artscapeレビュー
2024年01月15日号のレビュー/プレビュー
世界のブックデザイン 2022-23
会期:2023/12/09~2024/03/03
印刷博物館 P&Pギャラリー[東京都]
ドイツ・ライプツィヒブックフェアで毎年発表される「世界で最も美しい本コンクール」。残念ながら、2023年は日本の本が一冊も選ばれなかったようだが、その受賞作が並んだ本展を観て、印象に残った書籍をいくつか紹介したい。
ひとつは銅賞受賞のフィンランドの本で、1920年代のロシア構成主義にインスピレーションを得たという『Ode to Construction』だ。全編が赤と黒の四角形や罫線で組み立てられた幾何学図形のグラフィックで構成された内容なのだが、そこに解説文は一切なく、作品集というより、この本自体がひとつの作品であるかのような仕立てとなっていた。そもそも本とは何かを伝えるための媒体であるが、そんな概念すら超える挑戦を感じ取れた。
もうひとつは同じく銅賞受賞のデンマークの本で、アーティストのドローイング集『:KLOVN』である。この本にも解説文は一切なく、全編がドローイングで埋め尽くされていたのだが、まるでプライベートなスケッチブックを思わせる体裁に仕上げられていたのが特徴だった。というのも主に右ページにドローイングを載せ、その対向ページである左ページには前ページのドローイングのインクが裏ににじみ出ているような様子を再現していたからだ。印刷の常識で言えば、これは裏写りであり、NGである。そのため一瞬、目を疑った。しかしドローイングの周りに手垢や染みをあえて残す(わざと付けた?)など、ほかにもエディトリアルデザインの常識ではあり得ない点がいくつかあり、裏写りは演出の一部であることに気がついた。よく目を凝らして紙面を見てみたのだが、おそらく裏写りではなく、裏写りのように見える印刷を施しているのかもしれない。つまり非常に凝った作り込みで、いかにルーズな感じに見えるかを追求した本なのである。
一方、「世界で最も美しい本コンクール」で受賞はしなかったものの、日本の「第56回造本装幀コンクール」受賞作品もなかなかだった。インターネットやSNS、電子書籍の普及で、近年、物質としての本の価値がずっと問われている。そのため存在感のあるケースや手触りの良い表紙、光沢のある紙、観音開きのページ仕立て、小さな蛇腹折りの本など、紙でしかできない体験を形に表わした書籍が受賞作には多かった。従来の編集やエディトリアルデザイン、印刷の枠に囚われていては新しい挑戦ができないと、毎年、本展を通じて教えられる。
世界のブックデザイン 2022-23:https://www.printing-museum.org/collection/exhibition/g20231209.php
関連レビュー
世界のブックデザイン 2021-22|杉江あこ:artscapeレビュー(2023年02月15日号)
世界のブックデザイン 2020-21|杉江あこ:artscapeレビュー(2022年02月15日号)
世界のブックデザイン 2018-19|杉江あこ:artscapeレビュー(2020年02月15日号)
2023/12/26(火)(杉江あこ)
ブダペストの建築と都市
[ハンガリー、ブダペスト]
ハンガリーは西洋建築史の本流から外れているし、近代もレヒネル・エデン以外はあまり知られておらず、現代ではイムレ・マコヴェッツくらいが頭角をあらわし、訪問を後まわしにしていた。なるほど、同時代的には革新的でないかもしれないが、基本的な建築のレベルは高く、なにより街中に群として良質のデザインが存在することで都市の強度をもつ。
また丘の上に王宮があるブダ側(西)と対岸のペスト側(東)の風景は、ともにピクチャレスクな美しさをもち、鎖橋などで東西をつないでいる。「ドナウの真珠」、あるいは「東欧のパリ」と呼ばれるのもうなずける。おそらく戦後にかなり修復されているはずだ。
特に旧市街のデアーク・フェレンツ広場と市民公園をつなぐアンドラーシ通りは、19世紀末の都市計画による壮麗なメインストリートである。また同時にこれに沿ってヨーロッパ「大陸」初の地下鉄1号線も開通した。
この目抜き通りでは、マニエリスム的な技巧を凝らしたデザインも含む、古典主義の建築群が並ぶ。そのハイライトのひとつである国立オペラ劇場(1884)の見学ツアーに参加した。19世紀末の建築としてはフランスやドイツに比べて新しさはないが(ただし、ポンペイ風の装飾は興味深い)、立派な外観は都市に風格を与えるだろう。しかもヴェネツィアのフェニーチェ劇場と同じくらいのちょうどよいサイズである。参加費は高めだが、最後に大階段で生歌を四曲、目の前で聴けるのは贅沢だった。
