2019年07月01日号
次回7月16日更新予定

artscapeレビュー

2014年02月01日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:ウィリアム・ケントリッジ《時間の抵抗》

会期:2014/02/08~2014/03/16

元・立誠小学校 講堂[京都府]

来年に京都市内で開催される「PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015」。本展はそのプレイベントであり、南アフリカの美術家、ウィリアム・ケントリッジの大規模なインスタレーション作品《時間の抵抗》を見ることができる。同作品は2012年の「ドクメンタ」で発表され、5面スクリーンの映像と、多重音響、象徴的な運動機械で構成されている。内容は、人間が時間に対して持つアンビバレントな感情を詩的に綴ったものだ。彼の作品を見るのは2009年に京都国立近代美術館で行なわれた個展以来だが、当時の感動を再び味わえることが嬉しい。

2014/01/20(月)(小吹隆文)

秋山祐徳太子 大博覧会

会期:2014/01/09~2014/01/25

gallery58[東京都]

秋山祐徳太子による回顧展。旧作から新作まで、さらにさまざまな資料も含めて、おびただしい作品が一挙に展示された。小さな会場とはいえ、非常に充実した展覧会だった。
展示されたのは、秋山の代名詞ともいえる《ダリコ》はもちろん、かつて東京都知事選に立候補した際の記録映像やポスター、そして近年精力的に制作しているブリキ彫刻の数々。秋山の多岐に渡る創作活動を一望できる展観だ。受験番号一番を死守し続けた東京藝術大学の受験票や80年代に制作していた絵画など、貴重な作品や資料も多い。
なかでも注目したのは、秋山の身体パフォーマンス。都知事選における記録映像を見ると、秋山の身体運動が極めて軽妙洒脱であることに気づかされる。顔の表情だけではない。全身の所作が、じつに軽やかなのだ。上野公園でタレントのキャシー中島と行なったライブペインティングにしても、ふわふわと飛ぶように舞いながら支持体に何度も突撃する身体運動が映像に映し出されている。思わず「蝶のように舞い蜂のように刺す」というクリシェが脳裏をかすめるが、秋山のポップハプニングが面白いのは、それが必ずしも「刺す」わけではなく、ただひたすら「舞う」ことに終始しているように見えるからだ。
ダンスとしてのポップ・ハプニング。それは、重力に抗う舞踊とも、重力と親しむ舞踏とも異なる、そして儀式的で秘教的なゼロ次元とも、体操的な強靭な身体にもとづく糸井貫二とも一線を画す、秋山祐徳太子ならではの稀有な身体運動である。不意に視界に入ってくる蝶のように、秋山の身体は私たちの目前をひらひらと舞い、やがてどこかへ消えていくのである。

2014/01/20(月)(福住廉)

IMARI/伊万里──ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器

会期:2014/01/25~2014/03/16

サントリー美術館[東京都]

