artscapeレビュー

2009年02月15日号のレビュー/プレビュー

ライオネル・ ファイニンガー展

[愛知県/宮城県]

愛知県美術館
会期:2008/10/17~2008/12/23
宮城県美術館
会期:2009/01/10~2009/03/01

すでに名古屋の展覧会で一度見ていたが、宮城に巡回したものを再び見る。ここにはクレーやカンディンスキーなど、ドイツ近代を扱う学芸員がいるので、ファイニンガーが来るのは順当といえる。ファイニンガーは一般的に、バウハウスの共同宣言の挿絵で光の大聖堂を版画で描いたことで知られ、愛知の常設でも展示されていたが、僕もそれくらいしか知らなかった。近代美術史の位置づけとしては、キュビスムの影響を受けた画家の一人なのだろう。彼は経歴が面白い。アメリカからドイツに行き、またアメリカに戻っている。もともとは風刺漫画を描いていて、その時から漫画的な空間のねじ曲げ方やデフォルメなど、ある種の抽象化の感覚はあった。ヨーロッパに移住し、キュビスムやドイツの近代美術、建築に影響を受け、バウハウスにも関わることになる。バウハウスの中世的な共同体志向は、彼の大聖堂の絵とも連動する。面白いことに、途中から橋やローマ時代の水道橋など、土木工事や建築を描くことが好きになり、人間を描かなくなる。都市や建築の風景が多くなり、画面が複数の光の層に分解して、クリスタル的な面となり、世界を再構成する。直接的な影響はないだろうが、ザハ・ハディドが香港のザ・ピークというコンペで全く違った形で街を極度に抽象化して表象しており、それと同じ意味で極めて建築的。
ハレというドイツの街から依頼を受け、しばらく大聖堂を描いているが、そのときは完全に独特の抽象世界である。彼がまだ見ぬニューヨークの摩天楼を抽象化したかのようだ。つまり、ファイニンガーはヨーロッパにおいて古い建物を見ながら、ヒュー・フェリス的な「明日のメトロポリス」を描いたといえる。退廃芸術だとされ、ナチスに追われた彼は、結局アメリカに戻り、無名な画家に戻ってしまう。ファイニンガーはクリスト同様、補助線の引き方がうまく、海に浮かぶ船の補助線をうまく描いたりしている。晩年、ニューヨークの絵などを描いたが、ハレの街を描いた30年代の方がよい作品である。摩天楼が出現する前にヨーロッパに渡り、アメリカに帰ってきたら摩天楼が出来ていた。

2009/01/21(水)(五十嵐太郎)

別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」記者会見

会期:1/22

大分県東京事務所[東京都]

4月から2カ月間、別府温泉で開かれるアートフェスティバルの記者会見。マイケル・リン、サルキス、インリン・オブ・ジョイトイらが参加する国際展をはじめ、ダンスあり音楽ありと盛りだくさんだが、若手作家が古いアパートで滞在制作する「わくわく混浴アパートメント」がおもしろそう。ぼくも滞在制作したい。会見後は上階の大分県のレストランで昼食。うまい。

2009/01/22(木)(村田真)

塚本悦雄─ケイトウ─

会期:1/9~31

MEGUMI OGITA GALLERY[東京都]

大理石でニワトリや子ヒツジやタコを彫っている。固いもんで柔らかいものを彫るのは現代彫刻の一傾向か。

2009/01/22(木)(村田真)

宮永愛子展 地中からはなつ島

会期:1/9~2/1

SHISEIDO GALLERY[東京都]

新進アーティストを支援する「アートエッグ」の今年第1弾。ギャラリー空間にショーケースの柱が何本も立ち、そのなかに植物などを型どったナフタリンが飾ってあるのだが、ナフタリンが次第に昇華してケースのところどころに白い結晶が付着している。解説には、「資生堂ギャラリーが銀座の地下に存在するということから、地下から地上へと水が通る水脈を引き、そこに“島”をはなちました」とある。その“島”にナフタリンが収められているというのだが、まさか本当に床に穴を開けて地下水を上げてるの? だったらスゴイよ、資生堂が。

