artscapeレビュー
2009年06月01日号のレビュー/プレビュー
原口典之 展 社会と物質
会期:2009/05/08~2009/06/14
BankART Studio NYK[神奈川県]
1970年前後の東京を中心に展開した美術運動「もの派」。その代表的な美術家として知られる原口典之の大々的な回顧展が、神奈川県横浜市のBankART Studio NYKで開催中だ(6月14日まで)。
展示された作品はどれも力強い存在感を放っている。「ファントム」は、ベトナム戦争で出撃した戦闘機の尾翼部分を実寸大で再現した巨大な立体作品で、「オイルプール」は大きな長方形の型に廃油をなみなみと湛えた原口の代表作だ。いずれも、倉庫を改装した広々とした空間に負けず劣らず、圧倒的な迫力を誇っている。
けれども、その存在感は素材の物質的な重量だけに由来しているわけではない。たしかに「ファントム」の機体は見上げるほど大きいが、アルミニウムの表皮の内側には最低限の構造しかないから、ハリボテのような軽薄さも感じさせる。
海底ケーブルに使われるという巨大なゴム管を輪切りにした立体作品も、素材からは想像できないほどの硬度と重量が見る者を圧迫する一方で、中心が空洞であるせいか、その先に広がる会場外の海面を見通すと、爽快感すら覚えるほどだ。
重さと軽さ、中身と表面。原口作品の圧倒的な存在感は、こうした物質の両義性にもとづいている。ものそのものを直接的に提示することによって、新しい世界のありようを開示するという点でいえば、たしかに「もの派」の作品にはちがいない。しかし、それだけなのだろうか。
鏡面のように世界を対称的に映し出す「オイルプール」を覗きこむと、反転した天井の像であるにもかかわらず、床下にもうひとつの世界が広がっているように錯覚してしまう。そのクリアなイメージは、空間との関係性を重視する「もの派」の作法とは対照的だ。だとすれば、原口作品は「もの派」という美術運動よりはるかに深い、人類にとっての根源的な原点を探り当てているのではないだろうか。洞窟壁画の前に集まっていた原始人たちは、躍動する動物たちを岩壁に描きつけることで、つまり物質の両義性を開示することによって、豊かなイメージを励起させていたにちがいないからである。
2009/05/16(土)(福住廉)
田中泯パフォーマンス公演
会期:2009/05/16
BankART Studio NYK[神奈川県]
原口典之展にあわせて催された田中泯のパフォーマンス公演。暗い会場に入ると、空間の片隅に田中泯が仰向けに横たわっている。局部は辛うじて隠されているものの、全身素っ裸で、衣服や履物は一切身につけていない。自然美ともいえる筋肉の美しさとは対照的に、全身の皮膚は不自然に着色され、黒ずんでいる。来場者が凝視するなか、徐々に手足を持ち上げ、首を傾け、腰をひねり、立ち上がると見せかけては、また寝転ぶ動作を繰り返す。ようやく立ち上がったと思ったら、両手で天を仰ぎながらゆっくりと歩き出し、原口の油のプールに静かに入る。鏡面のような油の上で踊るうちに、漆黒の油が黒ずんだ身体をさらに塗り変えていき、ついには真っ黒になってしまった。白い眼球と赤い口内がやけに目立つ。足元に手を伸ばす黒い男は、油の表面に映りこんだもう一人の黒い男になにか語りかけ、両者の接点が溶け合っているようにも見える。しかし、油の上に横たわり、右腕一本だけで身体を円状に回転させる動きは、その同一化が決してかなわないことを物語っているようでもある。油から上がった黒い男が、先ほどと同じように天を仰ぎながらゆっくりと会場を移動し、海に抜ける出口の前で、ひとこと「ありがとうございました」と呟くと、来場者から万感の思いを込めた拍手が鳴り響き、しばらくやまなかった。
2009/05/16(土)(福住廉)
Chim↑Pom「捨てられたちんぽ展」
会期:2009/05/16~2009/05/17
ギャラリー・ヴァギナ(a.k.a. 無人島プロダクション)[東京都]
