artscapeレビュー
2014年10月15日号のレビュー/プレビュー
せいのもとで
会期:2014/09/05~2014/10/12
資生堂ギャラリー[東京都]
性の下で? 精飲もと出? 意味不明のタイトルは、資生堂の社名が易経にある「万物資生」から採られたものであることを踏まえ、ゲストキュレーターの須田悦弘がこれを「生の元手」と読み替えたもの。このテーマに沿って須田のほか、銀閣慈照寺の花方である珠寶、染色家の志村ふくみ・洋子、宮島達男、クリスティアーネ・レーアらが新作を出している。さて須田の作品はどこだろうと見渡すと、受付に花が。これだけじゃないだろうと探したら、なんと入口に掲げられた花椿マークを彫っていた。たしかに花だけど。このギャラリーができた1919年に発売された化粧品「海綿白粉」も出品されて、なんだ資生堂の宣伝かよってな感じ。
2014/09/20(土)(村田真)
写真新世紀2014 東京展
会期:2014/08/30~2014/09/21
東京都写真美術館B1F展示室[東京都]
最終日にようやく間に合って、「写真新世紀2014」の展示を見ることができた。審査員をしていた2010年頃までは、むろん愛着のあるイベントだったのだが、このところどことなく疎遠になった気分でいた。一つには、強い関わりを持つ必要がなくなったということなのだが、出品作品そのものに”熱”を感じなくなったということもある。1990年代前半の、「写真新世紀」がスタートしたばかりの頃と比べれば、たしかに平均的な作品のレベルは上がってきている。だが、全体的に見て、驚きと衝撃をもたらすようなワクワク感が欠如しているように思えるのだ。
今回の優秀賞受賞者は草野庸子(佐内正史選)、須藤絢乃(椹木野衣選)、南亜沙美(大森克己選)、森本洋輔(HIROMIX選)、山崎雄策(清水穣選)の5人。そのうち須藤絢乃の「幻影-Gespenster-」が9月12日の公開審査会でグランプリに選出された。その結果に文句を付けるわけではないが、あまりにも順当過ぎる気がしないわけではない。というのは、須藤はもう既に個展の開催や写真集の刊行などを通じて、写真家として高い評価を受けているからだ。「幻影-Gespenster-」の写真集には僕自身もエッセイを寄せており、失踪した少女に成り代わるというセルフポートレートのコンセプトも、作品化のプロセスも、きわめて高度なレベルに達している。はっきりいって、他の出品者からは頭一つ抜けた存在であり、受賞は当然というべきだろう。だが、もともと「写真新世紀」の存在意義は、写真の表現者の未知の可能性を発掘する所にあったはずで、既にエスタブリッシュされている作家を追認することではないはずだ。
ちょうど同じ日に東京・神宮前で開催されていた「THE TOKYO ART BOOK FAIR」(京都造形芸術大学・東北芸術工科大学外苑キャンパス 9月19日~21日)に足を運んだのだが、その玉石混淆のカオス的な状況と、「写真新世紀」のスタート当時がどうしても重なって見えてしまった。訳の分からないエネルギーの渦に巻き込まれていくような、めくるめく体験は、いまの「写真新世紀」には望むべくもないように思える。もうそろそろ、幕を下ろす時期が来ているのではないだろうか。
2014/09/21(日)(飯沢耕太郎)
角田奈々「苦いマンゴー~ベトナムの風に吹かれて~」
会期:2014/09/01~2014/09/21
角田奈々は2010年頃からベトナム各地を旅して写真を撮影しはじめた。その中で、ポートレートの撮影の仕方に一つのスタイルを作り上げていった。被写体を画面のちょうど真ん中に置き、周囲の環境との関係に細やかに気配りしつつシャッターを切る。選ばれている人物は老若男女さまざまであり、部屋の中もあれば、野外の場合もある。被写体との距離感も微妙に違っていて、全身像も、クローズアップに近い写真もある。なぜ彼らが真ん中にいるのか、その理由ははっきりとはわからないが、そこに彼女の確かな意志が働いていることは間違いないだろう。まっすぐに、正面からベトナムの人たちと向き合いたいという強い気持ちが、支えになっているのではないかとも想像できる。