17世紀初頭から佐賀県有田でつくられはじめた日本で最初の磁器は、近隣の伊万里港から各地へ出荷されたために「伊万里焼」の名で呼ばれるようになった。17世紀半ばになると、伊万里焼はオランダ東インド会社の手によって大量にヨーロッパに輸出されるようになる。しかしながら、公式な輸出取引は18世紀半ばには途絶えてしまった。この展覧会では、この100余年における輸出用伊万里焼生産の盛衰、製品・絵付けなどの変化と海外での受容の様相を、大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する古伊万里コレクションを中心に、サントリー美術館、九州陶磁文化館の所蔵品を加えて辿る展覧会である。
 第1章「IMARI、世界へ」は、1660年から1670年代までの初期輸出用伊万里焼を取り上げている。日本で磁器が初めて焼かれたのは17世紀初頭。おもに景徳鎮から輸入されていた磁器の代替品として生産が始まり、次第に生産量と技術水準が向上していった。転機をもたらしたのは明から清への王朝交代である。ヨーロッパでは長らく磁器を焼くことができなかったために、中国から輸入される磁器は「白い金(white gold)」と呼ばれ、金に匹敵する価値のある貴重な品として取引されていた。ところが、中国国内の内乱と清朝による海禁令(貿易禁止令)によって、ヨーロッパへの磁器輸出を行なっていた景徳鎮からの製品供給が途絶えた結果、オランダ東インド会社は有田にその代替的な供給を求めたのである。最初の輸出は1659年。初期の輸出品は中国の青花磁器(染付磁器)を模したものが多く、不足する供給をまかなうためか一部国内向けに絵付けされた製品も輸出されたという。第2章は、「世界を魅了したIMARI──柿右衛門様式」。1670年から1690年代までの輸出最盛期を取り上げる。暖かみのある乳白色の素地に色絵を施した磁器はヨーロッパで人気を博し、その後各地で多くの模倣品が作られた。第3章は「欧州王侯貴族の愛した絢爛豪華──金襴手様式」。1690年から1730年頃には柿右衛門様式の色絵磁器は姿を消し、大型の壺や瓶に色絵と金彩による金襴手と呼ばれる絵付けを施した製品が輸出される。他方で、清朝の安定により1684年に中国からの磁器輸出が再開されると、景徳鎮でも伊万里の様式を模した製品が作られるようになり、伊万里焼は熾烈な国際競争を強いられるようになる。第4章は「輸出時代の終焉」。最終的に伊万里焼は圧倒的な生産量を誇る景徳鎮との競争に敗れ、またヨーロッパでの磁器生産も始まり、輸出は衰退。長崎貿易制限令もあって1757年に公式な輸出は幕を閉じることになる。
 オランダ東インド会社は、景徳鎮に対しても有田に対しても希望する製品の型や絵付けに詳細な指示を出していた。ヨーロッパ人は自分たちで磁器をつくることはできなかったが、長いあいだ自分たちが欲する製品の製造を「外注」していたのだ。ただし、希望どおりの品が手に入るとは限らない。こうした文脈で特に興味深かったのは、オランダ人画家コルネリス・プロンクの下絵によって景徳鎮と有田でつくられた《色絵傘美人文皿》である。同じ下絵が元になっているにもかかわらず、景徳鎮のものは中国風の美人図、伊万里は浮世絵に見られるような日本美人が描かれているのである(結局注文は景徳鎮の製品に行ったという)。こうした模倣の様相と、それが完全ではないために生じた「オリジナリティ」は、アジア内に留まらず、オランダのデルフト焼などのヨーロッパの窯とのあいだにも生じている。また、絵付けばかりではなく、ヨーロッパの金属器を模した磁器が日本でつくられた例もあり、グローバルな商品としての磁器の流通がデザインにおいて東西の交流をもたらした姿はとても興味深い★1
 ものには、つくり手と受け手とで異なる文脈があることも、本展で示されている点であろう。伊万里焼はつくり手にとっては海外からの注文に応じた「商品生産」であったが、輸出先のヨーロッパにおいては高価な「美術工芸品」として需要されていた。本展の展示はつくり手側を取りまく環境の変化によって代表的な輸出品を構成しているが、他方で展示デザインではヨーロッパの宮殿につくられた「磁器の間」を再現している部分もあり、これは受け手の視点なのである。そして、受け手の側に立つならば、それが日本のものなのか中国のものなのか、明確に区別できていなかったであろうことも考慮する必要がある。
 本展は、長野(松本市美術館、2014/4/12~6/8)、大阪(大阪市立東洋陶磁美術館、2014/8/16~11/30)に巡回する。[新川徳彦]

★1──このようなデザインの相互交流に焦点を当てた展覧会として、「陶磁の東西交流──景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン」 (出光美術館、2008/11/1~12/23)が思い出される。


展示風景

2014/01/24(金)(SYNK)

ヴィヴィアン佐藤、林千歩、有賀慎吾「Orgasmic Reproduction──ざんねんな出産、しあわせな臨終」

会期:2014/01/08~2014/01/26

KOGANEI ART SPOT シャトー 2F[東京都]

