artscapeレビュー

2015年10月01日号のレビュー/プレビュー

7つの海と手しごと〈第6の海〉──インド洋とスンバ島のヒンギ/ラウ

会期:2015/08/28~2015/10/04

世田谷文化生活情報センター 生活工房[東京都]

世界各地の暮らしとクラフトを紹介する「7つの海と手しごと」シリーズ。6回目となる今回はインドネシアのスンバ島でつくられているイカット(絣織)による衣服ヒンギとラウが取り上げられている。絣の織物を指す「イカットIKAT」という言葉は、インドネシア語で「括る」「結ぶ」を意味する。揃えた糸を織りたい文様に合わせて固く括って防染し、染めたあとに糸の束を解いて織る。絣織で一番手間が掛かるのはこの括りで、文様や色に合わせて解いたり括ったりの作業が繰り返され、図案によっては1カ月から4カ月もの時間を要するという。スンバ島のこの絣織には下絵が用いられず、作業に当たる女性たちは頭のなかに記憶されている構図のとおりに手を動かして糸を括っていくのだという解説には驚かされた。かつてイカットには手紡ぎの綿糸が用いられていたが、現在では機械紡績糸が中心。しかし括りや染め、織りは手作業で行なわれている。織り手は多いが、括りができる女性の数は年々少なくなっているのは、やはりその技術が複雑で手間が掛かるものだからだろうか。伝統的な技術の継承者不足はどこでも同じ課題のようだ。ヒンギとラウは、いずれも絣織による正装衣装で祭祀や儀式などの場で着用される衣服。ヒンギは一枚布でできた男性用の腰巻き・肩掛け、ラウは筒状に縫い閉じた女性用の服である。祖先崇拝や精霊信仰のシンボルが文様となっており、そこにはインドの更紗や中国の陶磁器に描かれた文様の影響も見られるという。手間が掛かり高価なイカットは、貨幣の代わりに贈り物になったり、家畜と交換されたりもするのだという。展示品は染織作家の渡辺万知子氏が1972年以来蒐集してきたもの。ヒンギ、ラウの実物のほか、関連する工芸品、スンバ島の暮らしや文化が紹介されており、これらの織物がたんなる商品ではなく人々の生活に深く根差したクラフトであることが示されている。[新川徳彦]

2015/09/12(土)(SYNK)

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フェスティバルFUKUSHIMA! presents 納涼!盆踊り in TodaysArt.JP 2015 TOKYO

会期:2015/09/12

東京海洋大学 グラウンド特設会場[東京都]

大友良英のPROJECT FUKUSHIMA!が、「オランダ発の最先端アートの祭典『TodaysArt.JP 2015』」の関連企画として、東京海洋大学で行なわれた。「3.11以後のアート・プロジェクト」と「最先端アートの祭典」と「東京海洋大学」との関連は希薄で、夕方にまだまばらな観客たちとプロジェクトFUKUSHIMA!盆バンドをしゃがんで聞いているころは、その「とってつけた」感じに馴染めずにいた。次第に音頭の演奏となり、観客は踊り手となって櫓を囲み踊りだす。すると、温泉に浸かっているような、じわじわと心と体がほぐれるような感触が訪れた。それが島根の盆踊りだとしても、自分の体の中にあるなにかが触発されて「腑に落ちた」気持ちになってくる。盆踊りによって自分の眠っていた「日本的身体」を目覚めさせられた、とまでいってよいのかわからないが、そんな錯覚に陥る。珍しいキノコ舞踊団が踊りをサポート。彼女たちらしい振りのコミカルさかわいさには、自分は「腑に落ちた」気持ちになれず。だが、伝統的な踊りばかりでは「ただの盆踊り」になってしまう。土地のものと最新の感性とが混じり合って、その土地の魅力を消さずに洗練されたものを生み出す、そんな大地の芸術祭に感じた「年季」みたいなものが、いつかこの「盆踊り」からも滲んでくるとよいのでは、と思わされる。その後、DJフクタケが、歌謡曲やアニソンのなかの隠れた音頭ソングを1時間超、かけ続けた。その楽曲の多いこと! 100年前、50年前ではなく、多くは20~30年前のものだ。今日の日本人も、ことあれば音頭を聴きたがってきた、そんなことがわかるプレイだった。いよいよ、大友良英のバンドによる音頭に編曲した『あまちゃん』関連曲が演奏されると、『あまちゃん』へのなつかしさに「ふるさと」を感じて、踊りが勢いづく。そんな仕掛けも巧みだが、ふるさとを奪われ傷つけられた「福島」が、誰もが自分の「ふるさと」であるかのように思いをはせる場「FUKUSHIMA」へと変貌していくとしたら、この「盆踊り」は土地に根ざさずとも永続する祭りとなるかもしれない。

