artscapeレビュー
白隠 展 HAKUIN
2013年04月01日号
会期:2012/12/22~2013/02/24
Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]
江戸時代中期の禅僧、白隠慧鶴の展覧会。約100点の書画が一挙に展示された。白隠といえば、丸みを帯びた描線で描いた達磨や七福神など、キャラクター化された図像表現がつとに知られているが、今回の展覧会で改めて思い知ったのは、そうした図像と文字を組み合わせる絶妙なセンス。
白隠の禅画の多くは、絵と文字を一体化させた画賛である。だから、その文字には禅宗的なメッセージや韻律が含まれており、白隠がみずからの禅画を視覚と聴覚に訴えかけるある種のマルチメディアとして想定していたことがよくわかる。ただ、それらの大半は余白に賛を書き込んでいるように、図像と文字を切り分けているが、なかには図像と文字を融合させた作品もある。
たとえば、白隠の書画のなかで最も大きなサイズの《渡唐天神》。天神が羽織る着物に「南無天満大自在天神」という文字を溶け込ませた文字絵である。さらに《七福神合同舟》は、文字どおり宝舟に乗って来る七福神を描いているが、白隠は「寿」の文字を極端に引き伸ばすことで宝舟を表現した。つまり、白隠は文字というメディアの意味を伝達する機能を活用すると同時に、文字の物質性を図像表現に巧みに取り込んでいるのだ。
不思議なのは、このような白隠の特性を意識しながら他の書画を見ていくと、墨で描いた描線が何かしらの漢字に見えてくるということだ。むろん丸みを帯びた描線においては該当しない。けれども比較的に鋭角的な描線は、まるで漢字を書くかのように描いているように見えてならないのである。白隠から学ぶことができるのは、イメージと言語の相似性、つまり描くことと書くことがそれほど離れているわけではなく、むしろ通底する領域がありうるということだろう。
2013/02/21(木)(福住廉)