artscapeレビュー

2013年03月15日号のレビュー/プレビュー

Y・アーネスト・サトウ「Light and Shadow」

会期:2013/01/25~2013/02/28

Gallery 916[東京都]

神奈川県立近代美術館で開催された「実験工房展」カタログの巻末の座談会を読んでいたら、いきなりアーネスト・サトウの名前が出てきたので驚いた。戦後、GHQの肝いりで開始されたCIEライブラリーで、毎週のように現代音楽を含むレコード・コンサートが開催されており、その構成・解説を担当していたのがサトウだったのだ。湯浅譲二、福島和夫、武満徹、山口勝弘などはその常連だった。つまり、実験工房のメンバーの出会いのきっかけをつくったのが日米混血のサトウだったということで、これは僕にとっても驚きだった。そのサトウの写真展が、たまたま916で開催されているのも何かの縁と言えるだろう。
サトウは1951年(実験工房結成の年)に渡米し、やがて写真家の道を歩む。1962年に帰国。フォト・ジャーナリストとして活動した後、京都市立大学で教鞭をとるようになる。その彼の最大傑作と言うべき教え子が森村泰昌である。森村自身、サトウから受けた写真教育の影響をさまざまな場所で語っているが、たしかにしっかりとした技術に裏付けられた空間構築へのこだわりは、師から受け継いだものと言える。
サトウのプリントをこれだけまとめて見たのは初めてだが、やはり彼の音楽に対する造詣の深さが写真にも表われているように感じた。光と影のコントラストを活かした画面の構成力と、モノクローム・プリントのトーン・コントロールの見事さは、むしろ作曲家の仕事と共通性があるような気がする。ただ、現実世界のノイズをそぎ落とし、作品としてあまりにも完璧に仕上がっているということは諸刃の剣でもある。むしろ、レナード・バーンスタイン、オノ・ヨーコ、田中角栄などを含むポートレート作品に、モデルの強烈な個性を受け止めて投げ返した佳作が多い。帰国後の作品も含む、もう一回り大きな展示も見てみたいと思った。

2013/02/07(木)(飯沢耕太郎)

熊谷勇樹「そめむら」

会期:2013/02/04~2013/02/21

ガーディアン・ガーデン[東京都]

志賀理江子の「螺旋海岸」を見た後、何人かの若手写真家の被写体へのアプローチにどこか共通した志向性を感じるようになった。儀式めいたパフォーマンス、過剰な光と影のコントラスト、濃密な色彩効果、画面の傾きやブレ・ボケのようなノイズの導入などだ。熊谷勇樹の作品にも、そんな傾きを感じないわけにはいかない。それを「時代の兆候」というのは先走り過ぎかもしれないが、若い写真家たちの現実世界への違和の感情が、もはやぎりぎりのテンションまで高まりつつあることの表われと言えるかもしれない。
熊谷の今回の個展は、昨年3月~4月に開催された第6回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞作品「贅沢」を発展させたもの。大小の写真を壁に配置するインスタレーションも含めて、写真を通じて「不確かさ」を提示しようという意志がくっきりと表われていて、気持ちのいい展示だった。だが、ここから先がむずかしい。「どこの誰とも規定されずに彷徨っているような非決定的な写真を撮ることで、世の中のあらゆる手に負えないものや不合理なものの存在を証明したい」。このマニフェスト自体は間違ってはいないが、「非決定的な写真」に安住してしまうと、いたずらに断片を撒き散らすだけで終わりかねない。むしろ「手に負えないものや不合理なもの」にさらに肉迫し、それらのリアリティを引きずり出し、地図化(マッピング)していくような力業を期待したい。志賀理江子が「螺旋海岸」で成し遂げようとしたのは、まさにそういう作業の積み重ねだったのではないだろうか。

2013/02/07(木)(飯沢耕太郎)

JR展──世界はアートで変わっていく

会期:2013/02/10~2013/06/02

ワタリウム美術館[東京都]

一瞬、東京ステーションギャラリーの展覧会かと思った人もいるに違いない。いないか。JRは、街なかに人の巨大な顔写真を貼りつけていくフランスのストリートアーティストの名前。階段の垂直面に顔写真を少しずつ貼ったり、何軒もの家の壁に部分写真を貼りつけて、遠くから見るとひとつの大きな顔に見える大規模なプロジェクトを手がけている。また、線路の敷かれた土手に顔の下半分を貼り、そこに目の部分を貼りつけた列車がやってきて、通過する一瞬だけ顔写真が完成するパフォーマンスも試みているが、それこそ日本のJRとタイアップしてやってほしいところだ。もっとも新幹線じゃアッという間だけど。まあとにかく街をキャンバスにして(この場合は印画紙か)アートを蔓延させ、そのことで世界を変えていこうとするアクティヴィストといってもいい。ストリートアートなので今回は実作品が展示されるわけでなく、ドキュメント映像での紹介。展示室の一画には写真撮影ブースが設けられ、入場者が撮影するとポスターサイズの顔写真がプリントされ、お持ち帰りができるというサービスもある。この顔のポスターを好きな場所に貼り、それを写真に撮ってワタリウムに送ると美術館のサイトに発表されるという。ただし、撮影された顔写真は自動的にJRのウェブサイトに送られ、肖像権フリーの素材になるらしいからご注意を。

