artscapeレビュー

2015年10月01日号のレビュー/プレビュー

後藤靖香「かくかくしかじか」

会期:2015/09/04~2015/10/03

TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]

1982年生まれながら、戦争体験をテーマにした絵画を制作する後藤靖香。そのベースには、幼少期より祖父や大叔父から戦争体験を聞き、過酷な時代を生き抜いてきた人々の強さに惹かれた経験がある。作品はしばしば壁面を覆うほどの超大作となり、ダイナミックな線描も相まって圧倒的な存在感を放っている。本展では、戦争画家として従軍した藤田嗣治、松本竣介、小磯良平ら8名の画家をテーマにした作品を発表。プロローグ的なニュアンスが感じられ、今後このテーマがどこまで発展するかを期待させる内容であった。戦争を知らない世代が戦争を描く時、そこには必然的にリスクが発生する。後藤はそのリスクをどこまで跳ね返し続けることができるのだろうか。いや、そんなことを考える当方こそ、既成概念にとらわれているのかもしれない。

2015/09/04(金)(小吹隆文)

『テニスの王子様 青学vs聖ルドルフ』

会期:2015/09/05~2015/11/03

TOKYO DOME CITY HALL[東京都]

2004年に始まった「テニミュ」(『テニスの王子様』ミュージカル)は、しばしば「2.5次元ミュージカル」と呼ばれる。いまやその名は人口に膾炙するところとなり、「一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会」が設立されるほどにまで発展してきている。3次元(現実空間)と2次元(フィクション)との中間を意味する「2.5次元」とは、より具体的にはなにを意味するのか? 「物語を舞台に受肉させる」というだけならば、すべての劇は「2.5次元」ではないか。とりたててそう名づけるとき、舞台では一体なにが起きているのだろう。本上演は、まさにその点を図示するかのように始まった。一冊の本が舞台に落ちている。やんちゃな中学生たちが手にとり、読み始める。すると、舞台上に決めポーズをとった役者たちが現れる。と同時に背後のスクリーンには、役者のとったポーズと同じポーズをとる漫画絵が映る。なるほど、役者たちのポーズは(一般の演劇でもそうであるように)演出家によって施されたものというよりは、漫画のコマなどに描かれたポーズを基にしているわけだ。原作漫画はここでは単なる原作ではない。舞台が実現に注力すべき要素そのものなのである。言い換えれば、観客は舞台に漫画が具現することを、目前に「越前リョーマ」が、彼の部員仲間やライバルがそのままの姿で出現することを望んでいる。ファンは、キャラの具現化を重視するファンとキャラを具現化させる役者目当てのファンに二分されるのだそうだが、いずれにしても高解像度のキャラのリアリティは「2.5次元」にとって必須なのだ。
ところで、これはテニスの物語。いささかコミカルにも映る試合場面も含め、ラケットを振るう姿が何百回と繰り返される。ダンスと化した素振りは、歌舞伎の見得のように、独特のグルーヴを宿す。女性観客たちは、漫画という「フィルター」を被せた「男子の肉体の躍動」に興奮する。とはいえ、本当のテニス・プレイヤーとは異なる。もっといえば、役者たちは演技もダンスもけっしてうまいわけではない。ただの「茶番」だ。放課後の部活やサークルで生身の男子が肉体を躍動させているところを(チラとでも)見ているだろうに、それでも「フィルター」越しの鑑賞を若い女子たちは求める。この「フィルター」は、生身の男子に直面することを回避しつつ、限りなく接近することを許す。「テニミュ」とは、女子の欲望にとって最適化が施された場なのだ。物語は男子対男子の戦い。奇妙に偏ったホモソーシャルな世界を観客は傍観し続ける。物語が一旦終了するとショーが始まる。客席を役者たちは駆け回り、ハイタッチを観客と交わす。そうして観客と役者たちとは対面する。しかし、あくまでも彼らは役名のまま、表情を変えない。すべては「見る女性」の欲望に奉仕する。彼女たちの欲望を肯定する空間は、彼女たちが抱く生身の男子たちへの不安、恐怖、自信のなさを一旦棚上げにしてくれるのだろう。そうしたパラダイス空間を切望する女性たちから、彼女たちを容易に受け入れてくれない現実の過酷さが透けて見える。


【ダイジェスト映像】ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs聖ルドルフ


2015/09/08(火)(木村覚)

海峡を渡る布 初公開 山本發次郎染織コレクション ふたつのキセキ

会期:2015/09/09~2015/10/18

大阪歴史博物館[大阪府]

大正から昭和戦前にかけて大阪で活躍した実業家・山本發次郎(1887~1951)。彼は美術品コレクターとしても知られており、佐伯祐三や墨蹟のコレクションは有名だ。しかし、染織品のコレクションは知る人ぞ知るものであり、それらが脚光を浴びたという点で本展は意義深い。展示物はインド・東南アジアの染織品約100点+資料。19世紀の品が中心だが、17~18世紀の品も含まれており、なかには世界に2例しか現存しない超レア物もあった。それらの多くは布地のまま展示されているが、一部は上衣という衣装に仕立てられている。緯絣、紋織、バティック、更紗、印金などの技法が駆使された布地は美しく、エキゾチックな染織デザインの魅力をたっぷりと堪能できた。布地は傷みやすく保存が難しい。長年にわたり保存・修復作業を行ってきた所蔵元(大阪新美術館建設準備室)の労をねぎらいたい。

