artscapeレビュー
2022年04月15日号のレビュー/プレビュー
陸前高田の震災遺構と復興遺構
[岩手県]
1年半ぶりに陸前高田市を訪れた。前回は《高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設》がフルオープンしておらず、内藤廣が設計した《東日本大震災津波伝承館》(2019)と《道の駅高田松原》(2019)、海へと向かう《祈りの軸》(2019)を含む、中心部のみが公開されていたため、今回は初めて全体のエリアを歩いた。特筆すべきは、震災遺構となった旧道の駅であるタピック45、ユースホステル、奇跡の一本松などを間近に見ることができるようになったこと。特にタピック45は、伝承館─道の駅から続く《復興の軸》(2019)を受け止める重要な場所である。公園内では、土砂を運び、かさ上げの復興工事を支えた巨大なベルトコンベアーのコンクリートの基礎も、いくつか点在する。ただし、なぜかあまり現地で説明はないため、これも震災遺構だと勘違いされるかもしれない。ちなみに、これの位置づけとしては「復興遺構」となる。またガラスが破れ、室内は津波がぶち抜いたものの、構造体は残った5階建ての旧下宿定住促進住宅も、震災遺構として整備された。地形は完全に変わってしまったが、いくつかの建築が残ることによって、11年前の3月末に現地で目撃した被災直後の風景を思い出すことができた。もっとも、安全のため、いずれの震災遺構も内部に入ることはできず、外からの見学のみである。
前回はコロナ禍のため、子育て支援施設のエリアが閉鎖されていた、隈研吾の《陸前高田アムウェイハウス まちの縁側》(2020)も再訪した。その隣には内藤廣の設計による《陸前高田市立博物館》が完成しており、やはり速いスピードで街が変化している。ただし、オープンは今秋らしい。道路を挟んで向かいの商業施設のエリアでは、かさ上げのために、いったん解体した、《みんなの家》(2012)の再建プロジェクトも開始していた。第13回ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展(2012)の日本館の展示では、金獅子賞を獲得したもっとも有名なみんなの家である。興味深いのは、陸前高田市において建築めぐりスタンプラリーが始まっていたこと。なるほど、復興を通じて、数々の有名建築家が作品を手がけている。釜石市でも、こうした復興建築を新しい街の財産として、今後どのように紹介するか考えていたが、ここでも同じような試みがなされていた。
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大船渡、陸前高田、気仙沼をまわる|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2020年09月15日号)
2022/03/14(月)(五十嵐太郎)
石巻の震災遺構
[宮城県]
石巻工房のショールームでもあるが、宿泊も可能な《石巻ホームベース》(2020)にて、トラフ建築設計事務所がデザインした部屋で一泊した(ここはデッキの方が部屋より広い)。共有部の広い吹き抜けはカフェを併設しており、気持ちが良い空間である。近郊では、コンビニを教会(!)にリノベーションした《石巻オアシス教会》(2016)を発見したが、これはめずらしい事例だろう。続いて、《マルホンまきあーとテラス》(2021)を再訪した。これは復興建築としても画期的なデザインだが、藤本壮介の国内の代表作になるだろう。昨年の訪問時はまだオープン前だった博物館の見学が、今回の目的である(ちなみに、公式HPの表記は、いまも「準備中」という誤解を招くのが気になった。実際は博物館のネット用のコンテンツが準備中という意味なのだが)。宮城県美術館などで文化財レスキューが行なわれた後、石巻に戻ってきた高橋英吉の彫刻群や、アナログ的な時層地図の展示の仕かけが印象に残った。
昨年はコロナ禍で入れなかった、《みやぎ東日本大震災津波伝承館》(2021)をようやく見学することができた。建築は津波の高さや被災の時刻をデザインに組み込んだものだが、プログラムとの齟齬、後から別のコンテンツが割り込んだこと、あれだけの大災害なのに絶対的に面積が少ない、全体的に内容が薄い、明るすぎて導入の映像が見えにくいなど、やはり展示については問題が多い。ボランティアの案内が貴重な話をしてくれるのが、せめてもの救いだった。向かいの門脇小学校も、震災遺構として整備が終わっていた(4月から一般公開)。震災遺構・大川小学校とその伝承館(デザインはAL建築設計事務所らが担当)は、実際に裁判も行なわれたためか、はっきりと子どもの犠牲者が出たことに対し、責任を認めている展示であり、このような例はほかであまり見たことがない。ここも遺構内には立ち入れないが、さまざまな角度から見学は可能であり、実物の存在は重みをもつ。なお、「記憶の街」の模型は、なぜか道路向かいの小さい民間施設で収蔵・展示していた。
