artscapeレビュー

テッセンドリコ presents “Future Music”

2012年06月01日号

会期:2012/05/05

東高円寺二万電圧[東京都]

「日本の近代は『幽玄』『花』『わび』『さび』のような、時代を真に表象する美的原理を何一つ生まなかった」。三島由紀夫が「文化防衛論」のなかで書き残したこの言葉は、「近代」の価値観やシステムがもはや隠しようがないほど破綻をきたしている現在、鮮やかに甦っている。いま、もっとも必要とされているのは、「近代」という呪縛から抜け出し、この時代を表象する美的原理に向かう衝動である。
全国の原子力発電所がすべて運転を停止したこの夜、切腹ピストルズのライヴは、ひとつの名状し難い美的原理に到達していた。それは、「東京を江戸に戻せ!」という彼らのメッセージからすると、前近代への回帰主義として理解できるが、だからといって必ずしも「幽玄」「わび」「さび」といった旧来の美的原理に回収されるわけではない。なぜなら、野良衣をまとった切腹たちが打ち出す太鼓、三味線、鉦の音、そして声は、私たちの心底に力強く響き、そのような静的な言葉で到底とらえられないほど、私たちの全身を打ち振るわせるからだ。平たく言えば、いてもたってもいられなくなるのである。
とはいえ、その衝動的な美は、三島が戦略的に帰着した「武士道」や「天皇」とも異なっているように思う。三島のヒロイズムが彼自身の足をすくってしまったとすれば、切腹の「江戸」はそのような逆説に陥ることがないほど、地に足をしっかりとつけているからだ。その重心があってこそ、借り物の「パンク」から出発しながらも、音楽性や楽器を徐々に変容させながら、身の丈に応じた「音」を生み出すことができているのだろう。21世紀の平民の、いやむしろ土民の思想は、ここで育まれるにちがいない。それをどのような言葉で語るべきか、いまはまだわからない。
ただし、切腹ピストルズがこの時代の最先端を切り開いていることはまちがいない。現代アートが「モダモダ」(今泉篤男「近代絵画の批評」『美術批評』1952年8月号)しているあいだに、彼らは颯爽と、美しく、そして強く、泥の中から来るべき時代を明るく照らし出しているのである。

2012/05/05(土)(福住廉)

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