一方、デアーク・フェレンツやヴァーツィの通りは、アンドラーシ通りの古典主義とは違い、世紀の変わり目の装飾を残した初期の近代建築群が目を楽しませる。すなわち、モダニズムのような幾何学的なシンプルさには至っていないため、豊かな細部に彩られたデザインが続く。ときどき現代のポストモダンも混ざるが、装飾が復活しており、街並みになじむ。
また前述のエリアを含むが、ドナウ川沿いの国会議事堂がある5区や、ユダヤ街の6区にも、注目すべき近代建築が密集していた。例えば、ライタ・ベーラ、レヒネル・エデン、ラヨッシュ・コズマ、ヘンリク・シュマール、オットー・ワグナーなど、アールヌーヴォーやウィーン分離派の影響を強く感じる。こうした近代建築から様式建築まで、各時代の歴史が層なして共存していることが、ブダペストという都市の魅力だろう。
2023/12/29(金)(五十嵐太郎)
蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠
会期:2023/12/05~2024/02/25
TOKYO NODE[東京都]
「作家史上最大」の体験型展覧会だという。蜷川実花はこれまでも内外の美術館で規模の大きな展覧会を実現してきた。だが、今回の「蜷川実花展 Eternity in a Moment」はひと味違っていた。地上200メートルのTOKYO NODEの広くて天井の高い会場を目一杯使ったということもあるが、蜷川だけでなくデータサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoと組んだEternity in a Moment(EiM)というチームでコンセプトを共有し、会場を共同制作したのが大きかったのではないだろうか。映像とサウンドとインスタレーションが一体化した空間を構築したことで、それぞれの個の力が拡張し、増幅するという結果を生んだ。
内容面においては、いい意味での開き直りを感じた。これまで蜷川が繰り返し使ってきた花、金魚、蝶、花火、都市風景といったイメージを出し惜しみせずにフル動員している。もちろん生と死のコントラスト、日常から未来へ、多様性や環境問題への視点など、思想的な側面をおろそかにしているわけではない。とはいえ、それらを前面に押し出すのではなく、むしろ網膜と鼓膜と直感とをダイレクトに融合させた、色と光と音の乱舞のなかに包み込んでしまう戦略をとったことが成功したのではないだろうか。連日超満員という動員力を見ても、蜷川のイベント・クリエイターとしての能力が傑出してきていることがわかる。
もうひとつ強く印象に残ったのは、観客の反応である。会場滞在の時間がとても長く、ほとんどの観客が自分の携帯のカメラで映像やインスタレーションを動画撮影している。それらは、LineやInstagramなどのSNSにアップされて拡散していくのだろう。おそらく会場を構成したEiMのメンバーがもっとも心を砕いたのは、「インスタ映え」する視覚的、聴覚的効果をいかに作り出すかではなかっただろうか。観客の反応を見ると、それはとてもうまくいっていたようだ。
蜷川実花の作品の魅力のひとつは、一見軽やかで、華やかで、ポジティブに見えるイメージが、その正反対ともいえる陰鬱で、ビザールで、ネガティブな感情を引き出してくることだった。やや残念なことに、今回の展示では、その「毒」は希釈され、薄められてしまっていた。後半の花のパートには、生花を使って「花々が異なる周期で朽ちていく様子」も展示されているのだが、それらは全体のなかでほとんど目立たない。むずかしい注文かもしれないが、今回のような衛生無害な「桃源郷」だけでなく、「まろやかな毒景色」(2001年開催の蜷川のパルコギャラリーでの展示のタイトル)のような展示をもう一度見たいものだ。
蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠:https://tokyonode.jp/sp/eim/
関連レビュー
蜷川実花「Eternity in a Moment」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年06月15日号)
2023/12/29(金)(飯沢耕太郎)
ブダペストの市民公園
市民公園[ハンガリー、ブダペスト]
