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明治の海外輸出と港

2013年04月01日号

会期:2013/02/26~2013/04/07

フェルケール博物館[静岡県]

静岡の特産品である茶の輸出に焦点を当て、清水港発展の歴史を紹介する展覧会である。おもな展示品は「蘭字(ランジ)」。蘭字とは茶を輸出するときにパッケージや箱に貼られた多色木版画によるラベルである。開港以来、明治期日本の主要輸出品は、生糸と茶であった。このうち、輸出品の商標としては生糸のラベルが知られているが、デザイナー・井手暢子氏の研究により茶のラベルも注目されてきている。蘭字には茶のブランドや品質、輸出商の名前などを示す英字に、芸者や福助、牡丹などの日本的なイメージが添えられ、折しもジャポニスムのブームに乗って、輸出先で人気を博したという。
 清水港は最初から茶輸出の拠点であったわけではない。静岡の茶はいったん清水港に集められ、そこから船で横浜に送られ、風味を損なわないための再製加工が行なわれてから海外へと輸出された。ところが明治22(1889)年に東海道本線が開通すると、茶の輸送は鉄道に取って代わられ、中継基地としての清水港の役割は低下した。この危機にあたって地元の有力者たちが尽力し、明治32年に清水港は開港場に指定され、輸出貿易が可能になった。茶葉の再製工場も設立され、明治39(1906)年に念願の茶の直輸出がはじまる。輸出量はすぐに増加し、明治42年には横浜からの茶輸出を凌駕するようになった。静岡の中心部の茶町や鷹匠町には外国人商館が建ち並び、清水港まで茶の輸送のための鉄道も敷設され、大正6(1917)年には清水港は日本の茶輸出の77%を占めるに到った。茶ラベルの需要も高まり、新茶の時期が近づくと静岡の蘭字製作所には全国の浮世絵職人が集まってきたという。
 今回の特別展には蘭字のほかに輸出用茶箱、静岡鉄道のレールや時刻表、生糸の商標やパッケージ、輸出工芸でもあった静岡の漆器類も出品されている。清水港発展の歴史に関わる数々の資料が展示されている常設展と合わせてみると、「蘭字」の興隆は明治期から昭和初期にかけてのデザイン、ブランディングの優れた事例であるばかりではなく、地域史、産業史とも密接に関わっていることがよくわかる。[新川徳彦]

2013/03/23(土)(SYNK)

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