artscapeレビュー
トランスフォーメーション
2011年03月01日号
会期:2010/10/29~2011/01/30
東京都現代美術館[東京都]
明治以来の西洋コンプレックスはいったいいつまで続くのだろうか? 長谷川祐子がキュレーションを手がけた展覧会を見ると、つねにやるせない倦怠感を覚えてならない。西洋の芸術を翻訳しながら輸入することで前進してきた美術史がもはや隠しようがないほど行き詰まり、それに代わる新たな歴史観を模索することが、少なくとも80年代後半のポストモダニズム以後の共通認識だったはずだ。「日本」固有の歴史をでっちあげるにせよ、東アジアの連帯を目指すにせよ、日本社会の隅々で地域の再生に取り組むにせよ、あるいはもっと別のかたちを考えるにせよ、この数十年はその糸口を求めた試行錯誤の連続だったといってよい。けれども、いずれの立場にも通底していたのは、西洋の芸術を一方的に受容する歴史のモデルからの意識的な切断だった。にもかかわらず、何かといえばマシュー・バーニーを召還し、白い空間に審美的な作品を並べ立てる(だけの)展示は、もうこれまで何度も見てきたし、はっきり言って、そうとう古い。今回の展覧会では、その古さを覆い隠す装置として「人類学との出会い」が演出されたのだろうが、それにしてもいかにも取ってつけたような中途半端な扱いで、古さを塗り変えるほど新しいわけではない。いや、これまでの輸入史観を批判的に相対化する視座をもたらした90年代のポストコロニアリズム理論やポストモダン人類学の成果がまるで考慮されていなかったことを考えると、むしろ退行というべきである。こうした果てしない悪循環を許してしまう、私たち自身の精神構造に蔓延る奴隷根性こそ、もっとも厄介な問題なのだろう。
2011/01/21(金)(福住廉)