artscapeレビュー
2017年11月15日号のレビュー/プレビュー
窓学10周年記念 窓学展「窓から見える世界」オープニングトークイベント
会期:2017/09/28
スパイラルカフェ(スパイラル1F)[東京都]
窓学展のオープニング・トークの司会をつとめた。今回、窓の物語学で参加している原広司は、ラテン・アメリカの想像力の系譜をたどりつつ、レアンドロ・エルリッヒの登場から、シュルレアリスムを夜の夢(無意識)と白昼夢(論理的)に分ける視点を提出し、彼は後者だと論じる。レアンドロは、ヒッチコックの映画『裏窓』をモチーフにした初期の作品から、「窓と梯子」のシリーズまで、自作から窓関係のものを紹介した。なお、スパイラルの新作は、かつて青山にあったかもしれない近代の看板建築的なイメージを重ねている。2人とも、物語に影響されて作品を制作するというよりも、まさに物語と同様に建築やアートをつくっていることが興味深い。
2017/09/28(木)(五十嵐太郎)
アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー
Bunkamura ル・シネマ[東京都]
字幕をチェックするために、一足早く、研究者、学芸員、コレクターの証言やコメントをもとに、アイリーン・グレイの生涯をたどるドキュメンタリー映画『Gray Matters』を見る。E.1027が共作でなく、彼女個人の作品という説も提出されるほか、ル・コルビュジエとの関係で知らなかった興味深い事実が多く、発見が多い。彼女の再評価において、ジョセフ・リクワートの功績も大きかった。先に公開されたアイリーンの映画『追憶のヴィラ』は、ル・コルビュジエとの関係や奇跡の住宅E.1027がメインであり、建築家として彼女を再評価するものだったが、この映画は家具やインテリアデザインの仕事に注目したことも特徴である。
2017/09/29(金)(五十嵐太郎)
模型世界──探求するかたちの蒐集──
会期:2017/09/29~2017/10/13
東北大学トンチクギャラリー[宮城県]
東北大の五十嵐研による「模型世界」展がスタートした。昨年の「先史のかたち」展では縄文土器を渦状に並べたが、今回は模型をテーマに多分野のコレクションを借り、屏風を共通モチーフとしながら、それぞれの展示物にふさわしいオリジナルの什器を制作し、現代における驚異の部屋を演出した。今回、アーティスト枠としては、宮城大の建築家、中田千彦による連作の模型も参加している。各ジャンルの作品解説やコラムを収録した「模型世界」展のカタログでは、1冊の本なのだが、四種類のページの開き方がある特殊な製本に挑戦した。せんだいスクール・オブ・デザインで制作した「S-meme」の実験と同様、紙ならではの読書をデザインしたものだ。また日本電気硝子が協賛した見えないガラスを一部の什器で用いたが、本当に映り込みがなく、目の前にガラスがないかのような視覚体験に多くの来場者が驚いていた。
写真:上=会場風景 中=中田千彦の模型 下=見えないガラスを用いた展示
2017/09/30(土)(五十嵐太郎)
六本木アートナイト2017
会期:2017/09/30~2017/10/01
土曜の深夜と日曜の午後の2回見に行った。なんだかいろいろにぎやかにやっていたけど、見て得したっていうのはそんなに多くなかったなあ。いくつか挙げると、まず、六本木ヒルズ内の通路の一画を写真スタジオに見立て、正面を向いてポーズをとる十数人の人物像を置いた江頭誠。壁も床も人物もすべてロココ風の花柄の毛布で覆われて、じつに華やかというか不気味というか。その前で同じ花柄の上着を着せてもらって撮影できるというサービスつき。これは人気があった。同じヒルズの通路内と六本木西公園でプレゼンしたナウィン・ラワンチャイクンの《OKのまつり》は、六本木を題材にした映画やワークショップの構成。映画とワークショップは見てないけど、そのために描いた宣伝用の看板絵には、森美術館の南條史生館長をはじめ理事長やキュレーターが登場して内輪ウケする。三河台公園では幸田千依が大作絵画を屋外制作し、木村崇人は公園の樹木を使ってを星形の「木もれ陽」をつくるワークショップ。あまり接点がなさそうな幸田と木村の組み合わせだが、共通項は「太陽」だ。
圧巻だったのは、東京ミッドタウンの芝生広場で公開された「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ2017」。これはスイスの音楽祭ルツェルン・フェスティバルと日本の音楽事務所カジモトが、東日本大震災の復興支援のために発案し、建築家の磯崎新と彫刻家のアニッシュ・カプーアによってデザインされた、収容人数500人ほどの移動式コンサートホール。クラインの壷を思わせるドーナツ状の巨大なバルーンで、内部に空気を送り込んで膨らませる仕掛け。中に入ると、なるほど送風機が何台も稼働していて、気圧が高いことが耳でわかる。この奇怪な位相建築、六本木アートナイトの出し物というより、東京ミッドタウンの開業10周年を記念して誘致されたもので、21_21デザインサイトの「そこまでやるか」展でも紹介されていた。入場料500円とられたけど、これがいちばん得した「作品」。
2017/10/01(日)(村田真)
長島有里枝「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」
会期:2017/09/30~2017/11/26
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
武蔵野美術大学在学中の1993年、パルコが主催する「アーバナート#2」展に長島有里枝が出品した、セルフポートレートを含む「家族ヌード」には衝撃を受けた。まったく新しい思考と感受性と行動力を備えた写真家が出現してきたという驚きを、いまでもありありと思い起こすことができる。その長島の25年にわたる軌跡を辿り直す「代表曲を収録したベストアルバム」(野中モモ)というべき東京都写真美術館での個展は、その意味で僕にとってはとても感慨深いものだった。あっという間のようで、さまざまな出来事が凝縮したその25年のあいだに、ひとりの女性写真家がどのように変貌していったのか、あるいは何を保ち続けてきたのかが、ありありと浮かび上がる展示だったからだ。『YURIE NAGASHIMA』(風雅書房、1995)、『empty white room』(リトルモア、1995)、『家族』(光琳社出版、1998)、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版、2000)と続く、キャリアの前半期の写真群には勢いがあり、自分と家族、社会との関係が小気味よく切り取られている。だが、むしろ結婚、出産、離婚などを経た後半期の作品に、写真家としての成熟がよくあらわれていると思う。写真集『SWISS』(赤々舎、2010)におさめられた写真や、母親と共同制作したという個展「家庭について/about home」(MAHO KUBOTA GALLERY、2016)のインスタレーション(写真も含む)には、生の苦味や重みを背負いつつ作品として投げ返し、一歩一歩進んでいくアーティストの姿勢がしっかりと刻みつけられていた。どうしても腑に落ちなかったのは、「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」という、どこかのテレビ局のメロドラマのようなタイトルである。もしかすると、タイトルと展示の内容との違和感が狙いなのかもしれないが。
2017/10/04(水)(飯沢耕太郎)