2023年01月15日号
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artscapeレビュー

2022年04月15日号のレビュー/プレビュー

第25回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展

会期:2022/02/19~2022/05/15

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

公募展や団体展というのは回を重ねるにつれマンネリ化していくものだが、この「岡本太郎現代芸術賞(太郎賞)展」は例外で、20回を超えてからもますます尖ってきているように見える。今回は会場に足を踏み入れたとたん、まるでお祭り騒ぎに巻き込まれたようなにぎやかさに圧倒された。伝説でしか知らないが、この過激さは読売アンデパンダン展(以下、読売アンパン)の末期に近いのではないか。

最初に目に入るのは、長さ6メートルもの巨大なバナナの皮。三塚新司の《Slapstick》だ。バナナの皮といえば、たぶん世界中で通用するグローバルなお笑いアイテムのひとつだが、これほど大きなバナナの皮だと、どれだけ巨大な存在をスベらせ、どれだけ笑いを誘うのか、想像するだけで楽しい。表現があまりにリアルでストレートすぎる嫌いはあるが、中身のない皮だけを、空気で膨らませたバルーンで再現するという転倒ぶりも笑える。これは岡本敏子賞。バナナの向こうには、赤と黒を基調にした数十点の絵が壁一面に掛けられている。と思ったらすべて刺繍作品だった。吉元れい花の《The thread is Eros, It’s love!》で、中央に「糸」「エロス」「愛」という文字を据え、花や人の図像が刺繍されている。なんだか怪しい雰囲気。こちらは岡本太郎賞を受賞。

近年はこのように、絵画や立体を壁や床いっぱいに並べる見せ方が増えている。特にこの大賞展は縦横奥行きが各5メートル以内という規定があるので、壁3面のブースの正面にメインの作品を飾り、周囲に小さめの作品を並べるという形式がここ数年ブームのようになっている。昨年、大賞を受賞した大西芽布も、一昨年の大賞受賞者の野々上聡人もそうだった。今年も、麻布の人形(ひとがた)を並べた村上力(特別賞)、植物をモチーフにしたタブローの井下紗希、鎖国をテーマにした墨絵の平良志季、シュルレアルなフォトコラージュを何百枚も貼り出した出店久夫らはほぼ同じ形式で見せている。逆に、以前よく見かけた巨大なタブローや彫刻を1点だけ見せる例はめっきり減り、今回は三塚のバナナくらい。

このように作品を集積する見せ方が、お祭り騒ぎのようなにぎやかさを醸し出していることは間違いない。ただし、この傾向が入選しやすいとか受賞しやすいといった理由で増えているとしたら、ちょっと残念な気がする。先に読売アンパンと比べたが、決定的に違うのは、読売アンパンは出品作品に規定がなく(末期には規定が設けられたが)、いかに他人と異なっているか競い合っていたのに対し、こちらの大賞展の作品は、あらかじめサイズや素材などが規定内に収まった入選作であり、賞があるせいか今回のようにあるひとつの傾向に流されやすいことだ。いってみれば「お行儀のいい過激派」。これも時代の流れだろうか。



展示風景[筆者撮影]


2022/04/03(日)(村田真)

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豊吉雅昭「MONOCLE VISION」

会期:2022/04/04~2022/04/16

Art Gallery M84[東京都]

豊吉雅昭は緑内障という難病に罹り、左目の視野をほとんど消失した。今回Art Gallery M84で展示された「MONOCLE VISION」は、その彼が「見えない自分の視界を表現すること」をめざして、2016年開始したシリーズである。「目が霞む」「信号はどこに」「乱れた映像」といった直截なタイトルを付した作品群では、都市風景をモザイク状に切り刻み、再構築している。いつか完全に失明してしまうのではないかという不安感に裏打ちされたそれらの画像は、切実な緊張感を湛えており、見る者を豊吉の視覚世界に引き込んでいく強度を備えていた。最初は道ゆく人などをブラして撮影していたのだが、逆にピントをシャープにすることを心がけ、ネガ画像なども積極的に取り込むことで、彼の意図がよく伝わる写真シリーズとなったのではないかと思う。

豊吉がこのシリーズを撮影し始めたきっかけは、神経系の病で指が動かなくなり、7本の指だけで演奏を続けているピアニスト、西川梧平と出会ったことだった。西川が自分の病気を「ギフト」と称していることに強い共感を抱いたのだという。確かに、身体的なハンディは表現者にとって大きなリスクとなるが、逆に創作活動の幅を広げ、思いがけない可能性を拓く場合もある。豊吉の作品が、これから先どんなふうに変わっていくのかが楽しみだ。

2022/04/07(木)(飯沢耕太郎)

深沢次郎「よだか」

会期:2022/04/07~2022/04/28

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

深沢次郎は、3年前に「親友」を失った。9年前に事故で左目を失明し、5年前には脳梗塞で半身麻痺となった彼の死をきっかけとして、深沢はその記憶を辿り直すように、ともに過ごした長野県の山中に踏み込んでいった。今回、コミュニケーションギャラリーふげん社で展示され、同名の写真集も刊行された「よだか」は、そのようにして形をとっていった写真シリーズである。

