artscapeレビュー

2011年10月01日号のレビュー/プレビュー

ツリー・オブ・ライフ

会期:2011/08/12

丸の内ルーブル[東京都]

テレンス・マリック監督、ブラッド・ピットとショーン・ペン主演による映画。厳格で世俗的な父親と慈愛に満ちた母親のもとで暮らす3人兄弟の物語だ。典型的な白人中流家庭を舞台にしていることから、いわゆる「ホームドラマ」であることは確かだが、「神に生きるか、世俗に生きるか」を問う思想性や随所に織り込まれる宇宙的で壮大な映像が、この映画に人間の悲喜劇を描く「ホームドラマ」以上の厚みと深みをもたらしている。だからといって難解な思想映画や映像美に拘泥するアート映画というわけでもなく、あくまでも人間の暮らしの基盤である「ホーム」を出発点としながら、神と世俗のあいだを切り開くところに、テレンス・マリックのねらいがあるように思われた。邸宅の内外を嬉々として走り回る少年たちの身体動作や、理由もなく弟を痛めつける兄の幼い狂気、近隣の邸宅に忍び込む戦慄と高揚感。熟年を迎えた主人公が少年時代を回想するシーンには、誰もが思い当たる節があるはずだ。そのようにして見る者にとっての「ホーム」の記憶をそれぞれ甦らせながら、「神か世俗か」を改めて問い直すこと、つまり現在の生き方をもう一度再考させることが、この映画の醍醐味である。

2011/09/01(木)(福住廉)

ハウスメイド

会期:2011/08/27

TOHO CINEMAS シャンテ[東京都]

韓国映画の十八番といえば、何よりもまず復讐劇。本作も家政婦として働く主人公の女による雇い主への復讐を描いた映画だが、これまでの豊かな伝統には到底及ばない中途半端な代物に終わってしまった。物語の構成はいかにも直線的で、人物描写も甘く、復讐の表現形式もほとほと理解に苦しむものだ。たとえばパク・チャヌク監督による『復讐者に憐れみを』『OLD BOY』『親切なクムジャさん』にあるすぐれた構成力や展開力、キャラクターの面白さやユーモアは微塵も見られないから、結果として際立つのは、だらだらと間延びした時間と主人公の女の信じ難いほどの鈍感さ、そして成人映画のような濡れ場のみ。せめて昼メロのような抑揚があれば、まだ見るに耐えたかもしれないが、こんな体たらくでは復讐の想像力を鍛え上げることもままならない。ようするに、復讐というかたちによって人間を描写することに失敗しているわけだ。放射性廃棄物を撒き散らしたばかりか、それらを体内に取り入れながら生活することを余儀なくされている現在、「人間」の根拠は以前にも増して疑われつつあるのだから、復讐によって「人間」の輪郭と内実を再確認する芸術表現は今後ますます必要とされるにちがいない。

2011/09/01(木)(福住廉)

Picturing Plants: Masterpieces of Botanical Illustration(植物の描写──植物画の傑作)

会期:2011/02/05~2011/09/15

ヴィクトリア&アルバート美術館 ギャラリー88a,90[ロンドン]

同館は1856年の創立以来、「植物画(Botanical Illustration)」を収集してきたという。なぜかと言えば、ひとつはそれら木版画の製作過程および製本術を参照するため、もうひとつが描かれた植物が装飾デザインのパターンブックとして機能したためであった。そもそも植物画とは博物学的関心から生じたのであるが、時代が進むにつれて用途に応じたさまざまなタイプが生まれ展開してきた。植物学的分析用、新種発見にともなう記録用、園芸学用から、装飾用のものまで。そして植物画は観賞用の「アート」としても次第に確立されていく。例えばヨハン・ジェイコブ・ヴァルターの《ボタン》は、学問的追究によって植物の正確な描写を目指したのではなく、明らかに装飾目的で描かれている。実際のボタンではありえないほどの細い茎、花の配置は美的に構成されているからだ。本展は、植物画の描かれる目的、社会的コンテクスト、印刷技術の発展、これらが植物画の発展といかなる影響関係にあったかについて考えさせる、非常に良い試みであった。ウィリアム・モリスが草花のデザイン研究のために植物図譜を参考にしたことは知られているが、彼のみならず、19世紀後期のデザイナーたちは「自然」を新しい装飾源に求めた。本展の植物画を見た後、さまざまな装飾デザイン製品を実際に比較・鑑賞できるのは、世界最大級のデザイン・美術コレクションを誇る、ヴィクトリア&アルバート美術館ならではの僥倖だった。[竹内有子]


