artscapeレビュー

2013年09月01日号のレビュー/プレビュー

彫刻家 高村光太郎 展

会期:2013/06/29~2013/08/18

千葉市美術館[千葉県]

日本近代の彫刻家にして詩人の高村光太郎の回顧展。光太郎によるブロンズ彫刻や木彫をはじめ、師であるロダンや同時代の萩原守衛、中原悌二郎、佐藤朝山らによる作品、そして妻智恵子による紙絵など、あわせて130点あまりが展示された。そのうち60点近くを智恵子の紙絵が占めていたことは、展示のバランスを著しく阻害していたため、あまり感心できなかったが、それでも希少な作品を堪能できた。
ひときわ印象に残ったのは、光太郎による木彫作品。蝉や柘榴を彫り込んだ作品には、単なる写実的な再現性を超えた魅力がある。ブロンズ彫刻に生命や死を本質的に表現しようとする鬼迫がみなぎっている反面、こうした木彫にはデッサンをそのまま立体化したかのような朴訥とした味わいがあるのだ。それは、決して肩肘を張らない今日的な「脱力感」というより、いかように整えても私たちの肌に馴染む極めて基礎的な「質感」を表わしているように思えた。
事実、光太郎の木彫は、父光雲の指導を受けた幼年期を別にすれば、留学からの帰国後、しばらく彫刻から離れていた時期に制作されたものが多いらしい。西欧近代の彫刻を日本に根づかせようとして苦闘した光太郎が、しかし、その大きな限界に向き合ったとき、木彫という原点に立ち返ったわけだ。そのことの意味は決して小さくない。
光太郎にしろロダンにしろ、ブロンズ彫刻を見なおしてみると、その仰々しさが鼻につかないでもない。頭部や手を部分的に再現したそれらは、劇的に形象化されているため訴求力は高いが、その反面、色彩の乏しさと過剰な量塊性が私たちの喉元を通りにくいことも事実だ。木彫のやさしさと比べると、そのえぐ味がよりいっそう際立つと言ってもいい。光太郎の苦悩は、かつて吉本隆明が指摘したような「世界意識」の相違もあったに違いないだろうが、より直接的には「生理的」な問題が大きかったのではないだろうか。

2013/08/01(木)(福住廉)

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内山聡 I have my time.

会期:2013/07/06~2013/08/11

Gallery OUT of PLACE[奈良県]

絵画を「行為」と「時間」の2要素に還元し、文具などの既製品を用いた繰り返し行為のなかから表現を生成させる内山聡。本展では、紙テープを巻き続けて巨大かつカラフルな円形の作品が形成される過程そのものを展示。また、キャンバスを塗料に何度も漬け込んで作られるストライプ柄の作品も発表された。筆者が訪れたのは会期後半だったため、肝心の制作風景が見られなかったのは残念。ただ、制作時に使用した机や道具が展示室にそのまま残されていたため、後追いとはいえライブ感を持って作品を味わうことができた。

2013/08/04(日)(小吹隆文)

11ぴきのねこと馬場のぼるの世界展

会期:2013/07/13~2013/09/01

うらわ美術館[埼玉県]

