2021年12月01日号
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artscapeレビュー

2010年07月01日号のレビュー/プレビュー

快快『SHIBAHAMA』

会期:2010/06/03~2010/06/13

東京芸術劇場小ホール[東京都]

とうとう快快の代表作が誕生した!「ポスト演劇」(という名称がふさわしいかわからないけれどさしあたり)の一歩が踏み出された記念碑的作品になるだろう。落語の名作「芝浜」をベースに、テレコ片手に役者はポーズをただ決めているだけで代わりに片手で握ったテレコのテープが「芝浜」を語ってしまう、そんな上演形式をとる冒頭の場面にはじまり、計5パターンの形式を通して物語が語られてゆく。そもそもお話しはフライヤーに書かれていたりして、あらかじめ観客は知っている(ことになっている)。大事なのは、その物語をどう情報化し、情報化したうえでどう観客たちと一緒に遊ぶかということ。次は役者たちが踊るなかDJによってラップで語られ、すると今度は「芝浜」の主人公・くまさんの生き様一つひとつ(「寝てばっかり」「遊んでばっかり」「偶然お金を拾う」etc.)をコーナー化しながら、その都度役者が実演したり(「寝てばっかり」のコーナーでは首を絞めて役者が本当に失神=睡眠した)、あるいはゲームでくまさんの状況を観客に追体験させたりした(「遊んでばっかり」のコーナーでは巨大スクリーンにシューティング・ゲームを映し観客がプレイし、「偶然お金を拾う」では勝ち抜きじゃんけん大会を観客たちが行なった)。その後、役者たちが「芝浜」を3日かけて研究したその成果を語り、最後は、すべてがマッシュアップされて混沌と化し、こうアゲてしまっては下がらない(落ちにならない)という落ちで終幕。アッパーへ向かうほかないところが、よかれ悪しかれ快快のパーティ的なセッティングと痛感。毎回異なるゲストを複数呼んで行なわれる公演=パーティは、集まったことそれ自体が引き起こす盛り上がりへと向かってゆくと同時に、無意味な人力の高揚は、隠しようもなく引き潮のごとく次に現われるダウナー状態を必然的に含みもっている。ダウナーを体現していたのは山崎皓司で、ガチでボクシングするコーナーで勝ってしまい相手の鼻血姿に暗くなったり、フィールドワークで「3日飛び」(3日寝ないことでトランスする遊び)で勃起不全になった話をし、大いに失笑を買った。「アゲ」るか「サゲ」るかしかないという状況、それは快快(という劇団名が基本的にアゲ志向なわけだけれど)のアイデンティティを語っている気がした。いやしかし、注目すべきはこれだけではない。役者が役を演じることで物語を可視化する以外に可能な複数の上演の方法を提示しながら、見る者のうちに「芝浜」の世界が染み渡ってゆく。単純にいって計5回の上演を一度に見たわけだから、染み渡るのも当然といえば当然だ。何度も何度もリミックスして物語をリプレイする。そのやり方こそ今作の快快が試みた表現の核心に他ならず、その遊びが演劇というジャンルの輪郭を大きく揺さぶっているのは間違いなく、さて、この激震が今後どういう次の展開を巻き起こすか、快快の、そして「ポスト演劇」のさらなる展開に注目していきたい。

2010/06/12(土)(木村覚)

麗子登場!!──名画100年・美の競演 神奈川県立近代美術館×兵庫県立美術館

会期:2010/06/15~2010/07/19

兵庫県立美術館[兵庫県]

日本初の公立近代美術館である神奈川県立近代美術館と、2番目の兵庫県立美術館(開館当時は兵庫県立近代美術館)のコレクションを融合して、日本近代美術100年の歴史を振り返った。見どころは、岸田劉生の《麗子像》と岸田の自画像による父娘再会や、松本竣介《立てる像》と小磯良平《斉唱》の2大スター絵画共演といった分かりやすい演出が施されている点。美術通にはベタかもしれないが、ビギナー目線で見ればこれくらいサービスしてくれた方がとっつきやすい。小出楢重の作風の変遷をたどったり、清水登之のアメリカ時代の作品とパリ時代の作品を見比べるなど、渋めの演出も見られるので、洋画ファンも決して退屈しないはずだ。しかし、こうして100年間の蓄積を一覧すると、日本の近代美術が一貫して西洋にコンプレックスを抱き続けてきたことがよくわかる。1世紀にわたる片思いの軌跡を前に、切ない気持ちがこみ上げてきた。

