artscapeレビュー

2010年07月15日号のレビュー/プレビュー

ジョナサン・グランシー『失われた建築の歴史』

発行所:東洋書林

発行日:2010年4月

おもしろいコンセプトの本である。建築史は、結果的に現在まで残された各時代の建築をつなぎながら、物語を語っていく傾向をもつ。だが、多くの建築は消えてしまう。むろん、すべて建築が永遠に残ることなどありえない。何かがとり壊され、何かが新しく出現する。地震や火災、老朽化や再開発、あるいは爆撃やシンボルの破壊など、理由はさまざまだ。そして現存しないものは、歴史に残りにくい。ゆえに、本書は、大判の図版を使いながら、失われた建築を紹介する。建物が破壊されることも、歴史の営みなのだ。実は筆者も、こうしたテーマで書いてみたいと前々から思い、大学院の講義でもとりあげていたので、ちょっとやられたという気持ちがある。最近、刊行した磯達雄との共著『ぼくらが夢見た未来都市』(PHP新書、2010年)では、万博を軸に少しだけ、類似したトピックを扱うことができた。『失われた建築の歴史』でも、最終章「製図版に残された夢」が、いわゆるアンビルドのユートピア的な建築を論じている。しかし、やはり実際に一度は存在したすぐれた建築が、何らかの理由で消えたという歴史的な事実の重みの方が圧倒的に興味深い。これは古代から現代まで、人類の夢の跡をたどっていく、美しい本である。

2010/06/30(水)(五十嵐太郎)

第5回カルチベートトーク「ネットワーク行動学から都市デザインへ/建築、土木、都市、交通、景観を横断する可能性」

会期:2010/06/07

建築会館[東京都]

時流にとらわれず、本当に聞きたい話を聞く場をつくろうというところからはじまった、建築学会建築文化事業委員会主催のイベント。5回目のこの回では、交通工学を中心に建築や都市分野でも活躍している羽藤英二氏(東京大学准教授)を招いて、レクチャーとパネルディスカッションが開かれた。羽藤氏は、交通の基本となる「移動」という概念を「伝播」にも拡張させることにより、例えばtwitterから広がるネットワークなどコミュニケーション論も包括した話のなかで、交通から見た都市論を展開させた。そして自動車中心で速度の求められた20世紀型交通から、コミュニティの再編により「遅い交通」が求められる21世紀のモビリティ・クラウド型の交通への転換が説かれた(モビリティ・クラウドは、羽藤氏の造語で、モビリティ・オン・デマンドと呼ぶ研究者もいる)。後半のパネルディスカッションでは、阿部大輔氏(東京大学助教)、武田重昭氏(兵庫県立人と自然の博物館)、筆者が加わり、都市、ランドスケープ、建築という複数の領域の視点から羽藤氏のプレゼンテーションにおける可能性の地平が討議された。「遅い交通」における結節点の重要性から、交通や都市・建築などを包括する全体性の問題へと、スケールを横断しながら討議がなされたことも印象深い。交通という視点から、都市と建築を考えることができた、かなり希少なシンポジウムではなかったかと思う。

2010/06/30(水)(松田達)

open! architecture 2010

会期:2010/05/21~2010/06/13

[東京都]

UIA東京大会日本組織委員会フォーラムジャパン部会の斉藤理氏が中心となって実施している、建築を公開するイベント。2008年に始まり、本年で3年目。規模は徐々に拡大し、来場者数も毎年4割以上増えている。大きく三つの試みがある。ひとつは「建築解放区」で、都内のほか、神奈川、長野、大阪の建築で、普段入れないものなどを一般に開放し、解説も加える。二つめは「オープンハウス」で、建築家が自作を紹介する。三つめは「音楽イベント」で、名建築などを舞台として音楽演奏を行なう。ドイツやイギリスなどでは、このような建築開放の試みはすでに普及しており、大きなイベントとして行なわれているが、日本でこのようなイベントが行なわれはじめたことは意義深い。建築は、いったん施主の手に渡ると、公共建築や商業建築でなければ、一般の人が内部を見学することは難しい場合が多い。そのため、文化的に優れた建築も、なかなかその良さを知ることができない。しかし、open! architectureでは、建物が公開されることによって、その建物が地域や都市全体の「誇り=財産」となることにより、さらにその建物の意義が増すという考えのもと、多くの建物を公開している。このような流れが、日本における建築文化をより高める方向につながっていくことは、間違いないだろう。

URL=http://open-a.org/

2010/06/30(水)(松田達)

”Paris cote cours”

発行所:Editions du Pavillon de l’Arsenal / Picard Editeur

発行日:1998年

パリの中庭に関する論考のアンソロジー。パリ市都市建築展示資料情報センター(Pavillon de l’Arsenal)における「パリ、中庭側/都市の背後にある都市」展(1998年2~4月)が開かれた際にまとめられた本。監修はピエール・ガンニェ。パリにおいて建物のなかの一室は、窓がどちらにあるかによって基本的につねに通り側か中庭側に分かれる。言い換えれば、建物のファサードは通り側と中庭側の二面に分けられるということでもある。通常、ファサードといえば通り側であるが、中庭側にもファサードがあり、かつそれはあまり言及されることがなかった。都市論の文脈で、中庭側のファサード、そして中庭そのものが、まとめて論じられたことは、いくつかの研究を除いてこれまでほとんどなかった。本書では、モニク・エレブ、エリック・ラピエール、ロジェ=アンリ・ゲラン、ジャック・リュカンといった研究者や、アレクサンドル・シュメトフ、ブルーノ・フォルティエ、アンリ・シリアニ、クリスチャン・ド・ポルツァンパルク、ドミニク・リヨン、フレデリック・ボレルといった建築家が、それぞれの視点から中庭を語るという充実した内容であり、情報量としては、その多様性と奥深さによってパリの中庭に関する金字塔的な本となっている。中庭では、表から隠れていたがゆえに、建築的な実験が起こりやすかったことなど、中庭の建築・都市的な意義がさまざまに記述されており興味深い。なお筆者は2010年7月3日から7月15日まで清澄白河のギャラリー兼アートショップ深川ラボにて個展を開かせていただいており(松田達展「都市建築へ」)そのなかで「中庭」の可能性を問うたことから本書を改めて取り上げた。

2010/06/30(水)(松田達)

すみだ川アートプロジェクト2010「遠藤一郎:隅田川いまみらい郷土資料館」

会期:2010/06/26~2010/07/25

すみだリバーサイドホール・ギャラリー[東京都]

アサヒビール本社の前を流れる隅田川をどげんかせんといかんと始まった企画、今年は遠藤一郎が仲間とともに隅田川を源流までさかのぼり、調査、インタビュー、採集活動した成果を発表。水川千春は源流から河口までポイントごとに水を採取し、その水で紙に絵を描いて火にかざして「あぶり出し」ている。上流の水はきれいなので紙は真っ白だが、下流に行くほど不純物が多くなるため茶色く浮き出る。本当かよって疑いたくなるほど差がつく。河原に落ちてたものを拾ってきたやつもいる。松ぼっくり、自転車、IC回路など、これも上下流で落ちてるものがぜんぜん違う。おもしろいのは全長2メートルほどの恐竜の木製骨格標本。バラバラに落ちてたものを集めて復元しているのだから、化石と同じだ。感動的だったのは、時計だけ生きている自動炊飯器。飯を炊く機能は失われても、けなげに「生きている」。アサヒビールがつぶれても、人類が絶滅しても、この時計だけは時を表示し続けるような気がする。

2010/06/30(水)(村田真)

2010年07月15日号の
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