artscapeレビュー

2017年11月15日号のレビュー/プレビュー

アルマンド・サラス・ポルトゥガル「Casa Barrag n」

会期:2017/10/10~2017/11/11

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

昨年、グラシエラ・イトゥルビデ展を開催したタカ・イシイギャラリーフォトグラフィー/フィルムで、再びメキシコの写真家の作品が展示された。アルマンド・サラス・ポルトゥガル(1916~1995)は、メキシコ・モンテレイ出身で、1930年代にアメリカ・ロサンゼルスで写真を学び、帰国後、メキシコ各地を撮影したドラマチックでスケールの大きな風景写真で頭角をあらわした。建築写真の分野でも、端正な画面構成の作品を多数発表している。特に40年にわたって「専属写真家」を務めたという、ルイス・バラガンの建築の記録写真がよく知られている。今回の個展はバラガンの代表作といえるメキシコシティ郊外の《バラガン邸》(1948)を撮影した写真を集めたもので、ポルトゥガルの建築物に対する視点の取り方を、じっくりと検討しながら眺めることができた。バラガンは当時の建築の主流であった機能主義的な国際様式をそのまま取り込むのではなく、メキシコの伝統的な生活様式や美意識に合わせて変更していく「感情的建築」を目指していた。《バラガン邸》にはその彼の志向が最も強くあらわれており、ポルトゥガルもそれに合わせて、カメラアングルや光の状態を慎重に選択してシャッターを切っている。こうしてみると、バラガンの建築がいかに「写真に撮られる」ことを前提として構想されているのかが、鮮やかに浮かびあがってくるのが興味深い。特に何点か展示されていたカラー写真に、バラガンとポルトゥガルの意図が明確に表明されているように感じた。

2017/10/13(金)(飯沢耕太郎)

Papers and Concrete: Modern Architecture in Korea 1987-1997

会期:2017/09/01~2018/02/18

国立現代美術館[韓国、ソウル]

ソウルの国立現代美術館では、美術アワードの展示のほか、建築部門では「PAPERS AND CONCRETE」展を開催していた。後者は社会状況と連動しつつ、1987年から97年までの韓国建築界の言説の変化を振り返る渋い企画である。いわゆる建築作品の展覧会ではなく、研究や教育活動に焦点を当てており、日本でもこういうタイプの建築展はあまりないだろう。巨匠が亡くなった後に登場した4.3グループや教育機関のSAなどを紹介していた。

写真:上=美術アワード 下=「PAPERS AND CONCRETE」展

2017/10/13(金)(五十嵐太郎)

荒木経惟『愛の劇場』

発行所:Zen Foto Gallery/ Case Publishing

発行日:2017/09

箱入りの写真集に、荒木経惟が執筆した以下の文章を印刷したチラシが挿入されている。それほど長い文章ではないので、そのまま引用しておくことにしよう。「〈愛の劇場〉と書いてあるキャビネ判の箱が出て来た。開けてみると150枚ほどのプリントが入っていた。‘65年頃のプリントだ。その頃オリンパスペンFでガチャガチャ撮って、わざと熱現像とかイイカゲンにフィルム現像してイイカゲンにプリントした、その頃の私と女と時代と場所が写ってる、表現(し)ちゃってる。あの頃から〈愛の…〉とか言ってたんだねえ。まーそれにしても イイねえ イイ写真だねえ、デジタルじゃこうはいかねえだろ。A」この文章に付け加えるべきものはほとんどないが、「フジブロマイド 硬調・光沢・薄手」の印画紙の箱とそこにおさめられていた写真群をそのまま再現した写真集は、内容的にはすこぶる面白い。「その頃の私と女と時代と場所」の中には、結婚前の陽子の姿もあり、荒木が表現者としてのあり方を、もがきつつ身につけていくプロセスが生々しくよみがえってくるのだ。それにしても、電通時代の荒木の多産ぶりには呆れるしかない。これまでも、月光荘のスケッチブックに貼り付けた私家版写真集や、フィルムの箱におさめられた写真群が再発掘されているのだが、この先も何が出てくるのかわからない。実質的なデビュー写真集と見なされてきた『センチメンタルな旅』(1971)以前の「プレ荒木」の写真群について、もう一度きちんと検討すべき時期がきているのではないだろうか。なお、写真集の刊行にあわせて、東京・渋谷にオープンしたCASE TOKYOでオリジナル・プリント全作品を展示する展覧会が開催された。