小説家、俳人でもあった彼が生業としていた炭焼きの炎、冷たく結晶する氷柱、鹿狩りの血の色、そして満天の星──深沢がそこで目にしてカメラを向けた森羅万象が、友の死の影を纏っているように見えてくる。とはいえ、それらはまた、みずみずしい再生の気配を漂わせるイメージと隣り合っており、両者が渾然一体となって、深みのあるレクイエムが聞こえてくるように織り上げられていた。

会場構成も、作品の内容とよく釣り合っており、大小の写真を、共振するように壁にちりばめている。どこか教会を思わせるふげん社のギャラリー空間がよく活かされていて、隅々まで深沢の張り詰めた造形意識が行き届いた展示だった。深沢は2009年にPGIで個展「In the Darkness」を開催するなど、力のある写真家だが、このところあまり積極的に作品を発表していなかった。「よだか」はその意味で、ひとつの区切りとなる仕事といえるだろう。その死生感。自然観を充分に発揮できる環境が整いつつあるのではないだろうか。

2022/04/07(木)(飯沢耕太郎)

竹下光士「GEOSCAPE MTL 中央構造線」

会期:2020/04/05~2022/04/18

ニコンプラザ東京 THE GALLERY[東京都]

竹下光士は2016年ごろから「撮影テーマを地形・地質に絞り、自らを『地形写真家』と名乗る」ことにした。風景を地形学、地質学的に見る写真を撮るということだが、そのユニークな視点は、発見の驚きと歓びを感じさせるものになっていた。

今回のニコンプラザ東京 THE GALLERYに出品されたのは、彼自身が「GEOSCAPE」(商標登録しているそうだ)と呼ぶ写真シリーズの第一弾である。日本列島を東西に貫く中央構造線(Median Tectonic Line=MTL)をテーマとして、「領家変成帯」の白色の花崗岩群と、「三波変成帯」の緑色の結晶片岩群が剥き出しのまま隣り合っている、長野県大鹿村の「安康露頭」にカメラを向けた。「安康露頭」を50枚に分割して撮影したパネル群が正面の壁に展示され、その左右に、それぞれ花崗岩と結晶片岩の組成を持つ日本各地の地形の写真を並べている。それらを見ると、地形学や地質学に関心のあるもの以外には縁の遠いものと思われがちな「中央構造体」の姿が、くっきりと浮かび上がってくる。不可視の存在を可視化することができるという写真の機能を見事に活かした、卓抜なプロジェクトの成果といえるだろう。

それらはたしかに「研究者と一般を繋ぐ架け橋」の役割を果たすものだが、それだけではなく、風景写真としての面白さも充分に楽しむことができる。地形学や地質学の知識を踏まえて風景に対峙することで、新たなものの見方が生まれつつあるのではないだろうか。竹下はさらに塩類の風化を扱った「GEOSCAPE Tafoni」、火山としての富士山をテーマにした「GEOSCAPE Volcano FUJI」も準備中だという。それがどんなものになるのか、大いに期待できそうだ。なお、本展は2022年5月6日~5月18日にニコンプラザ大阪THE GALLERYに巡回する。

2022/04/07(木)(飯沢耕太郎)

前田英樹『民俗と民藝』、沢山遼『絵画の力学』、北大路魯山人『魯山人の真髄』

著者、書名:前田英樹『民俗と民藝』
発行所:講談社
発行日:2013/04/10

著者、書名:沢山遼『絵画の力学』
発行所:書肆侃侃房
発行日:2020/10/17

著者、書名:北大路魯山人『魯山人の真髄』
発行所:河出書房新社
発行日:2015/08/06

先日閉幕した「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(東京国立近代美術館、2021年10月26日〜2022年2月13日)をきっかけとして、民藝が新たに脚光を浴びている。柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司の3人が「民藝」という言葉を考案したのが1925年のことであるから(翌1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表)、いまや民藝の歴史もほぼ一世紀を数えることになる。そうした節目であることに加え、昨今の時代の趨勢もあり、民藝をめぐる入門書や専門書の類いはここのところ百花繚乱の様相を呈している。そこで今回は、あえて新刊書に限定することなく、いわゆる「民藝」を論じたものとしては見落とされがちな幾つかの書物を取り上げることにしたい。

前田英樹『民俗と民藝』は、柳田國男(1875-1962)と柳宗悦(1889-1961)という「互いにほとんど通い合うところがなかった」2人の仕事を、「輪唱のように」歌わせることに捧げられた書物である(同書、3頁)。著者は、柳田の民俗学と柳の民藝運動に共通の土壌を「原理としての日本」という言葉で言い表わしている。ただし、著者もことわっているように、ここでいう「原理としての日本」とは、狭隘な日本主義や日本特殊論とはいかなる関係もない。それは、近代化の過程で抑圧されてきた数ある伝統のうち、かつてこの列島に存在した何ものか──たとえば「稲」に対する強い信仰──を名指すための暫定的な言葉である。

