artscapeレビュー
2012年03月01日号のレビュー/プレビュー
LOVE POP!キース・ヘリング展──アートはみんなのもの
会期:2012/01/21~2012/02/26
伊丹市立美術館[兵庫県]
ユーモアに溢れ、時には社会風刺が込められたキース・へリング(Keith Haring, 1958-1990)の作品は愉快だ。たびたび来日し壁画を制作したり、グッズ・ショップを開いたこともあって、馴染みも深い。彼が世間に知られるようになったのは23歳のときのこと。ニューヨークの地下鉄のプラットホームにある、古い広告を覆うための黒い紙に絵を書くようになってからだ。白いチョークで描かれた顔のない男、輝いている赤ん坊、吠える犬、空を飛ぶ円盤はたちまち話題を呼び、へリングは80年代のアメリカ美術を代表する作家となった。惜しくもエイズにより31歳の若さで亡くなってしまうが、世界中に強烈な印象を与えた。本展では山梨県にある中村キース・へリング美術館の所蔵品を中心に、国内から集められた作品150点余が紹介されている。[金相美]
2012/02/08(水)(SYNK)
小松浩子 写真展 ブロイラースペース時代の彼女の名前
会期:2012/02/07~2012/02/12
目黒区美術館 区民ギャラリー[東京都]
最近まで東京は桜上水にあった「ブロイラースペース」。写真家の榎本千賀子と小松浩子が共同運営しながら毎月一度それぞれ新作を発表するためのスペースで、2011年6月におよそ1年間の活動を終えた。本展は、そこで小松が発表した作品のなかから厳選した写真を展示したもの。600点あまりの写真を壁面に展示すると同時に、20メートルの印画紙にそのまま焼きつけた長大な写真を壁面に張り巡らせ、一部を床に寝かせて展示した。大空間をたったひとりで埋め尽くした、渾身の展示である。小松がレンズを向けているのは、かねてから土建業者の資材置き場だが、モノクロ写真には重機や装置、ブロック、タイヤ、各種の建材などを集積させた光景が映し出されている。そのおびただしい物量自体に迫力があるが、よく見てみると、それらの物を規則的に配列する秩序と、その外側に逸脱する力が、写真の中で激しくせめぎ合っていることに気づく。求心的に引きつける力と、外向的にあふれ出る力が、ひとつの写真の中で入り乱れ、そのダイナミズムが得体の知れない蠢きの気配を醸し出しているのだろう。それは、暗い森の中で何かの存在を不意に感じ取ってしまった、あの怖ろしい感覚に近い。
2012/02/09(木)(福住廉)
ノモトヒロヒト写真展 LIFE
会期:2012/02/03~2012/02/25
TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]
東日本大震災の発生から数週間後に津波の被災地を訪れて制作した2つのシリーズを発表。《Facade》は、津波により破壊された建物を真正面から捉えたもので、いわゆるベッヒャースタイルの作品である。ノモトは本作の制作にあたって仮設住宅等に住む建物の持ち主を訪ね、制作意図の理解と許諾を得たうえで撮影している。また、完成作1点をそれぞれの建物の持ち主に贈呈したそうだ。《Debris》は瓦礫置き場の鉄骨や漁具などをアップで撮影し、コンピュータで合成してシュールな情景をつくり出したものだ。過酷な現実と真正面から向き合い、あくまで客観的眼差しをを保ちつつも決して冷血ではない2つのシリーズ。ノモトは困難な仕事をしっかりと成し遂げた。
2012/02/10(金)(小吹隆文)
バミューダトライアングル
会期:2012/02/04~2012/02/12
シャトー小金井[東京都]
