artscapeレビュー
2011年06月01日号のレビュー/プレビュー
アール・ブリュット・ジャポネ展
会期:2011/04/09~2011/05/15
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
昨年、パリのアル・サン・ピエール美術館で開催されたアール・ブリュット展の日本凱旋展。障害の有無にかかわらず、美術教育を受けていないことを基準にして選出された国内のアーティスト63人が参加した。ほとんどの作品に共通しているのは、アール・ブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれる美術表現の多くがそうであるように、ひじょうに明快な独自のルールにしたがって物質を造形している点だ。たとえば平岡伸太は小学生用の国語プリントに設けられた解答欄に似顔絵と芸能人の名前を書き込んでいるが、そこに駄洒落のような言語ゲームが働いていることは一目瞭然である。「深田恭子さん」からは「深津絵里さん」が、「唐沢寿明くん」からは「桜井和寿くん」が、それぞれ連想されているが、おもしろいのはこの言語ゲームがしだいに複雑に展開していくことだ。「太平洋」から「勝野洋くん」が引き出されるのはまだしも、「畑野浩子さん」から「野菜」が、そして「日本一」から「藤本美貴」が連なっているのを見ると、高度に発展したルールに驚きを禁じえない。けれども、ルールを自分で作り上げ、その妥当性を世に問うことは、アール・ブリュットの特質というより、むしろあらゆる芸術的行為に通底する原型なのではないか。
2011/04/26(火)(福住廉)
日本のデザイン2011──Re:SCOVER NIPPON DESIGN デザイナーが旅する日本。
会期:2011/04/22~2011/06/05
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
活躍中の3人のデザイナーが、若手写真家とともに旅に出る。森本千絵氏は、浅田政志氏と兵庫県篠山市へ。山中俊治氏は、鍵岡龍門氏と鹿児島県種子島へ。そして梅原真氏は、広川智基氏と秋田県秋田市へ。いずれの旅へも藤本智士氏(今回の企画のディレクター)がアテンドする。旅の起点は最初に決めるが、なにをするか、そこからどこへ行くかはなりゆき次第。都会の手法を地方に持ち込んで地域を活性化する、というプロジェクトではない。地方の異なる文化を都会に持ち帰ろう、というものでもない。デザイナーたちがなにを見ているのか、なにを見つけ出すのかを追うことが目的。それを写真家がカメラで追い、藤本氏がテキストに記録する。
展示されているのは、写真とテキストといくつかのお土産。すなわち旅のアルバムである。このアルバムを本や雑誌の記事としてではなく、デザインハブの展示会場で「読む」。天井から吊された透明なシートに写真とテキストが配されているが、これがとても効果的だ。アルバムの中に入り込んで、デザイナーたちの旅を追体験しているかのようである。
地方あるいは外国を訪れ、異なる環境に身を置き、知らないなにかを見つけたり、あるいは自分の所属するフィールドの価値を再確認するという作業はべつに新しいものではない。それでもさまざまな旅の記録が存在するのは、共に旅をしていないわれわれにとっても異なる視点に触れる楽しみがそこにあるからである。デザイナーと写真家、ディレクターとの出会いからも新しいコミュニケーションが生じる。それらが旅における場や人、モノとの出会いと複層的に関わり合っているから、3つの旅はそれぞれが独自で、それぞれが面白い。デザインハブで限られた観覧層にのみ公開するのはなんともぜいたくな企画である。[新川徳彦]
2011/04/26(火)(SYNK)
転置─Displacement─
会期:2011/04/09~2011/05/22
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
寺田就子、野原健司、森末由美子、吉村熊象、寄神くりが出品。いずれも日常的な状況や素材を用いる作家で、現実を少しずらした状況をつくり出し、マジカルな世界観を提示する。なかでも、住宅広告をもとにしたフィールドワークを発表した吉村と、店舗のテント屋根や廃材を組み合わせたインスタレーションを見せた野原は印象的だった。寄神くりの展示も、私が今まで見た彼女の作品のなかでは最も大規模であり、説得力が感じられた。
2011/04/27(水)(小吹隆文)
『イヴ・サンローラン』
会期:2011/04/23
ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]
2008年に亡くなったイヴ・サンローランのドキュメンタリー映画。公私共にパートナーだったピエール・ベルジュによる回想をとおしてイヴ・サンローランのクリエイションの真髄に迫る。私邸を彩る数多くの美術品に瞠目させられたことはたしかだが、しかしデザイナーとしてのイヴ・サンローランを孤絶感に集約する演出はいかにも凡庸で、耽美的な音楽も単調極まりない。ファッションやアートにかぎらず、あるいは非言語表現や言語表現にかぎらず、何かのものを創り出すクリエイションとは、本来的に孤独であることは誰もがすでに体験的に知っているのだから、それをいまさら強調されても困ってしまう。それゆえ、映画をとおして浮き彫りになるのは、イヴ・サンローランへ注がれたピエール・ベルジュの愛だけであり、あまりにも一方的な愛の告白が映画の全編にわたって満ち溢れていることを思うと、これはむしろピエール・ベルジュのドキュメンタリー映画というべきかもしれない。
2011/04/27(水)(福住廉)
《豊島美術館》
会期:2010/10/17
豊島美術館[香川県]
美術家・内藤礼と建築家・西沢立衛による美術館。直島の地中美術館や犬島の精錬所と同じように、建築と美術を一体化させたコミッション・ワークを見せる美術館だ。天井の低いシェル状の外観は周囲の棚田の風景と見事に調和し、内側に設えられた内藤礼による水滴の作品とも絶妙な相似形を描いていたことから、美術と建築が有機的に結合していたことはたしかである。ただし、この美術館の核心は都市型の美術館ではなしえない独自の機能にある。それは、来場者に作品を鑑賞させるというより、自然を体感させることだ。来場者は大きく開けられた2つの開口部から差し込む光と風の匂い、その先に広がる空の色、木々のさざめき、そして靴を脱いだ足の裏に冷気を感じ取る。つまり美術館で作品を鑑賞するようでいて、その実、美術館をとおしてそれを取り囲む自然環境を感じているのだ。一体化しているのは美術と建築だけでなく、双方を包み込む自然でもあるわけだ。これが豊かな自然を資源とする美術館ならではの特徴であることはまちがいない。ただし、電力を用いることなく、風雨に晒されるがままを見せるこの美術館は、脱原発の方向に進路を切り換えつつある現代社会の未来像を、期せずして先取りしているともいえるのではないだろうか。
2011/04/29(金)(福住廉)