artscapeレビュー
2011年06月01日号のレビュー/プレビュー
大駱駝艦・壺中天(演出・振付:向雲太郎)『底抜けマンダラ』
会期:2011/05/06~2011/05/15
大駱駝艦スタジオ壺中天[東京都]
最近DVDで『滝沢歌舞伎』を見た。あの〈タッキー〉が主演するジャニーズ流歌舞伎の世界。技量で匹敵できない分、少年たちが見せるのは、観客(ジャニオタ)の期待する「萌え」のヴァリエーション。見得も、下手な駄洒落も、残酷なシーンも、一生懸命な演技のすべては観客が「萌え」るためにある。そのあからさまな目的が舞台をすっきりさせ、自虐的な部分も含め、舞台を重層的にアイロニカルにする。そんななか思ったのは、これは、壺中天の公演にしばしば感じる「すっきりさ」に似ているということだった。白塗りの裸体=異形で踊る点では異なるものの、壺中天に濃密に現われるのは「萌え」と同様のエロティシズムである。そのポイントを否定しないどころかかなり自覚的に活用しているところに、壺中天が日本のダンス界において特異なポジションを獲得しているおもな要因がある、そう言ってもいいだろう。本作でも、そうした壺中天らしいエロがちりばめられていた。これまた毎度のごとく、中学の部活にあるような、同性集団の醸し出す独特の関係性があちこちで展開され、そうした「男子」に失笑する楽しさを、向雲太郎は十分に演出した。ただし、似ているとはいえ、既存の表現の型に固執する「萌え」とは異なり、そうした型の周りに身を置きつつも同時にそれから自由であるのが、壺中天の手口であるはずだ。エロは観客を誘惑するのみならず、さらにどこかへと誘拐する手段のはずで、さてどこ行くのかと期待したのだが、タイトル通り「底抜け」なまま、終幕してしまった。
2011/05/13(金)(木村覚)
野井成正の表現──外から内へ/内から外へ
会期:2011/04/26~2011/07/03
中之島デザインミュージアム「de sign de」[大阪府]
2011年4月に大阪・中之島にオープンした「中之島デザインミュージアム de sign de」の開館記念展。川沿いに立つミニマル・デザインの建物に入ると、入口の西側スペースがカフェ、東側が展示室になっている。70平方メートルの展示室には、夥しい数の間伐材の柱が所狭しと立ち並び、その上部を無数の梁板がランダムに走る。これは、空間デザイナーの野井成正が新たに考案した「間伐材による移動可能なシステムキット・インテリア」であり、4本の柱と4本の梁板を最小単位として釘やねじを使わず組み立てが可能だ。つまり、一見、現代美術のインスタレーションに見えるこの展示は、installation(=取り付け、設置)の原義にふさわしく用を備えている。確かに、工事現場のような間伐材の林の中に入ると、どこに壁を立てて、廊下を設けようかなど、本能的に考えてしまう。これも野井の空間の成せるマジックなのか。
そう思いつつ2階に向かうと、階段で野井の椅子たちと目があう。荒々しい間伐材の空間とは対極的な、繊細なオブジェのような椅子である。2階で待ち受けていたのは、無数の竹が天井からつり下がるインスタレーションだった。竹の林を抜け、壁面に近づくと、人々のいる風景を描いた抽象的なドローイングが広がり、その横には野井が過去に手がけたバーや店舗インテリアの写真とマケットが飾られている。インテリアや建築は展示がしづらいジャンルだが、このように内部写真と模型を一度に見ることができるとわかりやすい。また、インスタレーションと壁面のドローイングに身体を取り巻かれる体験は、商業空間において野井が立ち上がらせようとする「風景」がなんであるのかを気づかせてくれる。
展覧会の副題「外から内へ/内から外へ」にあるとおり、木と竹のインスタレーションは内でも外でもない空間、もしくは室内と屋外(木、竹のある外)がときに反転するような空間である。このトポロジー性はまさにインテリアデザインの本質といって良いだろう。それは、建築の内部という与件を超越するものとして、インテリア・デザイナーたちが現前させようとする彼方の世界に他ならないのだ。今回の野井展は、商業インテリアを手がけるデザイナーという展覧会の対象としては稀なジャンルを採り上げた画期的な試みであり(しかも東京ではなく大阪である!)、会期中にはデザイナーによる対談やBARでの集いなど多数のイベントが用意されている。詳しくは、ウェブサイトを参照されたい。[橋本啓子]
2011/05/14(土)(SYNK)
