artscapeレビュー

2012年03月01日号のレビュー/プレビュー

エリック・ギルのタイポグラフィ 文字の芸術

会期:2011/12/17~2012/01/29

多摩美術大学美術館[東京都]

活字書体「Gill Sans」の考案者として知られるエリック・ギルの展覧会。アーツ・アンドクラフト運動の精神を継承し、彫刻家であり、なおかつ美術批評家でもあったギルの幅広い仕事のなかから、本展はタイポグラフィとレタリングに焦点を絞ったもの。ギルが手がけた文字にまつわるドローイングや版画、見本帳、拓本、書籍など、およそ200点あまりを展示した。いくつもの文字が集積した展示は圧倒的だが、一つひとつを丁寧に見ていくと、やはり手書きの文字の美しさに眼を奪われる。流れるような線は、コンピュータ時代になって見失われて久しい文字の物質性の重要性を改めて確認させた。とはいえ、その美しい文字に遊びが乏しい点が気にならないわけではなかった。書体としての完成度は高いにせよ、その書体の形式から逸脱したり、再構築するような動きがあれば、文字の物質性を再び鍛え上げることができると思われるからだ。その意味で言えば、ジャンルは異なるものの、たとえばコンクリート・ポエトリーの新国誠一のような実験的な試みのほうが、美しさと遊びを両立させている点で、有効であるように思う。

2012/01/27(金)(福住廉)

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瀧口修造とマルセル・デュシャン

会期:2011/11/22~2012/01/29

千葉市美術館[千葉県]

ひとりの美術評論家にとって、ひとりの偉大なアーティストの存在が、かくも大きいということがあるのだろうか。本展でまざまざと感じたのは、なかば呆れた思いも入り混じった驚きの感情だった。本展のタイトルでは、瀧口修造とマルセル・デュシャンが並列の関係に置かれているが、実際の展示を見てみると、両者の関係はむしろ一方に傾いていることに気がつく。デュシャンの《泉》をはじめとする数々の謎めいた作品や往復書簡から浮き彫りになるのは、瀧口によるデュシャンへのあまりにも熱い想いだからだ。それが評論家と美術家の親交というには、度が過ぎていると言わざるをえないのは、デュシャンの別名である「ローズ・セラヴィ」と記銘された瀧口の墓石の写真を見れば一目瞭然だ。瀧口修造といえば、これまで戦後美術を代表する美術評論家ないしは詩人として過剰に神話化されてきたが、瀧口の(こういってよければ)「ミーハー的センス」をありありと浮き彫りにすることによって、瀧口を脱神話化するための糸口を提供したところに、本展の大きな意義があるように思う。もうひとつの発見は、晩年の瀧口が限界芸術を手がけていたという事実。60年代に美術批評の第一線から退いた後、瀧口は数々のオブジェを蒐集するのみならず、自分でもオブジェを制作し、デカルコマニーなどの手法を駆使した平面作品を制作しているが、それらは、誰がどう見ても、限界芸術以外の何物でもない。純粋芸術としての戦後美術を歴史化してきた当事者が、晩年になって限界芸術の境地にみずからたどり着いたという事実は、人は誰もが限界芸術からはじめ、途中で大衆芸術や純粋芸術を経由することはあったとしても、やがて再び限界芸術に立ち返ってくるという人間の性をはっきり裏書きしていると言えるだろう。

2012/01/28(土)(福住廉)

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渋谷ユートピア 1900-1945

会期:2011/12/06~2012/01/29

渋谷区立松濤美術館[東京都]

「渋谷」に集った近代美術の画家たちによる作品を見せる展覧会。菱田春草や岡田三郎助、岸田劉生など、主に前世紀の前半に現在の「渋谷」近辺に住んで制作していた画家たちによる作品を展示した。近代美術を新鮮に見せるための文脈として「渋谷」を担ぎ出したのはよい。当時の地図と現在の写真をあわせて見せるなど、展示に一工夫加えている点も好印象だ。ただし、同展が射程に収めている「渋谷」は、現在の青山や麻布、恵比寿なども含んでおり、地政学的なカテゴリーからの逸脱が大きすぎるといわざるをえない。なんといっても、渋谷は文字どおり「谷」なのだから、青山を「渋谷」と呼ぶにはどう考えても無理がある。そうした地理的な条件を超越するほどの共同体が結ばれていれば話は別だが、展示を見るかぎり、池袋モンパルナスのような濃密な人間関係が結ばれていたようにも思えない。さらなる今後の調査研究を待ちたい。

2012/01/29(日)(福住廉)

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今和次郎 採集講義

会期:2012/01/14~2012/03/25

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

考現学の今和次郎の展覧会。全国各地の農村の暮らしや文化を詳細に書きとめたフィールドノートや写真、民家を再現した模型、都市の風俗の細部を記録したメモや地図、さらには住宅の設計図など、270点あまりを一挙に展示した。合板パネルを組み合わせてつくった会場をじっくり丁寧に見ていくと、画家であり、建築家であり、デザイナーであり、そして何より足を使ったフィールドワーカーだった今の全貌に迫ることができる。フリーハンドの線で緻密に描かれた絵や図や像は、いくら見ていても飽きることがないほど、じつに美しい。線だけではない。1枚の四角い紙面に必要なイメージとテキストを満遍なく盛り込むバランス感覚も抜群で、その的確な構成力には何度も唸らされた。こうした今の手わざを支えていたのが、「生活改善」という言葉に示されているように、前近代的で封建的な農村文化を克服する思想としての近代だったが、現代社会がむしろ近代の隘路に陥り、新たな方向性を見失っていることを思えば、私たちはいま、今が改善する必要を見出した前近代を、改めて検証するべきではないだろうか。考現学というパースペクティヴは、都市文化を仔細に見るためだけではなく、いままさに疲弊している農村文化を再興するためにこそ、有効に使えるはずだ。そこに、考現学のアクチュアリティーがある。

2012/01/29(日)(福住廉)

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第60回東京藝術大学卒業・修了作品展

会期:2012/01/29~2012/02/03

東京藝術大学大学美術館ほか[東京都]

今年の東京芸大の卒展はなかなか秀作が多かったように思う。それは、作品の平均値が高かったからだとも言えるが、その一方で「つくる」ことと同時に「見せる」ことにも関心を払った学生が多かったからだ。寺木南の《純粋大衆芸術》は、人体がまぐあう性愛のシーンを描いた皿を壁面に展示した作品だが、一部の皿にプロジェクターで動画を投影するなどの工夫をして、食と性、生と死の問題を多面的に表現していた。豊永恭子の《地を愛でる》は、彫像作品だが、来場者に提灯を手渡し、暗い室内に置かれた彫像をその弱い明かりで照らし出して見せた。暗闇の中から浮かび上がる彫像はなんともエロティックだった。同じく彫刻の宮原嵩広は、階段の脇にあるデッドスペースを巧みに使用した作品で度肝を抜いた。狭い空間に入ると、コンクリートの壁面が円状に大きく凹んでいる。壁面全体をコンクリートで厚みを持たせ、その中央に凹部を設けたわけだ。なるほど、うまい具合に考えたものだと感心していたら、それだけではなかった。対照的な位置にある、もうひとつの階段脇の空間に入ると、そこにあったのは凸部のコンクリート。同じ要領で、対照的な場所に、凹凸をそれぞれ作りだした発想と技術が抜群にすばらしい。

2012/01/31(火)(福住廉)

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