日本の絵本の歴史の中心には、戦前からの童画家・挿画家の系譜に連なる作家たちがある。しかし戦後1960年代になると、やや毛色の違う作家たちが絵本の世界に現われる。やなせたかしや長新太、そして本展で取り上げられている馬場のぼる(1927-2001)といった、漫画家たちである。本展を企画した滝口明子・うらわ美術館学芸員によると、漫画家が絵本を手がける例は世界的に見ると珍しいことなのだという。漫画家出身の絵本作家の研究はまだ進んでおらず、その理由は明確ではないとのことであるが、出版社や編集者──馬場の場合はこぐま社の佐藤英和──のはたしてきた役割は非常に大きいようだ。絵本を手がけたことについて馬場自身は「漫画家になってすぐの頃から、いつか絵本を描いてみたいと思っていました。でも、当時は絵本がまじめ一本の路線を走っていて、とても漫画家なんぞがやる仕事という雰囲気ではなかったです」と述べている★1。他方でこぐま社の佐藤英和(現・相談役)は、こぐま社創立(1966年)のころ日本の作家による創作絵本をつくろうと考えていたものの、当時の日本では翻訳絵本が中心で、物語と絵の両方を手がけることができる絵本作家はほとんどいなかったために、それができる漫画家たちに声をかけたと述べている。そのなかのひとりが馬場のぼるであった★2。作家と編集者の幸せな出会いが、絵本作家・馬場のぼると、シリーズ累計388万部(2009年)という絵本『11ぴきのねこ』を生み出したことになる。
 展覧会は5章で構成されている。主題は絵本作家としての馬場のぼるであるが、第1章で幼少期のスケッチ、第2章で漫画家としての作品に遡ってその仕事をたどる。第3章「絵本の世界へ」では『きつね森の山男』や『くまのまあすけ』、『アリババと40人の盗賊』などの絵本。第4章が『11ぴきのねこ』シリーズの絵本とスケッチ、色指定などの資料。このシリーズはリトグラフ方式でつくられていて、いわゆる原画はない。会場では版ごとに色面を分けてプリントしたフィルムで、この印刷のしくみを説明している。第5章は遺作となった『ぶどう畑のアオさん』。会場壁面に展示された原画を見て、各所に用意された絵本を読み、ふたたび原画をみる。馬場のぼるの作品には、漫画でも絵本でも、絶対的なヒーローも絶対的な悪党も登場しない。人(あるいは動物)のふるまいにはつねになんらかの理由がある。だから、主人公にとって都合の良いことはしばしば相手にとっては不都合であり、主人公の不幸は相手にとっては幸せであったりもする。馬場の作品にはつねに両方の視点が描かれ、一方的な勧善懲悪には陥らない。『11ぴきのねこ』第1作に登場する怪魚の悲劇。『11ぴきのねことぶた』で、ねこたちのわがままに翻弄されるぶたと、ねこたちの結末。それは諦観ではない。展覧会のサブタイトルにあるとおり、「いろんなのがいて、だから面白い」のだ。こどもだけではなく、大人にとっても楽しめ、そして考えさせられる展覧会であった。[新川徳彦]

★1──『馬場のぼる展──「11ぴきのねこ」がやって来る ニャゴ!ニャゴ!ニャゴ!』(青森県立美術館、2009)、9頁。
★2──『しろくまちゃんのほっとけーき』40周年記念こぐま社相談役 佐藤英和さんインタビュー(3/3)(絵本ナビ) http://www.ehonnavi.net/specialcontents/contents.asp?id=38&pg=3


2013/08/08(土)(SYNK)

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マームとジプシー『cocoon』

会期:2013/08/05~2013/08/18

東京芸術劇場シアターイースト[東京都]

漫画家・今日マチ子の同名作品を原作にした本作は、第二次世界大戦、沖縄のひめゆり学徒隊の悲劇をモチーフにしている。女子学生たちを一人一人紹介する前半は、明るくて前向きな女の子たちが描かれる。当時のひとのあり様を丁寧に描かない分、現代の10代がそのままタイムスリップし、戦争に巻き込まれているかのような演出になっていた。これは今日の漫画を踏襲した結果でもあろう。今日の漫画では、兵士など男たちは白い輪郭だけで描かれた。それは少女時代の「潔癖さ」故に今日が「男性の存在がないようにふるまっていた」ことに由来するという。なるほど、戦争を描くのみならずここにあるのは、そうした同性のみの世界(女子校的世界)の姿であり、同性のみの世界がつくり出す独特のファンタジーが「繭(コクーン/cocoon)」という言葉で伝えたい内実を示してもいる。同性のみで完結するこの閉じた世界が、後半、戦争の惨劇に巻き込まれていく。手榴弾で自爆したり、治療の手助けをした男にレイプされるなどのエピソードもショッキングだが、そうした出来事を、猛烈な勢いで舞台を駈け回る役者たちによって描いたのは圧巻だった。マームとジプシー独特の何度も角度を変えながら場面を反復するスタイルが、執拗に繰り返されると、舞台上の華奢な役者たちは本当に身体的に疲弊し、その様が戦場の恐ろしさにリアリティを与える。ただし、この現代の少女たちがタイムスリップしたように見える演出は戦争をイメージするのに十分効果的だったのか、この点は疑念に思った。ちょうど同じタイミングで上映されている宮崎駿のアニメーション『風立ちぬ』も戦争の時代を描いていたが、宮崎は当時の人間の心模様をとらえようと試みていた。戦争中の人々は、戦争のことや自分の思いについて寡黙だった(亡くなった祖母や祖父などをとおしてぼくもその感じをかろうじて知っている)。無邪気になんでも口にできるわけではなかった。宮崎の描いた寡黙さは、当時の戦争を的確に伝えていた。対して『cocoon』の少女たちは饒舌だ。しかし、この饒舌さを封殺してしまうものこそ戦争ではないか。そしてまた別の話だけれど、現代の少女が将来、最悪の進路を世界が進むとき、その果てで経験する戦争は、おそらく70年前とは異なる戦争だろう。いまの時点でも自爆テロや兵器の遠隔操作をぼくたちは知っている。ぼくたちは歴史を忘れずにいるのみならず、いや歴史的事象を悲劇として鑑賞するくらいなら、むしろ未来のありうる悲劇を正確にイメージしておくべきかも知れない。

