artscapeレビュー

2010年07月15日号のレビュー/プレビュー

「小屋丸:冬と春」試写会

会期:2010/06/15

映画美学校試写室[東京都]

2003年の越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」で、十日町市の小屋丸集落に《リトル・ユートピアン・ハウス》をつくったジャン=ミッシェル・アルベローラが、その小屋丸の厳しい冬を撮ったドキュメンタリー映画。テーマはひとことでいえば、キャッチコピーにあるように「なつかしいユートピアがここにある」。出てくるのはじいちゃんばあちゃんばっかだし、もともとモノクロに近い雪国をモノクロで撮っているので、エンタテインメントにはほど遠い映画ではある。が、だからつまらないかといえばそうではなく、その情報の少なさや田舎的時間の流れが逆に見る者を覚醒させ、近ごろ珍しくモノクロームな気分に染め上げてくれる。まあ越後妻有にもアルベローラにも地域文化にも興味なければ、退屈きわまりない映画だろうけど。

2010/06/15(火)(村田真)

アウトレンジ2010

会期:2010/06/09~2010/06/22

文房堂ギャラリー[東京都]

美大の教官が学生を選ぶ大学対抗グループ展。今回は金沢美大、東京造形大、美学校、武蔵美から学生5人と教官4人が出している。教官はO JUN、西島直紀、蓜島伸彦、宮島葉一で、小品のみ。学生の作品ともども売ってるが、食指は動かなかった。

2010/06/15(火)(村田真)

ウィリアム・エグルストン「パリ─京都」

会期:2010/06/05~2010/08/22

原美術館[東京都]

6月18日は何とも大変な一日だった。写真展を梯子して見ることは、それほど珍しいことではないが、この日は回った展覧会がすべて充実した濃い内容の展示で、さすがに相当の疲労感を覚えた。心地よい疲れではあるのだが。
まず、品川の原美術館でウィリアム・エグルストンの新作を見る。エグルストンはいうまでもなく、1976年のニューヨーク近代美術館での伝説的な個展で、「ニューカラー」と称されるカラー写真によるスナップショットの新たな領域を切り拓いた写真家だが、このところがらりとスタイルを変えてしまった。今回の「パリ─京都」のシリーズでは、まるでデジタルカメラで撮影したような(実際には35ミリと6×7のフィルムカメラ)軽やかな浮遊感が漂うイメージが、鮮やかな原色で乱舞していて、その吹っ切れたような自由な撮影ぶりに開放感と昂揚感を覚えた。「ニューカラー」という枠組み自体を、自分で軽々と乗りこえてしまているのだ。写真とドローイングがカップリングされているフレームもあり、このサインペンや色鉛筆でさっと描かれたドローイングがまた、実におしゃれで決まっている。
若い日本の写真家に、僕が「網膜派」と密かに呼んでいる、デジタルカメラを使って被写体の表層的な物質性に徹底してこだわる作風が芽生えつつある(小山泰介、和田裕也、吉田和生など)。ところが、彼らがやろうとしていることを、70歳を越えたエグルストンが先取りして、しかも見事に達成してしまった。これでは彼らの出る幕がないわけで、これはこれで困ったことではないだろうか。

2010/06/18(金)(飯沢耕太郎)

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鷹野隆大「金魚ブルブル」

会期:2010/06/18~2010/07/22

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

次に京橋のツァイト・フォト・サロンへ。個展のオープニングの前の時間というのはけっこう狙い目で、作者とゆっくり話をして作品を見ることができる。
鷹野だけではなく、北京で大きな個展を開催したばかりの安齊重男も姿を見せて、世界中のアーティストを撮影する時の興味深い話をうかがうことができた。
鷹野の作品は、「撮りはじめてからまだ2カ月」というまったくの新作で、ロールサイズの大判プリントが3点と全紙サイズのプリントが8点。被写体はすべて全裸、あるいは半裸体の男性である。テーマそのものは鷹野の作品としては決して珍しいものではないが、これまで以上にエロスの強度が増しているように感じる。たとえば、昨年刊行した『男の乗り方』(Akio Nagasawa Publishing)では、やはり男性のエロスを正面から扱っているが、そこではむしろ鷹野と被写体との「距離感」が意識されている。「距離を縮めようとする欲望こそがエロスを生み出す」ということだ。ところが、今回の「金魚ブルブル」では距離がかなり詰められ、「欲望を発生させるポイント」を見つけだすことに狙いが定まっていた。その意図はかなり突き詰められていて、何とも生々しい場面があっけらかんと展開している。『男の乗り方』も「あるようでない」写真集だったが、この「金魚ブルブル」もあまり例を見ないあからさまな直視型の男性ヌードである。その「ぬるり」「ぴちゃぴちゃ」とした肌の感触がなまめかしい。この新作を見ても、鷹野は写真家としての水脈をしっかりと見出しつつあるのではないかと思う。

2010/06/18(金)(飯沢耕太郎)

暗がりのあかり チェコ写真の現在

会期:2010/06/19~2010/08/08

資生堂ギャラリー[東京都]

鑑賞日:2010年6月18日
続いて銀座8丁目の資生堂ギャラリーへ。「チェコ写真」といってもあまりぴんとこない人が多いのではないだろうか。僕もそうだったのだが、本展のカタログに原稿を執筆するため資料に目を通して、あらためてその多様性とクオリティの高さに驚いた。それとともに興味深かったのは、日本の近代写真史との共時性である。1920年代のピクトリアリズムの隆盛、30年代のモダニズムとアヴァンギャルド写真の到来、その後のドキュメンタリーやフォト・ジャーナリズムの高揚といった流れが、ほぼ共通しているのだ。
とはいえ、日本とは異質な要素もある。今回の出品作家はウラジミール・ビルグス、ヴァツラーフ・イラセック、アントニーン・クラトフヴィ─ル、ミハル・マツクー、ディタ・ペペ、イヴァン・ピンカヴァ、ルド・プレコップ、トノ・スタノ、インドジヒ、シュトライト、テレザ・ヴルチェコヴァーの10人で、1946年生まれのシュトライトから83年生まれのヴルチコヴァーまで、世代の幅はかなり広い。にもかかわらず、コントラストの強いモノクローム(黒と白のイメージ)へのこだわり、物質性と身体性を前面に押し出す語り口などが「チェコ写真」の特質として、くっきりと浮かび上がってきているように感じた。被写体に向き合う姿勢と作品の感触が、日本の作家の作品とは違っているのだ。個人的にはまさにカフカ的といえる、モノとモノとが密やかに囁き交わすような思索的な世界を構築するイヴァン・ピンカヴァの作品に強く惹かれるものを感じた。
この展覧会をきっかけとして、今度はチェコで「日本写真の現在」展が開催されるといいと思う。

2010/06/18(金)(飯沢耕太郎)

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2010年07月15日号の
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