華麗なる日本の輸出工芸──世界を驚かせた精美の技
会期:2011/04/29~2011/07/03
たばこと塩の博物館[東京都]
展示されている品々は、漆工であっても陶磁器であっても、ふだん美術館で優品として展示される工芸品とは印象を異にする。大胆な構成の貝細工、寄せ木のトランプケースやチェステーブル、会津漆器の十字架や聖書書見台など、意匠はもちろん、用途の面でも、見慣れた工芸品とは違う。これらは、おもに明治期から昭和初期にかけて海外向けに生産された装飾工芸品。日本の工芸品ではあるが、日本人のための品ではない。伝統的な技術が用いられているにもかかわらず、違和感を覚える理由はそこにある。
殖産興業の一環として明治政府が日本の工芸品輸出を奨励していたことは良く知られているが、工芸品には直接輸出されたものばかりではなく、箱根などの観光地で外国人旅行者向けのお土産品として製造販売されていたものも多い。製造業者は本来の産地から離れ、輸出港である横浜や、消費地である観光地の周辺に集積し、海外での需要に応え、外国人旅行者の嗜好に沿った製品をつくっていた。欧米の人々の好みに合うように意匠は大胆に構成され、飾り棚などの大物は運搬を容易にする構造上の工夫もなされていたという。
用いられた技術は必ずしも一流ではない。美的にも日本人の嗜好には合わないと思われるものも多い。しかしながら、ここに見られる品々は優品として遺されてきたものよりもずっと普遍的な日本の工芸品生産の結果であり、明治以降、否、それよりもはるか以前から、マーケットを志向せずしては存立し得ない工芸の本来の姿を伝える貴重な史料である。
出品されている約200点の作品は、すべて日本輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏が長年にわたって内外で集めてきたコレクションのほんの一部である。氏のコレクションは寄せ木細工だけでも25,000点に及ぶという。蒐集にかける情熱に驚嘆させられる展覧会でもある。[新川徳彦]
2011/05/15(日)(SYNK)
柏木博『探偵小説の室内』
デザイン評論家・柏木博による、「人々の存在あるいは内面と結びつくものとして、〈室内〉を主題とした」意欲作。本書は、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』に記された、「推理小説が室内の観相学となっている」という指摘から着想されている。また柏木は、「19世紀が〈室内の時代〉であって、ブルジョワジーたちが室内に幻想を抱き続けるようになった」というベンヤミンの記述を挙げ、近代的な個人主義の成立と「室内へのこだわり」との結びつきを強調する。確かにインテリアは持ち主の人となり、内面や精神までをも表わす。だから、部屋(=事件現場・手掛かり)から犯人像を読み解く推理小説においては、室内表象のされかたがどうなっているかについての考察は興味深いし、著者の着眼点はとてもユニークだ。ただ『探偵小説の室内』というタイトルから期待されるほど、純粋な推理小説作家が多く扱われていないのが少し残念だ。ポール・オースターやベルンハルト・シュリンク等々の作品を考察した章は、それはそれでもちろん面白いのだが。例えば現代ミステリ・ファンにあってみれば、女性探偵を主人公とした作品や女性作家の眼がもう少し取り上げられていたら、より楽しみが増えただろう。[竹内有子]
2011/05/15(日)(SYNK)
村山秀紀─異国浪漫にあそぶII
会期:2011/05/17~2011/05/29
ART SPACE 感[京都府]
表具師の村山は、伝統的な仕事だけでなく、現代アートとのコラボレーションや現代生活にマッチした表装の提案を積極的に行なっている。今回は、19世紀英国でつくられた手刺繍の栞や古書の挿絵を掛軸にしたり、アンティークのタイルを風炉先屏風と組み合わせて展示した。手刺繍に合わせて通常の掛軸では用いられない布地を組み合わせた掛軸は、無国籍なメルヘン感覚に溢れており、特に女性の指示を集めそう。風炉先屏風はモダンな仕上がりで、これならマンションの洋間にもしっくりと馴染んでくれそうだ。また、ウィリアム王子とキャサリン妃のご結婚にちなんでつくられた若き日の英国女王エリザベス2世の掛軸は、表層でユニオンジャックを表わしたり、床に女王の写真が載った『タイムズ』紙を添えるなど、思わずニンマリする仕掛けが満載だった。
2011/05/17(火)(小吹隆文)