2013/08/08(木)(木村覚)

浮遊するデザイン──倉俣史朗とともに

会期:2013/07/06~2013/09/01

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

私は倉俣史朗の作品がよくわからない。それは好き/嫌いの問題ではない。好き嫌いでいうならば、私は倉俣の作品が好きである。アクリルやガラスなどの素材が生み出すあの浮遊感が好きである。わからないのは、彼がデザイナーと呼ばれていること、彼の仕事がデザインと呼ばれていることである。彼の仕事がデザインであるとしたとき、それがデザインの歴史のなかにどのように位置づけられるのかがわからないのである。デザインの歴史的な流れでいうならばポストモダンのひとつなのだと思われるが、彼の仕事はそうした時代の流れとも無縁に存在しているように見えるのだ。いってみれば、たとえゴシックの時代であろうと、ロココの時代であろうと、倉俣のデザインは倉俣のデザインとして、揺るぎなく存在していただろうと思われるのだ。時代ばかりではない。彼の仕事はそのオリジンである日本のイメージどころか、特定の国や地域とのつながりをも感じさせない。歴史的、地理的な様式の影響や引用を感じさせない。彼はそうした様式に無知なのではない。理解したうえでそれらをいったんすべて解体しているのだ。その結果として、時間軸においても、空間的にも、彼のデザインはその作品がもたらす印象と同様に自立し、浮遊しているように見える。彼が生み出すものが変化するのは、彼の思想が変わったときというよりも、ガラスの椅子のエピソードに見られるように、彼のつくりたかったものが技術的に可能になったときなのである。彼が活躍した領域がデザイン史の中心であるインダストリアルデザインでもグラフィックデザインでもなく、インテリアデザインであったことも歴史的な位置づけを難しくしている理由のひとつであろう。戦後日本のデザインに言及するとき、大衆を市場とするマスプロダクトを対象とすることが多いのに対して、インテリアの仕事は特定の場、特定の人々に向けられたものだからだ。その点では、倉俣の仕事はオブジェであるとする考えもありうるだろう。実際、彼とクライアントとの関係──プレゼンは契約を結んだあとに行なわれるとか、彼の仕事はしばしば極めて短期のうちにクライアントによって撤去されたとか──は、問題解決のためのデザインというよりもアートのそれに近いように思われる。展示でも示されていたように、彼のイメージの源泉が同時代ではなく幼少期の体験に根ざしていることもその感を強くさせる。他方で、彼の作品はオブジェ的であったとしても、ぎりぎりのところで機能を捨てていないところから、やはりデザインであるという主張もあり、そうなるとふたたび冒頭の疑問へとループしてしまうのである。
 その歴史的位置づけの難しさとは異なり、本展はとてもわかりやすい構成であった。2年前の21_21での展覧会(「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」21_21 DESIGN SIGHT、2011/2/2~7/18)は、家具の仕事を中心にモノを見せる展覧会であったが、本展は倉俣史朗という人物の形成、美術家とのつながり、また家具のみならずインテリアの仕事をも丁寧に見せる。都立工芸高校時代に啓発されたという柳宗理のレコードプレーヤーや、桑沢デザイン研究所時代に見て衝撃を受けたという具体展、イタリアの建築誌『domus』から始まり、高松次郎との協働作業や、田中信太郎、三木富雄らとの交流にも焦点があてられる。なかでも大きな影響を与えたという田中信太郎の《点・線・面》が再現展示されている。三宅一生のブティックデザインや住宅建築、エットレ・ソットサスとの交流を経て、クラマタデザイン事務所出身者たちの仕事も紹介されていた。図録にはインテリアの仕事の多数の写真、文献目録の他、雑誌『室内』や『Japan Interior Design』などからの倉俣史朗の言葉が引用されており、資料としても充実したものになっている。[新川徳彦]


展示風景

2013/08/08(木)(SYNK)

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2013年09月01日号の
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