2017/10/14(土)(飯沢耕太郎)

ヴィヴィアン・サッセン「Of Mud and Lotus」

会期:2017/10/06~2017/11/25

G/P gallery[東京都]

1972年生まれのオランダの写真家、ヴィヴィアン・サッセンは、ここ10年余りファッション写真の分野でめざましい活動を展開している。日本の若い写真家たちのなかにも、彼女のスタイルを取り入れた写真が目立つようになった。一方で、アート写真の分野でも評価が高まりつつあり、2011年にニューヨーク、国際写真センター(ICP)のインフィニティ・アワードを受賞するなど、注目を集めている。今回のG/P galleryでの個展には、その彼女の新作が並んでいた。タイトルの「Of Mud and Lotus」というのは「泥のないところに蓮は咲かない(泥中の蓮)」という箴言に由来する。「蓮」は妊娠や出産などの女性性の象徴であり、植物や泥、女性の身体などのイメージを組み合わせて、そのことを浮かび上がらせようとしていた。特徴的なのは、コラージュやプリントへのペインティングなどの手法を積極的に使いこなしていることで、これまでの端正なストレート写真とはかなり印象が違う。見方によっては「やり過ぎ」ととられても仕方がないが、逆に自分の世界を打ち壊して、新たにつくり上げていこうとする意欲を強く感じた。インクジェットプリントのクオリティを含めて、その試みが必ずしもうまくいっているとは思えないが、作風をよりアート寄りに変えていこうとしていることがはっきりと見えてきている。個人的には、きのこのイメージが多用されていることが興味深かった。きのこは一晩で生長して胞子を撒き散らし、あっという間に森の中に増殖していく。それ自体が多産性の象徴であるとともに、そのフォルムも女性の身体のまろやかな曲線を想起させる。きのこ好きの僕としては、もっときのこに集中した作品が増えてくると嬉しい。今回の展示を見る限り、期待してもよさそうだ。なお、展覧会にあわせてG/P galleryから同名の写真集が刊行されている。

2017/10/14(土)(飯沢耕太郎)

単色のリズム 韓国の抽象

会期:2017/10/14~2017/12/24

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

タイトルを聞いてなつかしさを覚えた。70年代の終わりごろ、最初に知った韓国の現代美術がモノクロームの抽象画だったからだ。当時は世界的にミニマリズムの全盛期だったが、韓国のそれは徹底していて、抽象というのもはばかられるような、なにか怨念を塗り込めたような、あるいは視線を遮断するような暗さを感じたものだ。もっともそうした見方自体が当時の韓国に対する無知と偏見からくるものだったかもしれない。そんな韓国美術も90年前後からチェ・ジョンファ、イ・ブルらによる色彩豊かなインスタレーションが登場して一気に華やぎ、モノクローム絵画はすっかり忘れられてしまう。だからぼくにとって今回の展覧会は久しぶりの再会なのだ。
展示は19人の作品を数点ずつ、ほぼ世代順に個展形式で並べている。繭のような楕円にうがたれた墨で画面を埋め尽くしていく郭仁植、モーリス・ルイスと榎倉康二を足して2で割ったようなにじみを見せる尹亨根、画面全体を一色の絵具で覆って鉛筆で引っ掻いた朴栖甫、そして、群青色の岩絵具で線や点を描いていく李禹煥。ぼくがかつて見たのは彼らの作品だった。彼らは全員戦前生まれで(出品作家のうち朝鮮戦争後の生まれはわずか3人しかいない)、日本による植民地支配、第二次大戦、朝鮮戦争、戦後の独裁政治と貧困生活を知っている人たちだ。そうした経験がモノクローム絵画にも影を落としているはずだが、でもそれがひとつの流れになるのは思ったより新しく、70年代に入ってからだという。この暗さはなんとなく昔から連綿と続く韓国の伝統だと思っていたが、それこそ偏見だった。たしかにチマチョゴリにしても和服よりよっぽどハデだ。作品の多くはキャンバスに油彩だが、紙に墨というのもけっこうある。向こうでは日本のように洋画と日本画の主導権争いみたいな無意味な対立がなく、油彩画と韓国画が当たり前に同居しているのだろう。

2017/10/14(土)(村田真)

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