ブダペストの壮麗なアンドラーシ通りの突きあたりが、いずれも19世紀末に整備された英雄広場とそれを囲む巨大な市民公園である。前者はハンガリー建国1000年を記念するモニュメント群を配し、後者はさまざまな文化施設が点在する。例えば、広場を挟んで向きあう古典主義の国立西洋美術館と現代美術館、背後には過去の建築様式を折衷したヴァイダフニャア城(一部は農業博物館)、温泉、国立大サーカスなどだ。
20世紀初頭の動物園では、さまざまな建築家が参加し、象、熊、猿の彫刻があるゲート、モスク風の象舎、教会を参照した鳥小屋、各地の民俗建築をモチーフにした飼育小屋が目を楽しませる。
現在、リジェ・ブダペスト・プロジェクトによって注目すべき現代建築群が登場している。藤本壮介による《ハンガリー音楽の家》(2022)は、無数の穴があいた丸い屋根を細い柱群で支え、建築というよりも有機物のような存在感によって公園の風景に溶け込む。常設展示は、予約がいっぱいで見られず、地下のサウンド・ドームも体験できなかったが、冷戦下のハンガリーのポピュラー音楽史を扱う企画展は、力の入った展示デザインで興味深い。当時、歌詞はもちろん、レコードのジャケットも検閲されていた。最近、台湾にも流行音楽の展示館が登場しているが、日本でもこうした施設が欲しい。
そのすぐ近くに登場したのが、ナプール・アーキテクトによるダイナミックな造形の《民族学博物館》(2022)である。大地をめくり上げたように、両端に向かって傾斜する芝生の屋上は登ることができる。外壁のグリッドは無数のピクセルが覆う。館内は、細い階段とスロープ、そしてコレクションの一部を無料で見せる通路などが続く。民族学博物館のエントランスでは、公園と都市の大きな模型を展示し、将来、このエリアにSANAAの新国立ギャラリーも建設されることを示していた。すなわち、21世紀における市民公園の大改造が進んでいるが、国際コンペによって選ばれた2組の日本人建築家が関わっている。
なお、独創的なデザインで知られるレヒネル・エデンは、公園を囲む通りに2件の住宅、さらに東側に国立地質学研究所を手がけている。
2023/12/30(土)(五十嵐太郎)
イスタンブール空港と日帰りツアー
イスタンブール空港[トルコ、イスタンブール]
今回のブダペスト行きでは、乗り継ぎでイスタンブールの空港を利用したが、トルコの滞在は30年ぶりくらいである。アタテュルク空港に代わり、2019年にオープンした新しいイスタンブール空港は、ピニンファリーナ、ノルディック、グリムショーなど西欧の建築事務所が設計を担当、中近東やシンガポールのように華やかなショッピングモールを抱えた超巨大な空間に変貌し、以前とまったく違う。この流れに日本は完全に乗り遅れており、成田も羽田も首都の国際空港に見えない。
興味深いのは、ただ商業施設が並ぶのではなく、有料のエアポート・ミュージアムを併設しており、古代やイスラムなど、トルコ各地の文化財を紹介していたこと。それぞれの空港からの距離も示すことで、次回はイスタンブール以外の地方に行きたいと思わせる仕かけになっていたこと。それなりに規模は大きいが、各部屋に監視員はまったくいなかったので、おそらくレプリカの展示だったと思われる。
帰りのトランジットでは、トルコ航空を利用している場合、乗り継ぎ時間が長いと(6~24時間)、無料の「Touristanbul」(日帰りイスタンブール観光ツアー)に参加できるというので申し込んだ。1日に8回のツアーが組まれており、もっとも長いのは8時30分から18時までの終日であり、18時30分からだとボスポラス海峡クルーズが含まれるという。筆者が参加したのは、16時から21時30分までのイブニングツアーであり、空港からバスで往復し、旧市街を散策した後、人気店「セリム・ウスタ」の夕食を楽しんだ。
まわったのは、シェフザーデ・ジャーミィ、イスタンブール大学、ベヤズット広場、グランドバザール、コンスタンティヌスの柱、エジプトのオベリスク、蛇の柱、ドイツの泉、ブルーモスクなどである。そして前に訪れたときは博物館だったが、今回はモスクになっていたアヤソフィアは、じっくりと内部を見ることができ、ローマ建築の迫力を体験した。ツアーでは、強制的に土産物屋に連れていかれることもなく、お金が必要な場面がない。これは凄いサービスで、ただの経由地と考えていた旅行客もイスタンブールのファンになり、次はここを目的地にしようと考えるだろう。クールジャパンの予算も、お笑いにつぎこまないで、こう使うほうが効果的ではないか。
2024/01/01(月)(五十嵐太郎)