artscapeレビュー
2018年04月15日号のレビュー/プレビュー
猪熊弦一郎展 猫たち
会期:2018/03/20~2018/04/18
Bunkamura ザ・ミュージアム[東京都]
美術家や文豪にはなぜか猫好きが多い。熊谷守一や朝倉文夫などが記憶に新しいが、猫ブームも相まって、彼らの猫作品に焦点を当てた展覧会が近頃よく開かれている。美術に詳しくない者でも、猫を媒介にその美術への興味を持てるのだから、猫は偉大である。画家の猪熊弦一郎も部類の猫好きで知られていた。それも「いちどに1ダースの猫を飼っていた」というから半端ではない。本展は、タイトルどおり、猪熊が描いた「猫たち」に注目した内容だった。
猪熊が猫を飼い始めたきっかけは、もともと、妻が猫をかわいがり始めたことにある。猪熊の作品には妻をモデルにした人物画が多くあるが、最初は妻のそばに猫がたまたまいたため、ついでに猫も描いたという程度であった。それが多くの猫に囲まれて生活をするようになると、どんどん積極的に猫を描くようになる。戦前、パリに滞在してアンリ・マティスに師事していた頃は、マティスの影響を強く受けた色鮮やかな具象絵画のなかに猫を忍ばせた。また戦後、猪熊はニューヨークに渡って抽象絵画で大成するのだが、その移行期とも言える具象と抽象が入り混じった絵画を描いていた頃は、猫の姿形も徐々に抽象化されていった。このように自身の画風に合わせて、猫の絵も変化していったところが面白い。猪熊は猫を描くときに「写生したことはなかった」と言うほど、頭の隅々にまで猫の生態や特徴、さまざまなポーズが刻み込まれていたようだ。だからこそ、猫を題材に自由な絵が描けたのである。
猪熊が生前に作品を寄贈した丸亀市猪熊弦一郎現代美術館には、猫の絵だけでも約900点収蔵されているという。これら猫の絵のなかにはカンヴァスにきっちりと描かれた油彩画もあれば、スケッチブックにペンや鉛筆でさっと描かれた絵もある。むしろ後者の方が多いだろう。本展も大半がそうであった。最初は何かの作品の下絵なのかと思ったが、そうではない。まるで子どもが描いた絵のようにも見えるし、そのときのひらめきや思い付きを留めておくための備忘録のようにも見える。そのあまりの力の抜け具合に、思わず微笑んでしまう絵が多かった。このように猪熊が猫の絵をスケッチブックにさっと描いた行為はきっと、現代の私たちが猫をスマホで撮ってInstagramに写真を上げるような行為に近いのかもしれない。
公式ページ:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_inokuma/
2018/03/28(杉江あこ)
ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜
会期:2018/01/23~2018/04/01
東京都美術館[東京都]
昨年から「ブリューゲル『バベルの塔』展」「ベルギー奇想の系譜」「ルドルフ2世の驚異の世界展」と、ブリューゲル作品が何点も公開されている。いよいよ世もマニエリスム期に入ってきたか。ところで、ご存知のようにブリューゲルといっても1人ではない。あの《バベルの塔》を描いた有名なピーテル・ブリューゲルの子孫の多くも画家になったため、単に画家のブリューゲルでは区別がつかない。しかもややこしいことに、ピーテルの長男は同じくピーテルという名で、次男はヤンだがその息子(ピーテルの孫)がまたヤンといい、その息子にヤン・ピーテル・ブリューゲルというのがいるから、もうヤンなっちゃう。以前、長男のピーテルは地獄図を描いたから「地獄のブリューゲル」、次男は花の絵を得意としたので「花のブリューゲル」と称されていたが、近年は父親をピーテル・ブリューゲル(父)、長男をピーテル・ブリューゲル(子)、次男をヤン・ブリューゲル(父)、その息子をヤン・ブリューゲル(子)と表記するようになった。でもそうすると、兄弟の兄が「子」で弟が「父」になってしまい、こりゃ変だというので今回は1世、2世と表記している。
さて、本家のピーテル1世は油彩画を約40点しか残してないため、所蔵先はなかなか日本には貸してくれない。今回も他者の筆が入った油彩の共作が2点、1世が下絵を手がけた版画が9点のみで、真筆の油彩は1点もない。いちばん多いのはヤン1世と2世で、全101点の出品作品のうちおよそ半分を占める。出品作家は一族の周辺の画家も含めて10人以上いるのに、この偏りはなんだろう? これと関連してか、所蔵先が明記してあるのは5点のみで、残り96点は匿名の「個人蔵」になっている。この「個人」が同一人物なのか複数いるのか、どこの人なのかわからないが、想像するにワケあって名を明かせないヤン・ブリューゲル大好き人間ではないか。ちょっと興味を惹かれる。
2018/03/29(村田真)
contact Gonzo × 空間現代
会期:2018/03/30~2018/03/31
外[京都府]
空間現代コラボーレションズ2018の第3弾。空間現代の本拠地であるスタジオ兼ライブハウス「外」の中央には台座が置かれ、その上にベニヤで覆われた直方体が鎮座していた。天面からは木の枝やオレンジ色に塗られた木片、あるいは何かのコードが飛び出している。オブジェを囲むビニールカーテンの外には空間現代、内にはcontact Gonzo。「演奏」が始まる。
ゴンゾの面々はハンマーや木片でオブジェを殴打する。打撃音がスピーカーからも聞こえてくる。天面から出ているコードはどうやらマイクにつながっているらしい。オブジェの周囲のベニヤが破壊され、その正体がコンクリートconcrèteの塊だということが露わになる。