2010/06/15(火)(小吹隆文)

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ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし

会期:2010/04/24~2010/06/20

東京都庭園美術館[東京都]

ロシア構成主義のロトチェンコとステパーノワによる作品約170点を見せる展覧会。ドローイングやタブロー、建築、グラフィックデザイン、演劇、写真など多方面にわたる作品を見ていくと、社会建設のなかで芸術の力を発揮させようとする意欲がたしかに伝わってくる。とりわけ写真は当時の社会建設の様子とロトチェンコの実験精神を同時に物語っており、興味深かった。けれども、たとえば労働者が労働の疲れを癒すためにつくられたという「労働者クラブ」は直線と直角で構成されており、はたしてこのようなデザインで心身ともにリラックスできるのか、大いに疑問が残る。生産のための労働はともかく、それ以外の時間はダラダラと過ごしたいのが人間の性というものだ。理念を追究するあまり人間の現実から離れしてしまったというところに、社会建設という壮大な実験の失敗があるように思われた。

2010/06/16(水)(福住廉)

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ガロン第1回展

瑞聖寺ZAPギャラリー[東京都]

会期:2010/06/11~2010/06/13、2010/06/18~2010/06/20

日本画系の美術家によるグループ展。画家の市川裕司、大浦雅臣、金子朋樹、佐藤裕一郎、西川芳孝、松永龍太郎と、美術史研究者の小金沢智をあわせた7名がガロンのメンバーだ。今回の個展では白金の瑞聖寺にあるギャラリーで小金沢によるコーディネートのもと、他の6人のメンバーが2つのフロアに分かれて作品を発表した。なかでもとりわけ際立っていたのは、金子朋樹。空中を行き交う軍用ヘリコプターの機影を和紙に墨などで描きつけた。その不穏な迫力もさることながら、支持体の表面をわずかに丸く湾曲させているため、それじたいがヘリコプターの機体のように見える。日本画という形式から内容を導き出すのではなく、描くべき内容から形式を開発するという知恵にこそ、アーティストとしての矜持があるのではないだろうか。

2010/06/18(金)(福住廉)

酒井幸菜『難聴のパール』

会期:2010/06/18~2010/06/20

ヨコハマ創造都市センター[神奈川県]

見終わった直後、この既視感をどうとらえようかと思った。はっきり「参照しています」と表明する身振りが含まれていないものの、ゴダール?タルコフスキー?などとある種の映画たちのシーンを想起せずにはいられない場面が脈絡なく(少なくとも観客にはその流れの必然性は読みとれない)続いてゆく。個々のイメージのみならず振付や音楽の用い方なども個性は希薄で、「きれいだな」「雰囲気がいいな」と思わされた数々の瞬間は(ダンサーたちのルックスにもいえることなのだけれど)どこかで見たような「らしさ」に満ちている。この「らしさ」は批評的で戦略的なものなのか、ただたんに作家がある種のアートへの憧憬に突き動かされた結果なのか。恐らく後者だろう。だとすれば、アートに憧れる若いダンス作家の熱情がかなりベタな状態で舞台化されているのが本公演ということになろう、そうなると、その熱情に共鳴できるか否か、あるいはそうした熱情を抱く作家に愛着を抱けるか否かに、観客の評価はかかってくることだろう。さらに、だとしたら気になるのは、そうした評価のされ方を作家が望んでいるのかどうかで、つまるところ、作家は舞台を通して観客とのあいだになにを引き起こしたいと思っているのか、その問いが見ながらずっと心に離れなかった。

2010/06/19(土)(木村覚)

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