市内に戻って、勝邦義氏の案内で、石巻のキマワリ荘を訪問した。1階はかんのさゆりの写真展が開催され、忍者屋敷のような階段を上ると、mado-beyaで中﨑透らの三人展、その奥にサウンド・インスタレーションがある。すなわち、小さな民家に複数のギャラリーが同居するスペースだが、Reborn-Art Festivalの副産物らしい。その隣もユニークな電気屋であり、自動車などのメカのイラストレーター佐藤元信のドローイングを展示していた。
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2022/03/15(火)(五十嵐太郎)
SHOWKO『感性のある人が習慣にしていること』
著者:SHOWKO
発行日:2022/01/21
著者のSHOWKOは、私が個人的によく知る人物だ。京都で陶芸家、アーティストとして活躍する彼女は天性のオーラというか、タレント性のような人を惹きつける魅力を持っている。そのため彼女がプロデュースする陶芸ブランド「SIONE」にも多くのファンがついている。これまで国内外の展覧会に精力的に作品を出品し、メディアにも取り上げられてきた彼女が、今度は本を上梓した。当初、自身の半生や活動を綴ったエッセイのようなものかと想像していたら、意外にも自己啓発本にも似たハウツー本である。テーマは「感性」。なるほど、彼女を素敵に見せている感性は持って生まれたものだと思い込んできたが、実はそうではなかったというわけだ。「習慣」という手法で自ら積極的に身につけてきたことが、本書を読んでわかった。
本書はハウツー本として、端的によくまとまっている。感性は習慣によって身につけられるものと断言し、「観察する」「整える」「視点を変える」「好奇心をもつ」「決める」と五つの習慣に集約して紹介している。「『肌の感覚』で気温を当ててみる」「『同時にこなす』意識をもつ」「『午前中』に掃除をしてみる」など、その事例の一つひとつは簡単に実行できることや些細なこと、またライフスタイル系雑誌や書籍などでも紹介されてきた事柄のように見受けられたが、「感性」というテーマで、ここまで体系的にまとめた試みはユニークである。またそうした類似の雑誌や書籍と根本的に異なるのは、彼女が歴史ある茶道具の窯元の家に生まれ育ってきたことだろう。幼い頃から日本の伝統文化に自然と触れてきた経験は何事にも代え難いし、また所作の美しさを極めた茶道から学ぶことは大いにあると、私も経験上実感している。
本書では最後の方で「クリエイティブ・ジャンプ」について触れている。それは、優れた感性を持つクリエイターが現状の延長線上ではなく、大きなジャンプで遠くまで飛んでいき、周囲をアッと驚かせるアイデアにたどり着く状態を指す。本書では「『自分の100年史』を書いてみる」という事例でこれに触れているが、私はハタと気がついた。彼女が感性を身につける努力を意識的にしてきた理由は、おそらくこのクリエティブ・ジャンプをするためではないか。トーマス・エジソンの名言「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」になぞらえるなら、「感性とは、1%のクリエティブ・ジャンプと99%の習慣である」ということなのだろう。
2022/03/15(火)(杉江あこ)
注目作家紹介プログラム チャンネル12「飯川雄大 デコレータークラブ メイクスペース、ユーズスペース」
会期:2022/02/26~2022/03/27
兵庫県立美術館[兵庫県]
「蛍光ピンクの猫のキャラクターをかたどった立体作品」といういかにもSNS映えするキャッチーな外観だが、巨大すぎて全貌を画面に収めることができない《デコレータークラブ─ピンクの猫の小林さん》。一見何もない展示空間だが、「壁」を観客が(時に協働して)押すことで動き出し、ホワイトキューブという制度的空間を文字通り揺り動かす《デコレータークラブ─配置・調整・周遊》。展示室の床に置き忘れられたかのように見える、けれどもどこか場に不似合いなカラフルなスポーツバッグを手に取ろうとすると、とんでもなく重くて持ち上がらない《デコレータークラブ─ベリーヘビーバッグ》。飯川雄大が2007年から展開する「デコレータークラブ」シリーズはこれまで、観客の能動的な介入を誘いながら、認識と体験のズレをユーモラスに仕掛ける作品を発表してきた。そこにはつねに視覚の全能性に対する疑いがある。「デコレータークラブ」とは、海草や貝殻など周囲のモノを殻にまとって環境に擬態する習性を持つ蟹を指す。「展示壁や忘れ物のフリをする」ことで美術鑑賞の場に擬態する飯川作品の核心をつく言葉であるとともに、「デコレータークラブ」を発見した観客自身が、それまで「透明な目」として展示空間に溶け込み「擬態」していたことを暴く作用の名でもある。