同書は『民俗と民藝』と題されているだけあって、柳田國男による民謡の採集にまつわるエピソードから始まったかと思えば、いつしか柳宗悦による李朝陶磁の発見をめぐる話題へと転じるなど、「民俗学」と「民藝運動」をまたぐその構成に大きな特徴がある。なかでも強い印象を残すのは、この2人の仕事や思想を記述する、その力強い筆致であろう。本書をぱらぱらとめくればすぐさま明らかになるように、その文体は、ごく整然とした伝記的な記述とは一線を画している。柳についてのみ言えば、著者の眼目は、柳が李朝陶磁と木喰仏との出会いを通じていったい何を「発見」したのか、というそもそもの始まりを復元することにある。まるでその場に立ち会ったかのような迫真的な記述は好みが分かれるだろうが、すくなくとも本書は、民藝思想の始まりにいかなる「原光景」が存在したのかを、われわれの目にまざまざと映し出してくれる。

沢山遼『絵画の力学』には、柳宗悦論である「自然という戦略──宗教的力としての民藝」が収められている(初出『美術手帖』2019年4月号)。同論文は、柳の思想における「芸術」と「宗教」という二つの立脚点に照準を合わせ、この両者の不可分な関係を批判的に論じたものである。知られるように、初期のウィリアム・ブレイク研究から、晩年の一遍上人研究にいたるまで、思想家・柳宗悦の核心にはつねに宗教をめぐる問いがあった。1920年代に誕生した「民藝」の思想が、それを放棄するのではなくむしろ深化させたということも、柳のその後の著述活動から知られる通りである。

沢山の前掲論文は、こうした柳の宗教=芸術思想に対する、ある重大な臆見を拭い去るものである。柳は、わずかな個人の天才性に依拠する近代芸術を退け、むしろ中世のギルド的な生産体制を評価した。こうしたことから、今も昔も、柳の民藝思想は近代芸術のまったく対極にあるものと見なされるきらいがある。しかしながら、宗教や神秘主義への関心は、柳と同時代の抽象芸術にもしばしば見られるものである。具体的に挙げれば、青騎士(カンディンスキー)やシュプレマティスム(マレーヴィチ)のような同時代の美術実践・思想は、民衆芸術や神智学を通じた「現実の階層秩序」の解体や無効化をめざすという点で、柳の民藝思想と大きな親和性を有している(同書、324頁)。

民藝運動が、従来の近代芸術へのアンチテーゼであったとする見方は、以上のような視点を欠いたごく一面的なものにすぎない。沢山が「階層秩序の脱構成」と呼ぶこの視点を確保することによってこそ、柳宗悦の思想を同時代の美術潮流のなかにただしく位置づけることが可能になる。これに加え、最初の著書である『科学と人生』(1911)において心霊現象やテレパシーに関心を寄せ、やがて主体なき「自動性」に基づく芸術生産を謳うことになった柳の民藝思想が、シュルレアリスムの「自動記述(オートマティスム)」と同時代的なものであるという指摘も示唆的である。

最後に、柳宗悦の同時代人である北大路魯山人(1883-1959)の著作を挙げておきたい。古今の書画に通じ、すぐれた料理家・美食家でもあった魯山人は、柳をしばしば舌鋒鋭く批判したことでも知られる。過去の偉大な思想は、しばしば過剰なまでの神秘化を呼び招くものだが、柳を批判する論敵・魯山人の筆は、等身大の人間としての柳宗悦の姿をわれわれに伝えてくれる。

それだけではない。幼少より書画の分野で才覚を発揮した魯山人は、1926年、43歳のときに鎌倉で本格的な作陶を開始する。これは柳らが「日本民藝美術館設立趣意書」を公表したのとほぼ同時期のことであった。柳宗悦と北大路魯山人と言えば、人格的にも思想的にも対極的な人物と見られるのが常である。しかし、平野武(編)『独歩──魯山人芸術論集』(美術出版社、1964)などに目を通してみれば、読者はそこに「自然」を唯一無二の範とするこの人物の芸術思想をかいま見ることができる。それは柳の言う「自然」──沢山の前掲書を参照のこと──と、いったいどこまで重なり合い、どこで袂を分かつのか。生前、民藝運動を批判して止むことのなかった魯山人だが、『魯山人の真髄』に所収の「民芸彫刻について」や「柳宗悦氏への筆を洗う」をはじめとする論攷を傍らに置いてこそ、民藝そのものもまた新たな姿を見せるのではないか。魯山人が生前に書き残したものは、平野雅章(編)『魯山人著作集』(全三巻、五月書房、1980)にまとめられているほか、主だったものは『魯山人味道』『魯山人陶説』『魯山人書論』(中公文庫)などでも読むことができる。

2022/04/09(土)(星野太)

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