Chim↑Pomの磁場に入り込むと、ひとは冷静ではいられなくなる。高名な美術評論家が完成作を見る前に美術作品とは到底言い難いと断定したり、ぬるいお騒がせ野郎たちだと断言する美術関係者の口ぶりがなんだかぬるかったり、お手つきを誘発する魔力がある(Chim↑Pomの作品は非美術的というよりも、むしろ生真面目に美術史を参照しているように私には見える。この点で、美術批評、美術史研究の観点から冷静に検証すべきではないだろうか)。本作は、ひとを冷静でいられなくさせるという彼らの本質がそのままの姿で顔を覗かせた。比喩ではない。小さいホワイトキューブには一カ所だけ穴が開いてあり、そこから赤くて頻繁に形状の変化する体の一部がはみ出している。後ろに立つメンバーが無言で会期中(2日間)ひたすら一部を陳列し続けているというわけだ。会場に足を踏み入れると、観客や関係者達が酒盛りをしていた。飲まずにやっていられるか、といった感じ。なんであれが曝されているだけでひとは冷静さを欠いてしまうのだろう。あれは膨張と収縮を黙々と繰り返す。赤くなったり白くなったり忙しい。しゃべりかけるとジェスチャーで返してくる。彼らの名は伊達ではないのだ。ひとの隠している部分を露出させてしまう、それがChim↑Pomなのだ。そうした自分たちの本質をきわめて丁寧に説いた自己批評的作品。ギャラリーの隅っこでは「裸でなにが悪い」と公権力に声を荒げた中年アイドルの在籍するグループ5人分の表札が、本人たちの立ち位置に合わせて壁に掛けてあった(Chim↑Pomの過去作品)。
2009/05/17(木村覚)
スティーヴ・パクストン+リサ・ネルソン『Night Stand』
会期:2009/05/17
スパイラルホール[東京都]
パクストンは、体を接触したまま二人組で踊るC.I.(コンタクト・インプロヴィゼーション)の創始者として有名だけれども、70年代以前は、カニングハムのカンパニーに在籍していたり、ジャドソン・ダンス・シアターに参加したりとアメリカのモダンダンス以後の展開を全身で生きたひとだ。肉眼で初めて見た彼の身体は、マリオネット人形のようにフワっとしていて自由自在。派手な動きはない。胸の辺りがしっかりと核をもち、そのうえで全身が揺れ、全身が見所となっている。最初の5分で打ちのめされた。70才の老体は、大野一雄のことも想起させた。いや、大野はパクストンに比べれば微細さに欠ける。ならばもし土方が生きていたら?などと思って見ていると、舞踏にはない独特の構造的性格が気になってきた。空間を数学的に分割してそれにしたがって移動しているように見える。縦、横、前、後、上、下……。共演のリサ・ネルソンは、パクストンのリズムに応じながら、彼とともに時空を埋めてゆく。旅館の浴衣で額にティッシュ箱を括りつけたり、箱からティッシュを取るとネルソンの体の上に並べたり、即興的な時間が続く。ものとひとがともに自分の身体性を表出している。あわてず丁寧につくりだす時間は、往時の「ポスト・モダンダンス」のかたちを示してくれている気がした。
2009/05/17(木村覚)
筆墨の美──水墨画展 第一部中国と日本の名品
会期:2009/04/04~2009/05/17
静嘉堂文庫美術館[東京都]
中国と日本の水墨画を紹介する展覧会。日中あわせて40点の水墨画と、筆や硯など14点の文房具が展示された。日本絵画20点のなかに国宝は一点も見当たらないのにたいして、中国絵画20点のうち、国宝が2点(伝馬遠《風雨山水図》、因陀羅《禅機図断簡 智常禅師図》)入っている事実だけを見ても、いかに日本の水墨表現が中国の影響下にあったかがよくわかる。なかでも、日本の水墨画に決定的な影響を与えたとされる牧谿の《羅漢図》は、後の様式化された山水画と見比べてみると、水墨の技法の面でも構図の面でも、明らかに異質であり、この歴然としたちがいを目の当たりにすると、牧谿が長谷川等伯を大いに刺激したという説も頷ける。解説文も要点を押さえた平明な文章で、じつにわかりやすかった。
2009/05/17(日)(福住廉)