artscapeレビュー
2011年06月01日号のレビュー/プレビュー
内海信彦・1985-2011・27周年記念展
会期:2011/05/09~2011/05/21
Gallery K[東京都]
美術家・内海信彦の個展。過去の展覧会やそこで発表した作品の数々を、ミニチュア模型のかたちにして展示した。基本的には一枚一枚の絵を写真に撮影し、それらを縮尺したうえで模型に組み込んでいるようだが、なかにはその上に絵の具の飛沫を直接加えている作品もあり、手が込んでいる。壁や床に立ち並んだマケットを見ていくと、世界各地を渡り歩いてきた画業の軌跡がよくわかるが、サイズが縮減されているがゆえに、逆により大きな空間を求める美術家の欲望が拡大して見えた。
2011/05/19(木)(福住廉)
プレビュー:日野田崇 個展「新しい筋肉」
会期:2011/06/04~2011/07/23
イムラアートギャラリー|京都[京都府]
複雑な曲線を描くフォルムと、漫画の一部を思わせる図柄を大胆に配した陶オブジェで知られる日野田が、新作展を開催。「新しい筋肉」と題して未来の人類のカタチを造形化する。今までの作品にはなかった彩色が多用されるので要注目だ。また、彼の個展では、プラスチックシートを用いて壁面にも装飾が施されるが、本展でも同様の手法でインスタレーション色の強い展示が行なわれる。
2011/05/20(金)(小吹隆文)
プレビュー:オン・ザ・ロード 森山大道 写真展
会期:2011/06/28~2011/09/19
国立国際美術館[大阪府]
日本を代表する写真家のひとり、森山大道の、関西では初めての大規模個展。1965年から現在までの軌跡を、写真集10数冊の流れに即して展開。森山の個性と写真館の変貌を明らかにする。総出点数は400点以上。大阪出身ながら関西での展覧会が少なかった森山だけに、本展は関西の写真ファンにとって朗報と言えよう。
写真:森山大道《野良犬》1971年 個人蔵
©Daido Moriyama
2011/05/20(金)(小吹隆文)
プレビュー:「名和晃平─シンセシス」展
会期:2011/06/11~2011/08/28
東京都現代美術館[東京都]
2000年の初個展以来、国内外で着々と評価を高め、今やゼロ年代を代表する若手アーティストとなった名和晃平。CELLという概念をもとに、ビーズ、プリズム、発泡ポリウレタン、シリコーンオイルなど多様な素材を駆使して制作される作品は、高度情報社会における人間の知覚、身体、感性のあり方・変容を皮膚感覚で表現しているのが特徴だ。過去最大規模となる本展は確かに高いハードルだが、彼のことだからきっとその壁を越えて見せるだろう。そしてさらなる高みを見せてくれるに違いない。
2011/05/20(金)(小吹隆文)
『倉俣史朗 着想のかたち──4人のクリエイターが語る。』
本書は1960年代から1990年代初頭にかけて日本の商業インテリアデザインとプロダクトデザインを牽引したデザイナー、倉俣史朗(1934-1991)について、4人のクリエイターにインタビューを行ない、それを収録したものである。掲載順に小説家の平野啓一郎氏、建築家の伊東豊雄氏、クリエイティブディレクターの小池一子氏、プロダクトデザイナーの深澤直人氏へのインタビューが収められているが、もし、小池氏、伊東氏、深澤氏、平野氏の順に読めば、倉俣のデザインについての入門書として本書は読めるかもしれない。小池氏は倉俣の活動していた時代のアート・デザイン・ファッションの交錯の状況、伊東氏は建築とインテリアの関係性と差異からみた倉俣デザイン、そして深澤氏はデザインとしての倉俣デザインの特異性、という視点からおのおの語っているからだ。異色なのは造形ではなく言葉を生業とする平野氏へのインタビューで、小説の創作プロセスとデザインのそれとの関わりがおもに語られている。インタビュ─以外に倉俣自身の言葉も本書は収めている。
倉俣のデザインは生前から注目されたため、これまで多数の批評や本人による言説が発表されているが、その大部分は雑誌掲載記事である。したがって、倉俣の同時代人である小池氏と伊東氏の章が過去の言説の繰り返しの感は否めず(実際、両人とも過去に倉俣に関する文をさんざん執筆しているのだから仕方がない)、深澤氏による倉俣の解釈もやや新鮮味を欠くとはいえ、それらがバラバラな記事ではなく単行書としてまとめられたことは意義深い。しかし、どのインタビューにも言えるのは、示唆的な言葉が登場し、その意味を知りたいと思っても、別の話題にすぐ移ってしまうことだ。これは、インタビュー形式ゆえの難点だろう。平野氏の章では、デザイン一般に対する彼の考えが語られているのは興味深かったが、結局それと倉俣デザインに対する彼の思いがどう繋がっていくのかがわからなかった。インタビューではなくエッセイの形式をとれば、こうした未消化な部分は避けられたように思う。
日本では1960年代以降のデザインの流れがいまだ検証されていないという現況があり、それが本書(に限らないが)がもたらす未消化な読後感の遠因には違いない。最後の川床優氏によるエピローグは、それを補うべくデザインの歩みの中に倉俣を位置づけようとする意図がうかがえた。例えば美術史、建築史のようにデザイン史が普及している状況があれば、深澤氏などは、倉俣についての基本的な理解から話し始めることをせず、もっと彼自身の独創的な解釈を授けられたのではないか。本書が示唆するコンセプチュアルな側面からのデザイン研究の成熟が望まれる。[橋本啓子]
2011/05/20(金)(SYNK)