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artscapeレビュー

柳瀬安里 個展「光のない。」

2017年04月15日号

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会期:2017/03/07~2017/03/12

KUNST ARZT[京都府]

同ギャラリーで昨年12月に開催された「フクシマ美術」展で見て非常に気になっていた作家、柳瀬安里の初個展。「フクシマ美術」出品作の《線を引く(複雑かつ曖昧な世界と出会うための実践)》は、2015年夏、国会議事堂周辺の安保反対デモに集った群衆の中を歩きながら、道路に「白線を引いていく」パフォーマンスの記録映像である。「線を引く」シンプルな行為が、集団を撹拌し、人々の身体的な反応を引き起こし、擬似的な共同体の中に潜在するさまざまな境界線や差異を表出させてしまう。地震による亀裂という物理的な線、「原発20km圏内」や警察の規制線といった人工的な境界の恣意性、さらに当事者/非当事者の線引き、分断や排除の構造の可視化など、「線(境界線)」が孕む意味の多重性を提示する秀逸な作品だった。
今回の個展で発表された《光のない。》は、その発展形と言える作品。沖縄高江のヘリパッド建設工事のゲート前を、エルフリーデ・イェリネクの戯曲『光のない。』を暗唱しながら歩くパフォーマンスの記録映像である。イェリネクの戯曲は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故をきっかけに書かれたものだが、「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」による抽象的なモノローグという形式を採り、具体的な事故の描写はないものの、言葉遊びやメタファーが散りばめられている。また、「わたし/あなた」「わたし/わたしたち」という人称代名詞の多用も特徴だ。このテクストが、沖縄の高江でどのように響くのか。
柳瀬の作品《光のない。》では、現実から安全に切り離された劇場ではなく、現実の出来事が起きている路上で発話することで、抽象的で難解な印象のテクストが極めて生々しい意味を帯びて鮮やかに立ち現れてくる。「戯曲である」、つまり黙読ではなく、生身の身体によって「声」として発話されることで戯曲の言葉は受肉化され、初めて力を持つことが、十二分に示されていた。そこでは「白線」の代わりに、「わたし/あなた/わたしたち」という発話行為が、一人称/二人称、単数/複数の相違によって、風景の中に境界線を次々と浮かび上がらせる。「わたし」「あなた」「わたしたち」とは誰なのか? 指示内容の充填を待つ空白が、「歩行しながら暗唱する」柳瀬の身体的行為によって、さまざまな意味/主体が書き込まれては次の場面で更新され、絶えざる書き替えに晒されていく。
例えば、「わたしにはあなたの声がほとんど聞こえない」という台詞。「わたし(日本)にはあなた(沖縄)の声が聞こえない」と解釈可能だ。あるいは、柳瀬を無視し、無言で人間の壁をつくる機動隊員の姿が画面に映るとき、「わたし(機動隊員)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という二重性を帯びた発話となる。さらに、柳瀬の震える生身の声が、拡声器ごしのデモの演説や怒号、行き交う車両の騒音にかき消されるとき、「わたし(鑑賞者)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という三重の意味を帯びてそれは聴取されるだろう。また、伴奏をつとめる「第二ヴァイオリン」が「わたしはあなたに寄り添う」と告げるとき、「わたし(沖縄)はあなた(日本)に寄り添う」のか? 「わたし(日本)はあなた(米国)に寄り添う」のか? あるいは、柳瀬の後を無言で付き添う「わたし(機動隊員)はあなた(柳瀬)に寄り添う」のか? また、「異物はいつもわたしたちのなかにあった」という別の台詞がある。「わたしたち(日本)の中の異物(沖縄)」なのか、「わたしたち(沖縄)の中の異物(基地)」なのか?
ここでは、「暗唱しながら路上を歩く」柳瀬の身体的行為によって、戯曲の言葉と現実の風景が複数の層でリンクし、相互浸透し合うことで、解釈は常に多重的に揺れ動き、ひとつの位置に定位できない。さまよい歩く柳瀬の声は、イェリネクのテクストの多義性の発露を引き受けながら、いくつもの主体の間を憑依し続けるのであり、そこで露わになるのは、「わたし」という主体の固定の不可能性、「日本」という主体の曖昧さや不安定さである。そして「わたし/あなた」の決定不可能性は、分断と排除の論理が支配するあらゆる周縁化された場所/主体をめぐる名前と交換可能である。
このように本作は、書かれた戯曲のテクストが「声」によって受肉化され、現実の音や風景と物理的に「接触」することで、テクストに胚胎する意味をクリアに浮上/拡張させるとともに、現実の様々なレイヤーが複雑に揺れ動く界面を鋭く照射する。しかし一方で、受肉化された「声」は、現実(が立てる音)からの干渉を受けることで、ひとつの支配的な完全な声としては響かない。であるならば、対峙し耳をそばだてる者には、より慎重で繊細な聴取の態度が要請されている。



柳瀬安里《光のない。》2016-17 映像

2017/03/12(日)(高嶋慈)

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