有賀慎吾、泉太郎、小林史子による3人展。新進気鋭のアーティストたちが、古いマンションの中の空間を、それぞれ思う存分に活用した展示で、たいへん見応えがあった。黄色と黒によってアブノーマルな世界を創り出す有賀は、例によって不気味で不穏なインスタレーションを発表したが、あえて小さな入り口から来場者を招き入れることによって、あたかも直腸に進入するかのような変態性を体感させた。家具や電化製品を再構成する小林は、そのようにして部屋の中にもうひとつの部屋をつくり出したが、部分の集積であるにもかわらず、もうひとつの部屋の外壁が垂直の壁であるかのように感じられる反面、内部は乱雑に仕立てられた不思議な構造体だった。そして、噴水のある大空間を使った泉もまた、これまでと同様、既存の空間に介入し、映像の撮影と投影の場所を同一にしながら、独自の遊戯を展開した。鯉が泳ぐ池の中に飛び込み、ともに回遊しようとする映像を、その池の底に投影する作品は、映像の中では当然鯉に逃げられるものの、実際の池の中で泳ぐ鯉は、投影された映像の中の泉とともに見事に泳いでいるように見える。映像をとおして鯉との叶わぬ接触を図っているようだ。さらに全身黒タイツ姿でビリヤード台の上に仰向けに横たわった泉のまわりに数人の女性が立ち並び、手足の切れ目からひたすらボールを出し入れする映像も、終始カメラ目線の泉がコミカルなユーモアを醸し出しつつ、ボールの出し入れの反復が、奇妙なエロティシズムを感じさせた。最近の泉太郎は、どういうわけかエロチックな印象の強い映像を数多く制作しているが、今回の作品はそのなかでもとりわけ突出しているような気がする。映像というフィルターをとおして不可触の対象と接触するというフィクション。だがそれは、泉の作品に限られた特質ではないようだ。粘着的ともいえる有賀の作品も、鋭角的な小林の作品も、ともになにかしらの触覚性ないしは皮膚感覚を大いに刺激するからだ。
2012/02/10(金)(福住廉)
庭劇団ペニノ『誰も知らない貴方の部屋』
会期:2012/02/10~2012/02/26
はこぶね(劇団アトリエ)[東京都]
会場が公共ホールではなく主宰タニノクロウ氏の個人的な空間であることがそう思わせる主要因かもしれないが、会場を後にする気分は観劇体験というよりも、特殊な趣味の知人に招かれ、彼のきわめて個人的な嗜好に触れてしまったときのそれにきわめて近い。マンションの狭い一室。ぎゅうぎゅう詰めで座った観客の前に、上下二層になった舞台(部屋)が窮屈に広がる。前半の舞台となった上の層では、歯並びの極端に悪い人間(というよりは家畜の形相の)修道女(らしき)二人がランプや椅子やテーブル、たて笛などを磨く仕事を行なっている。問題はそれらのオブジェがどれもどう見ても男性器の形状をとっていることで、それだけでなんだか目の前の景色が「あやしいもの」に思えてくる。カーヴを布で撫でると、客席は失笑を禁じえない。男性器化したオブジェたちは悪夢? 修道女の妄想? あるいは観客の無意識の実体化? あれこれと思いがゆれる。そもそもタイトルの「貴方」とは誰を指している? などと問うていると、下の層が明るくなった。タイル張りのその部屋では中年にして学生服姿の男が異形のはりぼてを制作している。しばらくすると胴回りのしっかりした兄が現われ、二人は戯れ出した。兄の顔ははりぼてにそっくり。似すぎていて気持ちが悪い。これは兄のための誕生日プレゼントだということが次第に明らかになってくる。上の層に置かれたオブジェたちも修道女たちにつくらせたプレゼントの一部らしい。となれば、同性愛というべきかどうかは微妙だが、制服男の過剰な男性器愛がこの芝居の主題だったと判ってくる。最後のほうのシーンでは、この奇怪な男女4人がパッフェルベルの「カノン」をたて笛で演奏する。端から端まで、まともには理解不能の舞台、しかしすべてが絶妙なバランスで連動している。この絶妙な感じはタニノのセンスのなせるわざとしか言いようがなく、こんな凝った舞台を見せてくれて本当にありがとうとちょっと引きつった笑顔でこの部屋の主人に(心のなかで)会釈しつつ帰り道、思わず「早くいまの松本人志のステイタスを獲得して映画でもテレビ番組でもつくって欲しい」と呟いてしまった。
2012/02/12(日)(木村覚)