今回のコラボレーションはゴンゾ&空間現代版ミュジック・コンクレートmusique concrèteだ。ミュジック・コンクレートは楽音のみならず自然界の音や人の声など、あらゆる音を電子的に録音・加工・構成することでつくられる。破壊音もまた音楽の一部となる。
合間にいつもの取っ組み合いを挟みつつ破壊は続く。電動ドリルまでもが登場し、コンクリート片が飛散する。コンクリート塊からはテニスボールや木片、ビニール袋、人の頭部をかたどったオブジェなどが「発掘」される。文字通りのファウンド・オブジェ。だがそれはもちろんあらかじめ埋め込まれたモノたちだ。無機質な直方体だったコンクリート塊は、いつしか彫刻のように削られている。
「解体=創造=(再)発見」の等式は空間現代の音楽に由来する。彼らの楽曲はいくつかのフレーズを解体、編集しながら反復することで構成されている。それを聞く観客は、反復される無数のバリエーションを通してオリジナルのフレーズを見出すのだ。繰り出される演奏の一撃一撃が、ハンマーのように空間現代の音楽を削り出す。
二日にわたる解体=創造のレコードたる「ミュージック・コンクリート」はその後、当日の演奏を複数のスピーカーで再構成した音とともに「3.30-31 Aftermath」として「外」に展示された。
contact Gonzo:http://contactgonzo.blogspot.jp/
空間現代:http://kukangendai.com/
「外」:http://soto-kyoto.jp/
2018/03/30(山﨑健太)
阿部展也—あくなき越境者
会期:2018/03/23~2018/05/20
広島市現代美術館[広島県]
戦時中に国威発揚を目的として描かれた戦争画に対して、戦後になって戦争の悲惨な光景や途方に暮れる心情を表わした絵を「敗戦画」と呼んでみたい。鶴岡政男《重い手》、北脇昇《クォ・ヴァディス》、丸木位里・俊《原爆の図》などがそれに当たる。あばら骨の浮き上がった男たちが横たわる阿部展也の《飢え》も、その代表的な1点に挙げていいだろう。実は私、恥ずかしながら阿部展也の作品はこれしか知らなかった。いったいどんな画家だったのか? てわけで、わざわざ広島まで足を延ばすことにしたのだが、行ってガッカリ、夏には新潟市美、秋には埼玉近美に巡回するではないか! 早く言ってよ。
阿部は大正に改元されて間もない1913年生まれ(なんと、同い年の篠田桃紅はまだご健在!)。独学で絵と写真を学び、キュビスムおよびシュルレアリスム風の絵を描いていたが、その後ほとんど焼失してしまう。太平洋戦争が始まると陸軍宣伝班として徴用されてフィリピンに従軍したものの、画家としてではなく写真家としてだった。敗戦で捕虜になり、翌年帰国。ここから約10年間は戦前からの有機的なフォルムに人のかたちを重ねたグロテスクな人間像が多く、《飢え》もそのころの作品だ。ところが50年代なかばから抽象化が進み、1957-58年の欧米旅行を機にアンフォルメルに移行。その後もエンコースティックを用いたマチエール豊かな抽象、楕円や多角形をモチーフとするやや錯視的なハードエッジの色面構成とめまぐるしくスタイルを変化させていく。
しかしこの変貌ぶりが腰軽に映ったのか、阿部の後半生の作品はあまり評判がよくない。スタイルが変わること自体は悪いことではないけれど、阿部のめまぐるしい変化はまるで時流に合わせているように見えるのだ。もうひとつ、彼は5年間のフィリピン生活で身につけた英語力を買われて海外の調査や国際交流に時間を割き、また写真の撮影や評論の執筆と多方面で活躍し、晩年はローマに永住したが、このように活動の幅を広げすぎたことも彼の仕事の捉えがたさにつながったのかもしれない。こうして見ると、もっとも独創的で心に残るのは、やはり《飢え》をはじめとする敗戦後10年間のグロテスクな人間像ということになる。
2018/03/31(村田真)
コレクション・ハイライト+特集「女たちの行進」
会期:2018/02/24~2018/06/17
広島市現代美術館[広島県]
コレクション展示室では1階で「コレクション・ハイライト」、B1で特集「女たちの行進」を開催。「ハイライト」のほうはマルセル・デュシャンの《フレッシュ・ウィドー》、ヘンリー・ムーアの《アトム・ピース》、レオン・ゴラブの《ベトナムⅢ》、篠原有司男の《オートバイX-50》など男性作家のみで、マッチョな作品が目立つ。対してB1の「女たちの行進」はもちろん女性作家ばかり。このタイトルは昨年、女性差別的な発言を繰り返すマッチョの固まりみたいなトランプが大統領に就任した直後、全米各地で繰り広げられた「ウィメンズ・マーチ」に由来するものだが、とくにジェンダーやフェミニズムに関連する作品を集めたわけではない。草間彌生のファロス的造形や石内都のモチーフの選択は女性ならではのものだが、ルイーズ・ニーヴェルソン、アグネス・マーチン、田中敦子らの作品からは女性性はあまり感じられない。
一方、女性差別を解消しようという運動はしばしば反戦・反核運動とも結びつく。その代表格が同展最多の6点を出しているナンシー・スペロで、ナチスに対するレジスタンス運動に加わり処刑されたユダヤ人の女性像《マーシャ・ブルスキナ》は、同展のリーフレットの表紙にも使われている。ちなみに彼女のパートナーは1階でベトナム戦争を主題にした大作を出しているレオン・ゴラブで、ともに1996年にヒロシマ賞を受賞した(すでに2人とも故人)。広島市現代美術館ならではのアーティストであり、大きく扱われるゆえんだ。
2018/03/31(村田真)