artscapeレビュー

2015年07月15日号のレビュー/プレビュー

トーマス・デマンド「Model Studies(Koto-ku)」

会期:2015/05/22~2015/06/27

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

北参道へ。ここに拠点を移したタカ・イシイギャラリーのトーマス・デマンド展を見る。SANAAの模型を題材とするが、さすがに今回は模型の模型ではなく、事務所の模型を撮影したものだった。ちなみに、向かいはGAギャラリーである。タカ・イシイと同じビルの反対側では、小山登美夫ギャラリーがジェイムズ・キャッスル展を開催し、独特の小品群を展示していた。ここに近づく、アプローチ空間のデザインが興味深い。

2015/06/13(土)(五十嵐太郎)

古い写真を通して台湾を知る 台湾の懐かしい風景と人々の生活 1930s~1970s

会期:2015/06/13~2015/08/12

台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター[東京都]

台湾には1990年代にかなり頻繁に足を運んでいた。展覧会に付随したレクチャーやシンポジウムに参加することも多く、何人かの写真家やキュレーターと知り合った。その度に感じたのは、日本とのかかわりが深く、文化的にも共通性が多いにもかかわらず、写真表現のあり方にはかなりの違いがあるということだった。
今回、東京・虎ノ門の台湾文化センターで開催された「古い写真を通して台湾を知る」展は、写真史家の簡永彬がキュレーションして、2014年に国立台湾美術館で開催された「看見的時代」展を元にしている。もっとも、台湾写真の1940年代から70年代までを500点近い作品でふりかえる国立台湾美術館の展示と比較すると、今回の東京展は数10点規模であり、ダイジェスト版ということになる。それでも、1930年代の営業写真館の勃興期、40年代に「三剣客(三銃士)」と称された張才、 南光、李鳴 の活躍、50年代のリアリズム写真とサロン写真の対立、そして写真家としての存在の根拠を問い直す、60年代以降の張照堂ら若手写真家たちの台頭など、台湾写真史の要点を押えて紹介していた。ここでも、「写実攝影(リアリズム写真)」という言葉の範囲が、台湾では日本よりかなり幅が広いことなど、日本との微妙なずれが目についた。
6月15日に開催されたトークライブにもパネラーとして参加したのだが、そこでの金子隆一の発言が興味深かった。政治的な圧力への抵抗や、東京中心の写真ジャーナリズムとの微妙な距離感など、台湾の写真と戦後の沖縄の写真とは共通性があるというのだ。たしかに台湾でも沖縄でも、戦前・戦後に日本(東京)で写真を学んだ写真家たちが指導的な位置に立ち、より若い世代が民族的なアイデンティティを主張して新たなスタイルを模索するということがあった。日本、韓国、中国(大陸)を中心とした東アジアの写真史を、台湾や沖縄のようなファクターを導入することで、細やかに組み換えていかなければならないということだろう。

2015/06/15(月)(飯沢耕太郎)

No Museum, No Life? ──これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会

会期:2015/06/16~2015/09/13

東京国立近代美術館[東京都]

国立美術館5館(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館)の作品を紹介する展覧会。どうせ予算がないから身内のコレクションをかき集めてお茶を濁そうって魂胆かと思ったら、これが意外なほどおもしろかった。構成は事典のようにAtoZ形式で、Architecture、Archive、Artistに始まり、X-ray、You、Zeroまで(最後は苦しいが)、各項目に沿って5館の所蔵作品と資料を公開しながら「美術館」のあれこれを解説している(新美術館はコレクションがないので資料のみの出展)。例えば「Artist」では、17世紀のクロード・ロランの版画《素描する芸術家のいる海辺》(西洋)から、竹内公太の「指さし作業員」でにわかに注目されるようになったヴィト・アコンチのビデオ《センターズ》(東近)まで、自画像を中心に紹介。「Curation」では、まさにこの展覧会の設計図が示され、その会場マケットが隣の「Discussion」に出ているリアム・ギリックの《ディスカッション・アイランド・レスト・リグ》(国際)のテーブル上に置かれ、入れ子状になっている。「Earthquake」には池田遙邨による関東大震災のスケッチ(京近)、宮本隆司による阪神大震災の記録写真(東近)、それにジャン・アルプがヨレヨレの線で描いた《地震による線のある頭部》(東近)や、免震台(西洋)まであるが、東日本大震災関連はない。まだコレクションされてないんでしょうね(常設展示室にはChim↑Pomの映像があったが)。注目すべきは「Money」で、ルーヴル美術館、MoMA、国立美術館5館合計の各収入と内訳をグラフで比較している。それによると、ルーヴルの収入は308億円で、その半分以上が国から出ているが、4割くらいは展示事業収入など自分で稼いでいるのに対し、MoMAの収入は190億円で、約3分の2を自分で稼ぎ、3分の1は基金運用益や寄付などに頼っている。日本の5館はどうかというと、収入は合計で121億円(5館合計でMoMAの3分の2以下!)、うち自分で稼いでるのは10分の1程度にすぎず、大半が交付金・補助金頼り。こんな自虐ネタさらして委員会? 最後に、もっともこの展覧会の利点を生かしたのが「Storage」。コレクションを有する4館が共通して持ってる藤田嗣治の絵画1点ずつを、その作品が保管されている収蔵庫の写真とともに展示しているのだ。注目したいのは、東近から出ている初期の《パリ風景》の下に、小川原脩による戦争記録画《アッツ島爆撃》が見えること。なんでテーマも制作年も名前も離れてるのに隣り合わせなんだろう? アッツ島つながりか? と考えてしまった。そういえば「War」がなかったな。

