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あいちトリエンナーレ2013 映像プログラム 土本典昭『原発切抜帖』/濱口竜介+酒井耕『なみのおと』

2013年10月15日号

愛知芸術文化センター12階 アートスペースA[愛知県]

あいちトリエンナーレ2013の映像プログラムを2本鑑賞する。『原発切抜帖』と『なみのおと』の2本立てで、前者は原発に関する実験的な作品、後者は津波に関するドキュメンタリーであり、今回のあいちのテーマに最もダイレクトに関わりをもつ作品だった。土本典昭の『原発切抜帖』(1982)は、公式取材が拒否され、新聞記事の再構成だけで映像を成立させる作品。冒頭、1945年の原爆投下翌日の記事の扱いの小さいことにまず驚く。チェルノブイリ前の作品なので、むつやスリーマイルの話が多いが、その対応、発表、報道の迷走ぶりは現代とあまりに同じで再度驚く。『原発切抜帖』は、3.11以後にその意味が復活し(ニナ&マロアンの作品において黒澤明『生きものの記録』を現状に照らし合わせたように)、またネット時代を迎え、新聞メディアの意味を再考させる作品としても新しい意義を獲得している。ゲストトークでは正木基が、この作品を読みとく背景やほかの原爆映像などを紹介した。
濱口竜介+酒井耕『なみのおと』(2011)は、岩手の田老から福島の新地まで南下しながら被災者の語りを記録する映画。個人的に、ポスト震災のドキュメンタリーとして最も興味深い作品だった。被災地の風景映像は移動時のみで、ごくわずか。資料映像もなく、正面ショットの語りだけで、142分。しかし、『なみのおと』が退屈だと感じる瞬間はなかった。被災者の語りに耳を傾け、その表情と仕草から起きた出来事、彼らの失われたふるさとを想像させるからだ。特にかけがえのない友を失った南三陸の女性、家ごと流され九死に一生を得た東松島の夫婦、何気ない風景の思い出を愛おしく語る新地の姉妹。筆者はおそらく通常の鑑賞者とは違い、『なみのおと』に登場するすべての被災地を歩いている。例えば、田老、気仙沼、南三陸、東松島の野蒜、相馬の新地である。ゆえに、野蒜や新地を荒涼とした状態でしか見ていなかったが、彼らの記憶をめぐる語りを聞きながら、あの風景に色がつき、意味が充填していく。映像の外側にあるものを思い出していた。

2013/09/29(日)(五十嵐太郎)

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