角田は九州産業大学写真学科の出身で、2006年から福岡のAsian Photographers Gallery(APG)のメンバーとして活動した。ギャラリーは2011年に閉廊になるが、彼女はアジア各国に向けて開かれたギャラリーの活動を、「個人的に」引き継ごうと考えている。ベトナムで撮影を続けているのもその一環だし、今回の展示にあわせて「APG通信」というポストカードサイズの定期刊行物も発行しはじめた。写真の裏面に、ベトナムでのさまざまな出会いについて書かれた短いエッセイが掲載されている。その実感がこもった文章がなかなかいい。今回の展示は、24枚の写真が壁から手前に張り出した台に並べられていて(他に大きく伸ばしたプリントが壁に1枚)、テキストは一切ない。今後は、もう少し、言葉と写真の融合の形も模索していっていいのではないだろうか。
2014/09/21(日)(飯沢耕太郎)
アアルト大学(旧ヘルシンキ工科大学)
[フィンランド、ヘルシンキ]
途中、ノキア本社を横目で眺めながら、オタニミエの《旧ヘルシンキ工科大学》(アルヴァ・アアルト/1958)を訪れた。現在はアアルト大学と改名されており、彼の手がけた建築群がキャンパスに点在する。世界中から見学者が訪れ、自由に入れることができる図書館、オーディトリアムなど、隅々までデザインが行き届き、うらやましい大学の空間環境だ。また大学内のライリ&レイマ・ピエティラによるディポリセンターは、岩に囲まれる、また岩から立ち上がるだけでなく、インテリアにも岩が浸食する洞窟のような建築である。アアルトの不規則かつ有機的な造形を過剰にバロック化させたとでもいうべきか。アアルトの建築でも、外構では岩の存在が目立つが、岩はフィンランド的な要素なのだろう。キャンパスの奥には学生寮が続くが、さらに進むと、カイヤ&へイッキ・シレンによる《オタニエミ礼拝堂》(1957)がひっそりとたつ。1957年のモダン・デザインである。だが、シンプルな構造とミニマルな空間は、今見ても瑞々しい傑作だ。奥の大きなガラスの向こう、森の中に十字が見え、安藤忠雄の教会のデザインにも影響を与えていると思われる。
2014/09/22(月)(五十嵐太郎)
フィンランディア・ホール
[フィンランド、ヘルシンキ]
市内に戻り、《フィンランディア・ホール》(アルヴァ・アアルト/1971)の室内を見学できるガイドツアーに参加した。ガイドは褒めるだけではなく、施工や実用の問題点にも言及するが、全体としてはアアルト、すなわち建築家へのリスペクトを感じる内容だった。日本だと、少しでもミスがあると、だから建築家はダメみたいな風潮になりがちだが、文化的な背景が違う。
続いて、ティモ&トゥオモ・スオマライネンによる《テンペリアウキオ教会》(1969)へ。1930年代からコンペを繰り返し、ようやく1969年に完成したものである。細かいデザインがどうのこのではなく、とにかく岩盤をくり抜き、中央に浅い大きなドームを架ける空間操作によって、他にはない圧倒的にユニークな建築が実現した。
アアルトがヘルシンキで初めて依頼された仕事、《サヴォイ・レストラン》のインテリアを見るべく、そこで夕食をとる。かなりいいお値段のメニューだが、なるほど味もそれに見合うレベルだった。このレストランはビルの最上階に位置しており、屋上のテラス席を眺めると、船内にいるような雰囲気もある。1937年の内装を現在に残していることに感心させられた。
2014/09/22(月)(五十嵐太郎)