2015/06/15(月)(村田真)

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原田賢幸×山田裕介「あったもの。なくなったもの。おもいだせないもの。」

会期:2015/06/06~2015/06/28

高架下スタジオ・サイトAギャラリー[神奈川県]

ふたりの作品が混在しているが、全体でひとつの作品というわけではなさそうだ。原田は冷蔵庫の上半分を台の上に載せ、時間が来るとドアが開き、4カ所のスピーカから間延びした声が聞こえてくるというインスタレーション。山田は計4点の出品で、サイズも形も異なる4枚の鏡を壁から少し離して吊るし、モーターでわずかに動かしたり、壁に窓をつくって奥にモニターを仕掛け、映像を流したりしている。なにかおもしろそうなんだが、作品に没入する以前にコードが見えたり、窓枠が少しズレてたりするところが気になってしまう。この仕上がりの甘さこそ山田が大物であることの証かもしれないが。

2015/06/16(火)(村田真)

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深瀬昌久「救いようのないエゴイスト」

会期:2015/05/29~2015/08/14

DIESEL ART GALLERY[東京都]

深瀬昌久は2012年に78歳で亡くなった。1992年に事故で倒れて以来、ずっと療養生活を送っていたのだが、ついに社会復帰はかなわなかったのだ。その間、深瀬の作品の管理は「深瀬昌久エステート」がおこなってきたが、複雑な事情を抱えて機能不全に陥っていたため、展覧会や写真集の出版などの活動も途絶えがちになっていた。深瀬の没後、遺族の元にネガとプリントがいったん返却されることになり、準備期間を経て、その管理団体としてあらためて発足したのが「合同会社深瀬昌久アーカイブス」である。今回、東京・渋谷のDIESEL ARTGALLERYで開催された「救いようのないエゴイスト」展は、そのお披露目として開催されたものだ。
展示は「屠」(1963年)、「烏・夢遊飛行」(1980年)、「家族」(1971年~89年)、「私景」(1990~91年)、「ブクブク」(1991年)、「猫」(1974~90年)の6部構成、82点。代表作だけでなく、カラー多重露光による「烏」シリーズの異色作「烏・夢遊飛行」や、のびやかなカメラワークが楽しめる「猫」など、ほぼ未発表の作品も並んでいる。今回の展示のタイトルである「救いようのないエゴイスト」というのは、「アーカイブス」のメンバーでもある深瀬の元夫人、深瀬洋子(現姓は三好)が『カメラ毎日』別冊『写真家100人 顔と作品』(1973年)に書いたエッセイに由来する。だが逆に「エゴイスト」に徹することで、ここまで凄みのある作品に到達できたことがよくわかった。
「深瀬昌久アーカイブス」は、今後展示活動だけでなく、出版なども積極的におこなっていくという。今回の展示にあわせて、SUPER LABOから写真集『屠』が、roshin booksから猫の写真集『Wonderful Days』が刊行された。海外での展示も、今年のアルル国際写真フェスティバル、来年のテート・モダンでのグループ展参加などが決まっている。深瀬昌久の作品世界が、若い世代を含めて、より大きな広がりを持って受け入れられていくことを期待したい。

2015/06/17(水)(飯沢耕太郎)

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