三人の美術作家が、タイトルの語るコンセプトをもとに作品を制作し、インスタレーションを行なった本展は、「一般的に目を伏せがちな社会的問題に対して美術作家は何ができるのか?」といった問いを喚起させる展示となった。
本展には作家たちのほかに三人の企画者(大山香苗、花房太一、吉田絵美)がおり、タイトルの造語「Orgasmic」(これは「Organic」と「Orgasm」を掛け合わせた造語だそう)を含め、コンセプトは作家たちと企画者たちとで何度かの議論を重ねた結果だそうで、一見すると「ざんねんな出産」「しあわせな臨終」という言葉が呼び起こす、不謹慎な印象だったり、不穏な感触というのは、ハードコアである一方でデリケートで真摯でもあった展示によって、全面的に解消できるとはいえないまでも、見ないことを許さない力が見る者をとらえていた。ちょうどいま、日本テレビ系のドラマ『明日、ママがいない』をめぐって、表現の自由はどこまで許されるのかといったことが問われている。観客を引きつけるために行なう演出が、事実を歪めて視聴者に伝えることになりかねない。そうした点が問題になるなら、作家は個人のイマジネーションを自由に発揮する以上に、取り扱う現場の事実をきちんと浮き彫りにすることに傾注すべきではないか、なんて思いも湧いてくる。
林千歩(《指人間》)は、家族の住む家の台所や浴室を舞台に、タコに扮した本人が足を切られたり、タコの体内から髪の毛と人の指が出てきたり、あるいは部分的にタコ化した小型犬(本物)がひとの指を食べたりと、いつにもまして生理的にショッキングな映像作品を展示した。筆者もゲストで出席したトーク・ショーのなかで、林は「タコの体内から指が出てくる」というのは、東日本大震災以後に生まれたうわさ話に基づいていると話していた。そうした情報なしに見ると、観客は「肉体の切断」に漂うおぞましさの感覚に囚われすぎて、見ている内に判断力が麻痺してしまうように思われた。これまでの作品にもグロテスクさは含まれていたが、それだけではなくたいてい林は同時にユーモアも混じらせてきたので、前述のような麻痺はしばしば軽減されてきたのだが、今作ではそうはいかない。有賀慎吾の作品(《Human Topology》)にも、観客の思考が「麻痺」してしまう要素はあった。インスタレーション空間に分娩室があり、双頭の胎児がベッドに寝そべっている。ベッドの脇には、出産の模様が映写されているのだけれど、そこでは異形の顔をもった人物が双頭の胎児の出産を試み、白い体液を股の間から漏らしている。ホラー的な空間なのだが、ホラー映画ならば用意されているような古典映画的形式や映画的仕掛けに相当するものは感じられず、まるで斜めの線が引かれた部屋で長時間過ごしたネコが部屋から出た途端に斜め歩きしかできなくなるように、インスタレーション空間が放つ異常な力に見る者の通念は揺さぶられた。林や有賀の作品が、作家個人のイマジネーションが具体物によって形をなしているとすれば、ヴィヴィアン佐藤の作品は、写真家ダイアン・アーバスの写真のコピーを何枚も取り上げ、展示しており、林や有賀の作品とは印象が異なった。写真は事実を語ろうとする。いわゆる「畸形者」や「障害者」と呼ばれることがある人体が写真映像のなかでその存在を示している。そのほかにも、乃木坂46のメンバーに出生前診断について賛成か反対かを質問した記録が展示に添えられていた。作家の「望まれていないとみなされがちな身体」への思いの熱さが伝わる一方で、その思いが個人の偏愛に基づくものかそれ以上のものかは、ぼくには判別しがたかった。
出産や死の現場に立ち会う人間や、その周囲で関わる者たちと異なり、または「うさぎスマッシュ」展(東京都現代美術館、2013-2014)が示唆するような社会変革への具体的な試みを模索するデザイナーたちとも異なり、美術作家は社会とどう関わればよいのだろう。集団で作品制作する場合を除けば、多くの場合、美術作家は個人のイマジネーションを物理的に具現化する。そして、観客はしばしば作品と個人的に向き合う。ゆえに美術作品の鑑賞は、作家という個と観客という個との対話になりがちだ。しかし、そうした「個」による創作から発し「個」による受容に帰結することなく、作品に集団で向き合うことこそ、こうしたテーマの場合であればなおさら、重要なのではないか。そう感じたのは、トークショーでの体験がとても大きい。15人ほどの少人数の会だったので、全員の感想をシェアしたのだけれど、「ざんねんな出産~」ではなく「幸福な出産~」というタイトルだったら受ける印象が違うのではないかと観客のある方が発言した途端に、展示の印象が一変するということが起きた。ゲリラ的に企画者が入れ替わり看板を付け替えて立ち去ったみたいな、些細な、しかしダイナミックともいうべき出来事だった。ほかにも自分の経験や境遇を率直に言葉【に?】する参加者たちによって、感想の交換は充実したものとなった。鑑賞はじっくりと個と向き合う時間でもありうるけれど、閉塞した個を相対化する時間にもなりうる。作品は対話を促進し、意見の一致に至らなくとも互いの違いを確認する刺激剤であればよい。展示のなかに、こうした意見交換の機会があることは、もしかしたら美術作品の可能性そのものを左右することになるかも知れない。

2014/01/26(日)(木村覚)

プレビュー:捩子ぴじん『空気か屁』

会期:2014/02/11

横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール[神奈川県]

捩子ぴじんが(短編以外では)2年振りの新作『空気か屁』を上演する。2011年の横浜ダンスコレクション2011で審査員賞を受賞、今回の上演はその受賞公演にあたる。受賞作『syzygy』は、一応ダンスの作品なのだが、住宅の壁面の建設に使いそうな平たい板を二人のダンサーがすごい勢いで扱い、ときには乗ったり、乗った後は滑り台のようにそこからすべったり、板が「ダンサー」のようでもあり、ダンサーたちが板のごとき「もの」でもあるという、なんとも不思議な、他に類似する例を探しにくい(板の使用という点ではKo & Edgeの『美貌の青空』を先行例とみなせなくはないけど)「唯一無二」という感触の残る作品だった。同じく2011年には、『モチベーション代行』を発表。これは、コンビニでバイトする自分自身を扱った作品で、演劇的な要素は濃いが、鳥の唐揚げをつくる機械が舞台上で油っぽい匂いをたてているなど、超リアルな作品構成が印象的だった。昨年の吾妻橋ダンスクロッシングでは、心霊現象に遭遇した体験を語るパフォーマンスを行なった。さて、このように紹介すればするほど、捩子ぴじんとは何者かがわからなくなってくる。若いころは大駱駝艦で研鑽を積んだこと、あるいは手塚夏子との交流、あるいは昨年快快とアメリカ合衆国ツアーを行なったこと……説明を増やせば増やすほど、ますますその実体はわからなくなってくるだろう。はっきりしているのは、捩子ぴじんならばなにかをやってくれるということだ。公演日には都知事選も結果が出ている。ぼくたちの生きる道がどんな道筋を辿っているのか、そんな現在と未来に抱く不安と恐れに、捩子の舞台はきっとヴァイブレーションを与えてくれることだろう。

2014/01/31(金)(木村覚)

2014年02月01日号の
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