本展ではまず、展示壁に大きく記された「新しい観客」という文字が出迎える。カラフルなロープで構成された文字には滑車が取り付けられ、滑車から伸びたロープが会場内に張り巡らされている。そして、4台の回転ハンドルを観客が回すと、滑車が回ってロープがゆっくりと引っ張られ、文字を構成するロープの色が次第に入れ替わっていく。
さらにロープは展示室の外へと続く。ロープを辿って廊下を抜け、美術館の外へ。すると外壁一面に、「MAKE SPACE USE SPACE」という巨大なロープの文字が掲げられている。筆者の鑑賞時は、展示室内の「新しい観客」という文字はブルー、白、オレンジのロープで主に構成されていたが、外壁のこちらは蛍光ピンク、白、黄色と鮮やかだ。展示室内で観客がハンドルを回すことで、ロープがつながった外壁の文字も少しずつ色が移動し、ある時点で完全に色が入れ替わるという。
ひとつの視点では把握できない全貌を、ある作用が別の場所にもたらす出来事を、想像すること。加えてここには、社会構造に対するポジティブなメッセージを読み解くことも可能だ。個人が能動的に働きかけることで、少しずつ色が入れ替わって変化していく。社会構造は変えることができる。ただし、1人だけの力では色を完全に入れ替えることはほぼ不可能である。複数の人の力が合わさることで構造全体が変化していくのだ。
また、キャスターに乗った《ベリーヘビーバッグ》を観客が展示室の外へ持ち出し、神戸市内の美術館から、飯川が参加する「感覚の領域 今、『経験する』ということ」展が開催中の大阪の国立国際美術館まで運ぶという「作品」も、2つの点をさまざまな想像でつなぎ、示唆的だ。重いバッグに疲れ、観客が故意にもしくはうっかりどこかに放置してしまったら? 事故などで破損したら? 盗難にあったら? 「アート作品」として売ろうとする人が出てきたら? こうした想像は、観客もまた、(解釈ではなく物理的運搬というかたちで)「作品」の成立に責任を負う存在であることをリテラルに突きつける。あるいは、キャスターに乗ったバッグを運ぶ観客を、「旅行者」に擬態させる。それは、「移動」が制限された状態に対する、想像力を介した抵抗の身振りでもある。さらに想像をたくましくすれば、「避難民」への擬態は、今この瞬間にも「ここではない別の場所」で起こっている出来事を「ここ」へと強制的に転移させる。物理的なアクションと想像の作用の両方により、「観客を動かす」秀逸な展示だった。
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[PR]これからの美術館に求められる機能──千葉市美術館「つくりかけラボ」が示すこと|佐藤慎也:トピックス(2021年12月01日号)
2022/03/19(土)(高嶋慈)
少し先の未来とデザイン「想像する余白」展
会期:2022/03/19~2022/03/27
2020年代に入り、移動通信システムでは5Gが始まった。といっても、最新スマホに買い替えでもしない限り、5Gの恩恵をまだ受けられないというのが正直なところか。が、5Gの技術は単にスマホの通信速度が速くなるというレベルではない。IoTが進み、AIがより活用されて、いまより情報駆動型社会になると言われている。さらに10年後の2030年代にはもっと“すごい”技術の6Gが始まるはずだ。そんなほどなく訪れる未来のテクノロジーのあり方について、NTTドコモと3人のデザイナーが想像を巡らせ、検証するというのが本展の主旨である。「余白」としているのは、みんなと一緒に未来を想像したいという思いの表われとか。言わば、デザイナーたちの柔軟な思考を示すプロトタイプ展なのだが、これがなかなか興味深かった。
NTTドコモのプロダクト部デザインディレクターは宮沢哲、3人のデザイナーは倉本仁、鈴木元、三宅一成と、本展参加者の顔ぶれが私もよく知る40代の実力派だったのがよかったのかもしれない。彼らはあくまで人の暮らしに視点を置き、テクノロジーに向き合おうとする。そう、どんなにテクノロジーが高度に発達しようとも、未来の社会でも根幹となるのは人が人らしくいられることだ。最近、とみに耳にするようになったウェルビーイングなくして、豊かな未来はない。
家具と一体化した映像プロジェクター、電話の着信やメールの受信に反応してそっと動くモビール、周囲の環境音を拾って無音化していくスピーカー、別空間の音を共有するスピーカー、歩行者の荷物を運びながら追従してサポートするパーソナルキャリアー、自転車やバイク、電動キックボードなどに取り付けてロックや決済、ナビなどを行なうナビハンドルなど、発表されたプロトタイプはどれも人に優しく寄り添ったデバイスばかり。これらが身近にある生活を想像するだけで、なんだかワクワクしてくる。このように明るく楽しい気分になれなければ、未来をつくる意味はない。私はこの「余白」にワクワクを足したいと思う。
公式サイト:https://design.idc.nttdocomo.co.jp/event/
2022/03/23(水)(杉江あこ)