図版:ヨハン・ジェイコブ・ヴァルター《ボタン》、1650-70年頃、V&A所蔵

2011/09/02(金)(SYNK)

Signs of a Struggle: Photography in the Wake of Postmodernism(苦闘のしるし──写真にみる)

会期:2011/08/11~2011/11/27

ヴィクトリア&アルバート美術館 ギャラリー38A[ロンドン]

1970年代半ばから今日にかけての約30年間にわたる、写真におけるポストモダニズム的アプローチについて探求する企画展。シンディ・シャーマンやリチャード・プリンスからアン・ハーディ、クレア・ストランドらの作品が展観されていて、小規模な展示ながら見応えがあった。ポストモダニズムとは、モダニズムの価値観に対抗する、文学・建築・デザイン・思想の複数領域に幅広く及んだ文化現象。では、写真にみられるポストモダニズム的表現の手法はどのようなものか? ひとつが、「引用・パロディ・流用(アプロプリエーション)」で、イメージにしばしば文字が混入される。例えば、D・ホックニーの《写真の死》は、観者を惑わすさまざまな仕掛けに満ちている。二つの同じ、花瓶に入ったひまわりが並置される。が、ひとつは実物、その隣にあるのは作家によって描かれた絵。そこには子どもが書くような文字で「早くよくなってね」と貼り紙が添えられる。この「ひまわり」とは、まさにあのゴッホ作品の引用である。そのほか、自然に技巧を入り混ぜる手法や、念入りな場面構築を行なう手法など。例えば、ストランドの連作《苦闘のしるし》は、警察の科学捜査班が犯罪現場で撮影した証拠写真を思わせる作品。観者はこれらの作品と向き合うとき、その意図的な曖昧さとコンセプトとに、深く考えさせられ/ときには愉快な気分に/また冷めた気持ちともなり/そのイメージの前で宙吊りにされるだろう。なお、同館では大規模な企画展「Postmodernism: Style and Subversion 1970 1990(ポストモダニズム──様式と転覆 1970-1990)」が9月27日から開催される。ポストモダニズム──デザイン史で現在、もっとも論議を呼ぶテーマといえる──を振り返る同館初めての展覧会であるから、大いに期待される。[竹内有子]

図版:クレア・ストランド《苦闘のしるし》シリーズ、ゼラチン・シルバー・プリント、2002

2011/09/02(金)(SYNK)

東京ミッドタウン・デザインハブ特別展 「CODE:ポスターデザイン・コンペティション」受賞作品展

会期:2011/08/31~2011/09/05

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

ユネスコが2004年に開始した「創造都市ネットワーク」事業において、「デザイン都市」と指定された世界7都市(ベルリン、ブエノスアイレス、神戸、モントリオール、名古屋、上海、深圳 )が参加したポスターデザイン・コンペティションによって選ばれた作品の展覧会。テーマの「CODE」は、City of Designを意味すると同時に、それぞれの都市が持つ固有の「コード」も意味するという。都市ごとに10点ずつ、70点のポスターを展示する。
 都市の住民たちは、自分たちの住む街の特徴を明確に認識しているとは限らない。しかし、それぞれの都市の人々の持つ漠然としたイメージを他の都市と比較すると、その特徴があらわになってくる。7つの都市のデザイナーたちによって描かれた都市のイメージは、個々の作品として見ると違いが目立つが、他の都市の作品とともにひとつの会場に展示されることで、それぞれの都市固有のイメージ、すなわちコードが見えてくる。名古屋は海老フライやしゃちほこなどの物質文化、ベルリンのポスターは統一されたフォーマットが印象に残る、といった具合である。
 本展は、もともと深圳で開催された展覧会をそのまま巡回したものであると思われるが、日本側はこの展示に関わっていないのであろうか。展示やリーフレットの説明が非常にわかりづらい。コンペティションの経緯もよくわからないし、ここに現われた都市のコードがデザイナーたちによる自然なイメージの集合なのか、それとも選考委員によるバイアスがあるのかどうかもわからない。興味深い企画であるだけに、その点が残念である。[新川徳彦]

2011/09/03(土)(SYNK)

2011年10月01日号の
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