2017年05月15日号
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artscapeレビュー

井上裕加里展

2015年04月15日号

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会期:2015/02/28~2015/03/14

CAS[大阪府]

東アジア3カ国の近代史をベースに、可視的な線としての国境と、同じ原曲を共有しつつも歌詞の相違によって顕在化するナショナリズムの齟齬や対立について扱った、2作品で構成された個展。
国境線を主題にした作品では、1850年から現在の2015年に至るまでの、日中韓の国境線の変遷を、ギャラリーの床にチョークで書いていく過程が映像でドキュメンテーションされる。3色で色分けされた日・中・韓の国境線が、メルクマールとなる年ごとに書き換えられ、消されては新たに更新されていく。その書き換えの行為を、粗い粒子を持つチョークと、書いては消すという身体性を介入させることで、むしろ私たちが目撃するのは、一度引かれた線の完全な消去ではなく、消された(はずの)線の痕跡が堆積し、あるべき明確な線がぼんやりと曖昧化していく過程である。
また、《Auld Lang syne》は、元々はスコットランド民謡の「Auld Lang syne(オールド・ラング・サイン)」が、日本、台湾、韓国でそれぞれ異なる歌詞を持つ歴史的経緯に着目し、それぞれの国の人々にそれぞれの場所と言語で歌ってもらった映像作品。この曲は、日本では明治期に輸入され、「蛍の光」という唱歌として親しまれているが、現在では3番と4番の歌詞が歌われることはない。「ひとえに尽くせ 国のため」「千島の奥も 沖縄も 八洲のうちの まもりなり」といった愛国色の強い歌詞だからだ。また、台湾や韓国では、日本の統治時期の教育施策によって「蛍の光」が持ち込まれるとともに、独自の浸透をとげ、「民族復興」や国家への献身を歌う歌詞が付けられて歌われた。井上の映像作品では、同じメロディが異なる言語と歌詞で歌われる3つの画面が、並置して映し出される。通底して流れるメロディは懐かしさを覚えるおなじみのものだが、その上に不協和音のように折り重なる3つの言語。それは、帝国主義の浸透、その背後にある近代化=西洋化、国民国家という虚構の概念、歌詞の同質性とそのズレ、歌うという身体的経験の共有による共同体の成立、といったさまざまな問題を喚起させ、東アジア近代史がはらむ複雑な力学を浮かび上がらせていた。

2015/03/14(土)(高嶋慈)

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