2013/02/09(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00020584.json s 10081905

アートギャラリー×SUUMO住宅展示場

会期:2013/02/09~2013/02/17

武蔵小杉・SUUMO住宅展示場[神奈川県]

最近よくある住宅展示場でのアートフェア。「ご来場いただいた皆さまにもれなく!『石鍋シェフのこだわりチョコケーキ』をプレゼント」という案内状の惹句にひかれて訪れてみた。出展はアートラボ・トーキョーから菅間圭子、戸泉恵徳ら、メグミオギタギャラリーから杉田陽平、中村ケンゴら計16人で、ひとり1軒ずつ16軒のモデルハウスに作品を展示している。家に入ると担当者(もちろん不動産屋の)が「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えてくれる。「あ、絵を見に来ただけです」というと「どうぞごゆっくり」と慇懃無礼に引き下がってくれるところもあるが、ぴったり背後に張りついて「家のほうはいかがですか?」とセールスかけてくる担当者もいて閉口する。それを16軒クリアしなければならないのだから高度なカケヒキが必要だ。最後にチョコケーキをもらえたが、これは障害物競走を勝ち抜いたごほうびみたいなものかもしれない。あれ? よく見たら「ご来場いただいた皆さまにもれなく!」と書いてある下に「来場プレゼントは、なくなり次第終了となります」と小さく記されている。どっちやねん!? ま、とにかくもらえてよかった。って作品のこと書くの忘れてた。モデルハウスなのでクギを打てないのか、だいたい10号程度までの小品2、3点を壁や棚に立て掛けてるところが多く、展示環境としては劣悪といっていい。そんななかで光ったのは中村ケンゴ。彼はもともと不動産の見取り図に基づいた絵を描いているのでピッタリなのだが、それ以上によかったのが、手塚治虫のマンガのキャラをつなぎ合わせた幽霊画のような《Without Me》という作品。これ1点見られただけでもよしとしよう。石鍋シェフのチョコケーキももらえたし。しつこいか。

2013/02/10(日)(村田真)

鈴木理策「アトリエのセザンヌ」

会期:2013/02/09~2013/03/27

GALLERY KOYANAGI[東京都]

鈴木理策にはすでにセザンヌが生涯のテーマとして追求し続けたサント・ヴィクトワール山を撮影したシリーズがあり、2004年には写真集『MONT SAINTE VICTOIRE』(Nazraeli Press)として刊行されている。このシリーズも絵画と写真との表現のあり方を問い直す意欲作だったが、今回GALLERY KOYANAGIで発表された新作「アトリエのセザンヌ」では、彼のセザンヌ解釈のさらなる展開を見ることができた。
サント・ヴィクトワール山の写真もあるが、中心になっているのはセザンヌが絵を描き続けたアトリエの内部で、むしろそこに射し込む光が主役と言ってよい。鈴木はもともと、光の質感やたたずまいを鋭敏で繊細なセンサーでとらえ、定着することが得意な写真家だが、今回の連作でもその能力が見事に発揮されている。窓から射し込む光は、アトリエの中のオブジェ(印象的な3個の髑髏を含む)、壁に掛けられた画家の上着や杖などの輪郭をくっきりと浮かび上がらせるだけでなく、むしろその重力を奪い去り、ふわふわと宙を漂うような不安定で曖昧な存在に変質させてしまう。それは空間の明確な構造や対象物の物質性にこだわるセザンヌとは、まさに正反対のアプローチと言うべきだろう。会場には新作の動画(ヴィデオ)作品「知覚の感光板」(2012年)も展示されていたが、こちらの方が静止画像よりもさらに浮遊感が強まっており、鈴木の志向性がはっきりと表われているように感じた。
展覧会に寄せた小文で、作家の堀江敏幸が面白い解釈を打ち出している。鈴木が撮影するサント・ヴィクトワール山の岩肌は「セザンヌの脳内風景どころか脳そのもの」だというのだ。たしかに写真を眺めていると、そんなふうに見えてくる。卓見と言うべきではないだろうか。

2013/02/12(火)(飯沢耕太郎)

2013年03月15日号の
artscapeレビュー