人の争いは、主として前半でとりあげられた『アンティゴネ』であれば王による兄の遺体の扱いに歯向かうアンティゴネの抵抗をとおして、主として後半でとりあげられた『寝盗られ宗介』であれば劇団の運営に熱心な夫をよそに劇団員と寝てしまう女優レイ子の奔放さをとおして描かれる。この「集団と個の争い」というテーマ設定は、「3.11以後の日本」の状況に対する神里の思いが反映されているに違いない。ところで「震災以後の日本」とは「震災以後」という「ムード」に支配された空間のことであろう。この「ムード」というものが何か別の流行に容易に置き換えられていきそうなほど、被災地内外の状況とはほとんど無関係に、「軽薄」と言いたくもなる仕方で日本を覆い尽くしている。「震災以後の日本」の問題とはそうしたなかでの「個人」の存立危機のことではないかと本作はぼくたちに耳打ちする。その危機感の訴えは、悲劇だけでも喜劇だけでもきっと不十分で、兄を救う妹の勇敢さと女優の奔放さとの両方を並べることで、ぼくたちが失いかけている何かを神里はまっすぐ指摘しようとした。それにしても印象的だったのは、アンティゴネとレイ子の両方を演じた稲継美保の演技だった。この役者はどちらの演技もできるのかと感動させられた。その役者への感動からさらに、ひとりの人間のうちにどちらの女性性も収まりうるということへと思いはひろがる。紅一点の周りでうろうろする三人の役者たちも秀逸。チェルフィッチュやニブロールのような一定のスタイルを感じるものではない。それぞれ違う質の演技をしているのだが、各人にしっかり存在感がある。この存在感は、演じている者の身体がどんなリズムを感じながらいまそこにいるのかによって、生み出されているようだ。舞台背景に用いられた神里によるものらしい絵画も、そこにきちんと個として存在していて見事だった。

2012/04/23(月)(木村覚)

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