2015/09/08(火)(小吹隆文)

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六甲ミーツ・アート 芸術散歩2015

会期:2015/09/12~2015/11/23

六甲山カンツリーハウス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲ガーデンテラス、六甲有馬ロープウェー、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲ケーブル、天覧台、グランドホテル六甲スカイヴィラ、旧六甲オリエンタルホテル・風の教会、プラス会場[TENRAN CAFE][兵庫県]

六甲山上のさまざまな施設を舞台に現代アート作品の展示を行い、アートと六甲山の魅力を同時に満喫できるイベント。6回目を迎える今年は約30組のアーティストが出品し、会期中にはパフォーマンスやワークショップなど多彩な催しも行われている。筆者が毎年楽しみにしているのは、六甲高山植物園から六甲オルゴールミュージアムに至るルート。ここでは、貝殻のような陶の小ピースを森の中に散りばめた月原麻友美の《海、山へ行く》と、旧六甲山ホテルの電気スタンドを組み合わせて光と音がコール&レスポンスする久門剛史の《Fuzz》がお気に入りだった。また、六甲有馬ロープウェーで大規模なインスタレーションを行っている林和音の《あみつなぎ六甲》と、六甲ガーデンテラスで光とオルゴールを駆使した作品を夜間に展示している高橋匡太の《star wheel simfonia》もおすすめしたい。そして、今年にはじめて会場となった旧六甲オリエンタルホテル・風の教会では八木良太が音の作品《Echo of Wind》を出品しており、安藤忠雄建築との充実したコラボレーションが体験できる。作品、展示、環境、ホスピタリティが高いレベルで安定しているのが「六甲ミーツ・アート」の良い所。関西を代表するアートイベントとして、胸を張っておすすめできる。

2015/09/11(金)(小吹隆文)

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おおいたトイレンナーレ2015

会期:2015/07/18~2015/09/23

大分市中心市街地各所[大分県]

大分市の繁華街で催された芸術祭。昨今、都市型の芸術祭はおびただしいが、この芸術祭の特徴は「トリエンナーレ」ではなく「トイレンナーレ」という名称にあるように、会場をトイレに限定している点にある。だから来場者は市内に点在する公共施設から百貨店、雑居ビル、飲食店、商店、公園などにあるトイレを探し歩くことになる。もちろん、尿意を解消するためではない。作品を鑑賞するためである。
参加したのは、西山美な子や藤浩志、藤本隆行、眞島竜男、松蔭浩之ら、16組。トイレという狭い空間に展示する必要性がそうさせたのだろうが、大半の作品はサイズが小さく、たんなる装飾と化しているものも多い。そうしたなか、その狭小空間を逆手にとってひときわ強い印象を残したのが、「目」である。
「目」はアーティストの荒神明香、ディレクターの南川憲二、制作統括の増井宏文によるチーム。
先頃閉幕した「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2015」でもコインランドリーを使った作品を発表して大きな話題を呼んだ。今回、彼らが作品を展示したのは、商店街の一角にある寝具店。色とりどりの寝具が立ち並ぶ店内を抜けると、バックヤードの暗がりにトイレがあった。室内にはトイレットペーパーや神棚が置かれた、いたって普通のトイレだが、唯一風変わりなのは、ひとつの壁面に映像が投影されているところ。鉄道車両の先頭から撮影されたのだろうか、どこかで見た覚えのある景色が次々と流れていく。その記憶の源がこの寝具店の店内であることに気がついた瞬間、トイレの壁面に沿って小さな鉄道模型がゆっくりと通過していった。そう、彼らの作品は店内にNゲージの線路を縦横無尽に張り巡らせ、そこを走る鉄道模型から風景を撮影した映像をトイレで鑑賞させるというものだったのだ。
むろん映像を見ていると、まるで小人になったかのように、店内を移動していく楽しさがあるし、直線の線路の傍らにプラットフォームの模型が設置されているため、駅を通過するような感覚も味わえる。だが、この作品の醍醐味はそのような映像を、まさしくトイレという狭い空間で鑑賞するところにある。
トイレとは、言うまでもなく、他者の視線が遮られた、ごくごく個人的な空間である。だが、そのような没社会的な空間であるにもかかわらず、いやだからこそと言うべきか、人間の想像力はその密閉された空間を越えて、どこまでもはてしなく広がりうる。ひとつの肉体を収める程度の狭小空間を基点にしているからこそ、想像力は大きく飛躍すると言ってもいい。「目」の鉄道模型は、たんに狭い空間を有効活用した作品ではない。それは、私たちが常日頃トイレで繰り広げている孤独な想像力の軌跡を美しくなぞっているのである。

2015/09/12(土)(福住廉)

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2015年10月01日号の
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