2015/09/12(土)(木村覚)

井川健個展

会期:2015/09/05~2015/09/13

祇をん小西[京都府]

流麗な曲線美を特徴とする井川健の漆オブジェ。しかし新作は、クワガタムシを思わせる一対の角のような形状や、老木の樹皮のような複雑な凹凸を持つフォルムへと変化していた。実はこれらの素材はヤシの葉。井川が現在住んでいる佐賀には街路樹としてヤシが植えられており、風の強い日の後にはヤシの樹皮が道路に落ちているのだという。本作は、形状の面白さはもちろん、複雑な形状での漆の仕上げなど、技術的な見所も多い。井川が京都から佐賀に移って約7年、地元の素材を駆使することにより、彼は新たな段階に入った。

2015/09/12(土)(小吹隆文)

パラレルワールド または私は如何にして世界を愛するようになったか

会期:2015/09/09~2015/10/18

京都芸術センター[京都府]

ベテランと若手が出会い、互いに触発し合うことをテーマとする展覧会。今回はフランス出身のピエール=ジャン・ジルーと、アメリカ出身のカンガワ ユウジンが、対照的な映像作品を見せてくれた。ジルーの作品は、1959年に黒川紀章らが提唱したメタボリズムの建築を、現代の東京に挿入したもの。実写とCGを組み合わせた精密な映像は、不思議なリアリズムと祝祭感をもって見る者に迫る。一方カンガワは東北の山岳信仰を取材し、冬の雪山や森、植物、滝などと、天体の運行を捉えた映像を表裏2面のスクリーンで同時に上映。水墨画を思わせる渋いモノクロ映像で、一種形而上とも言える世界を出現させた。ともに日本で取材をしながら、まったく逆方向とも言える対照的な世界観を見られるのが本展の面白さである。

2015/09/15(火)(小吹隆文)

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ムサビのデザインV──1960-80年代、日本のグラフィックデザイン

会期:2015/09/01~2015/11/07

武蔵野美術大学美術館[東京都]

2011年から続く「ムサビのデザイン」シリーズ。これまで武蔵野美術大学が所蔵する歴史的なグラフィックデザイン、プロダクトデザインが紹介されてきた。5回目の今年は昨年同大学に寄贈された4人のグラフィックデザイナーたちのポスター作品約150点により、1960年代から80年代までのグラフィックデザインに焦点が当てられている。永井一正(1929-)、田中一光(1930-2002)、福田繁雄(1932-2009)、石岡瑛子(1938-2012)──活躍した時代は概ね重なり合うものの、4人4様、それぞれスタイルが異なるように見えるデザイナーたちの30年にわたる作品を通観したときに見えてくるものはなんなのか。本展の監修者である柏木博・武蔵野美術大学教授は1960年代末から70年代前半が日本のグラフィックデザインの変容の時期であることを指摘している。すなわち、モダンデザインの時代、デザインに普遍性が求められた時代に対する疑問、それまでのデザインのコードから脱しようという動きがこの時代に現われ、その後の日本のグラフィックデザインに多様な表現が生み出される契機となったことが、戦後第2世代の4人のデザイナーたちの作品とその変容に見えてくるとする。もうひとつ指摘されている点は、技術的な変化がデザインに与えた影響である。デザインの現場、とくに広告の分野におけるアートディレクター制度の導入はデザイナー、イラストレーター、フォトグラファー、コピーライターらの協業による新しい表現を生み出していった。またこの30年間に印刷表現も大きく変化した。シルクスクリーンとオフセットとでは表現可能なスタイルが大きく異なることはもちろん、オフセット印刷における製版技術の進歩は、とくに写真表現を自在に、そして豊かなものに変えていった。石岡暎子のポスター、福田繁雄の実験的作品を見ると、印刷技術が表現に密接に影響していた関係が顕著に見える。そして、技術進歩によって生まれた多様な表現の可能性はまた脱モダンデザインの展開と軌を一にしていたことが同時に見えてこよう。
 本展のポスター、チラシ、図録には各々のポスターから解析された色の面積比がカラーチャートとして、縦軸を年代として配している。チャートの一部が左右にずれているのは印刷技法の違いを表しており、左端からオフセット、スクリーン、グラビアである。展示室の作品キャプションの左端にもこのチャートが配されており、作品の当該年度のみがカラーで、それ以外の部分は半調で示されており、作品の年代が把握できる仕掛けだ。デザインは中野デザイン事務所の中野豪雄氏。[新川徳彦]

2015/09/17(木)(SYNK)

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2015年10月01日号の
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