2009/01/22(木)(村田真)

都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み

会期:2009/1/17~3/22

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

展覧会サイト:http://www.operacity.jp/ag/exh102/

スイスの建築事務所ディーナー&ディーナー(以下D&D)の展覧会。D&Dは、父親の代から続く設計事務所で、バーゼルを拠点に活躍。現在はベルリンにも事務所を持つ。代表であるロジャー・ディーナーは、ジャック・ヘルツォークやピエール・ド・ムーロンの同級生でもあり交流が深い建築家。今回、D&Dの所員である木村浩之氏が展覧会を企画から担当した。かなり以前から、木村氏から展覧会の話は聞いていたが、実現された展覧会を見て、タイミングといい、伝えたいコンセプトといい、建築の展覧会としては、これまでにない貴重なものだと思った。
第一室では模型と配置図のセットでプロジェクトを紹介。第二室は三つに分かれ、コンペの部屋、カーテンに囲まれた映像紹介の部屋、素材のサンプルが多く展示されている。1つのプロジェクトの情報が複数の場所にあるため、深く知ろうとすれば、自然に地図を持って、展示会場を彷徨うことになる。答えにすぐたどり着くわけではないが、興味をもてば、その深さが見えてくる。この体験こそが都市的な情報体験であるともいえる。
いわゆる建築家の展覧会を期待していった場合には、肩すかしを食らうかもしれない。建築をヴィジュアルや形態で「勝負」している建築事務所ではない。彼らはむしろそれを意図的に避けている。また、「作品を見せる」といったことを強く押し出す展覧会でもない。例えば、第一の部屋で展示されている模型をみると、敷地周辺の建物ヴォリュームのなかに、設計した建物が溶け込むように配置されていて、どこに作品があるかすぐには分からない。じっくり見ることによってはじめて「作品」がどれであるのかがゆっくりと浮かび上がってくるような展示なのだ。たとえ作品であることを過度に誇張しないまでも、周辺の風景を背景として、建築「作品」が表現されるのが、通常の建築展だといえる。しかしD&Dの場合、既存の都市といかに調和しつつ、その中での空間の可能性を最大限に高めるかということが、いかにも控えめな形で表現されている。それは最終的に建築を浮かび上がらせるわけでも都市をつくることに専念するわけでもない。むしろ都市と建築の関係性そのものを浮かび上がらせようとしているかのようなのだ。
都市の中に建築がいかに配置され、いかに振る舞うべきなのか。このような考え方は、なにもD&Dに限ったわけではない。例えば木村氏によれば、留学先のスイス連邦工科大学ローザンヌ校では、「どこに設計した建物が建っているのか分からないという作品こそが最良の建築である」というような建築教育もあったという。スイスにおいてはこの考え方がむしろ主流で、かなり一般的に認められているのだという。筆者自身もパリにいた時、同じような印象を受けたことがある。特にパリの都市建築は、周囲のファサードとの関連において定義づけられるような建築である。けれども日本の建築界において、このような考え方は、かなり違和感をもって捉えられるのではないだろうか。作品が見えないことが最良だという視点は、少なくとも建築家の側からは言いにくいのではないだろうか。
最後に、観客の視点から述べてみよう。この展覧会で1つの建築だけを作品と思って見ようとすれば、何かもの足りなさを感じるかもしれない。しかし建築がおかれている環境、背景、コンテクスト、それ全体を作品の一部として捉えていくことで、なぜ彼らが、このように一瞬どこに作品があるのか分からないくらい、慎み深いともいえる建築を追求しているのか、そういうことが少しずつ見えてくるのではないだろうか。ひるがえって、この展覧会が日本で開催された意義を考えるべきだろう。彼らにとってはまったく言葉に表わす必要のないくらい当たり前の、しかしわれわれにとっては建築をつくるまったく新しい方法論ともいえるような方法論を、この展覧会で見ることが出来るのだ。都市と建築との関係性を考えさせる、まさに最良の展覧会であると思った。

2009/01/23(金)(松田達)

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