2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年11月15日号のレビュー/プレビュー

アジア・アートウィーク フォーラム「波紋─日本、マレーシア、インドネシア美術の20世紀」第2部

会期:2016/10/02

高架下スタジオ・サイトD集会場[神奈川県]

アジア・アートウィークの「波紋─日本、マレーシア、インドネシア美術の20世紀」と題するフォーラムの第2部には、インドネシアの歴史家アンタリクサと評論家の小野耕世が出演。どういう組み合わせかと思ったら、「小野佐世男と1940年代のインドネシア美術」というテーマを聞いて納得。アンタリクサは日本植民地時代におけるインドネシアの文化芸術の研究者で、小野耕世は戦時中インドネシアで絵を教えた佐世男の息子なのだ。第2次大戦で旧宗主国オランダを追い出してジャワ入りした日本人は、現地で歓迎され、「ジャワは天国、ビルマは地獄、ニューギニアは生きて帰れない」と言われたそうだ。そのジャワで佐世男は美術教育に携わり、壁画やアニメの技法も伝達、インドネシアに近代美術を根づかせた。戦後は多忙のためインドネシアでの話をすることもなく、耕世氏が中2のときに死去。耕世氏は涙ぐみながら「父が最良の仕事をしたのは戦中だったのではないか」と振り返る。表現の自由を規制され、多かれ少なかれ戦争協力を余儀なくされた画家たちのなかで、ほとんど唯一ハツラツと仕事ができたのは小野佐世男だけかもしれない。もうひとりいるとすれば、ぜんぜん違う意味で藤田嗣治だろう。

2016/10/02(日)(村田真)

新・今日の作家展2016 創造の場所─もの派から現代へ

会期:2016/09/22~2016/10/09

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

1964年の開館から約40年にわたり現代美術の「いま」を示してきた横浜市民ギャラリーの「今日の作家展(今作)」。同展がもっとも影響力を持ったのは70-80年代で、90年代から徐々にフェイドアウトして、いつのまにか「ニューアート展」「ニューアート展NEXT」と無意味な変化を遂げて消滅。今年ようやく原点に戻ろうとしたのか、「新・今日の作家展」としてリスタートを切ることになった。そんなわけで記念すべき第1回は、70-80年代の「今作」を飾った「もの派」系の菅木志雄と榎倉康二を中心に、彼らのお父さん世代の斎藤義重、榎倉に学んだ池内晶子、菅に見出された鈴木孝幸という世代を超えた、理解も超えた人選。
斎藤と榎倉は物故作家なので旧作を展示。菅はコンクリートブロックを高さが異なるように矩形に並べ、上に木の板を渡したインスタレーション。無理にたとえればジェットコースターみたいな形状だ。うまいなと思うのは、床とブロックの色が同じで溶け合い、上に載せた板の肌色が美しく際立つこと。その隣の鈴木は海岸で拾ってきた数百もの廃材、貝、石、漁具などを床と壁に展示している。もの派というより、リチャード・ロングやトニー・クラッグらのイギリス彫刻に近い。池田は糸を使ったインスタレーションふたつ。ひとつは壁から4本の糸を出して中央でクモの糸のように絡め、中心に円形の穴を開けている。もうひとつは展示室の壁から壁へ数十本の糸を渡し、床から10センチほどの高さまで緩ませたもの。緊張感がたまんない。

2016/10/02(日)(村田真)

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『スネーク・ダンス』上映×菅野潤ピアノ・リサイタル

会期:2016/10/03

京都コンサートホール[京都府]

ベルギー人監督マニュ・リッシュのドキュメンタリー映画『スネーク・ダンス』の上映と、同映画で音楽を担当した日本人ピアニスト菅野潤のリサイタルで構成される公演。映画『スネーク・ダンス』は、原子爆弾の起源から3.11後の日本へと至る、アフリカ、北米、アジアの3つの大陸をつなぐドキュメンタリーである。原子爆弾は、当時ベルギーの植民地だったコンゴで採掘されたウランを原料とし、ニューメキシコ州ロス・アラモスで科学者たちによって開発され、日本の2都市で試された。映画では、菅野が演奏するベートーヴェンとショパンのピアノ曲が流れるが、これらの曲は、広島に原子爆弾が投下される少し前、プロジェクトに携わった物理学者のオットー・フリッシュがロス・アラモスで弾いた曲でもある。また、タイトルの「スネーク・ダンス(蛇踊の儀式)」とは、アメリカ西部に居住するネイティブ・アメリカンの儀式のこと。炎と雨を呼ぶ稲妻の力を得るために、その波形が稲妻を思わせる「蛇」とともに、恐怖を克服した踊り手が激しく踊る。この儀式や「蛇」の持つ象徴作用について語るドイツの美術史家・思想家のアビ・ヴァールブルクの言葉と半生が、映画を貫くもうひとつの軸となる(彼は1895~96年のアメリカ旅行中に、ニューメキシコ州やアリゾナ州のネイティブ・アメリカンの居住地を訪問した。そして、第一次世界大戦後の1918~24年に精神病に罹患し、病からの「理性の回復」を証明するために行なった講演のテーマが、「スネーク・ダンス」の儀礼であった。従ってこの講演は、彼自身の「恐怖と狂気の迷宮」からの脱出でもあるという二重性を帯びていた)。
ただし映画には、「スネーク・ダンス」の踊り手の記録映像や写真は登場しないし、大地を這う蛇の姿も映らない。ヴァールブルクやフリッシュの写真、核兵器開発実験や広島・長崎への原爆投下の記録映像といった「過去」の記録イメージはいっさいが不在である。その代わりに映画は、過去について語りながら、「現在の風景」を淡々と映していく。音声とイメージは、重なり合いによって過去を想起させ、あるいは過去との隔たりやズレを強調する(わかりやすい例が、長崎の爆心地近くで多くの児童、教員が死亡した城山小学校について語りながら、「現在の」長崎市内で登下校中の児童や学生を映し出すシークエンスである)。
これは、「風景」についての映画なのだ。打ち捨てられて廃墟と化した鉱山。大企業の独占によって土地や職を失った「不法鉱山労働者」たちが掘り返した、ボタ山の跡が一面に広がる荒廃した大地。うねる大河とジャングルの湿気。青天の下にどこまでも広がる、ロス・アラモスの茶褐色に乾いた荒野。歳月が浸食した奇岩。聖なる地にして汚染された地。更地の中に崩壊した家屋の痕跡が残る、津波の被災地。原爆投下直後の広島と3.11を両方目撃した医師が語る、「言葉を失う光景でした」という言葉。原発事故で汚染された土地。核を産み出した風景と、核によって産み出された風景。それらが美しいピアノ曲にのせて綴られていく。映画上映後のリサイタルは、この映画で「音楽」は単なる背景ではなく、「風景」の無慈悲な荒涼さと拮抗するものであることを示していた。それは、深い悲哀、駆り立てる衝動、包容する赦しを含み、この上なく美しいものでありながら、一方で原爆開発中に科学者が演奏して同僚を楽しませていたという両義性をはらんでおり、安易な共感や感傷を許さない。世界はそのように矛盾してありえる。
では、なぜこの映画『スネーク・ダンス』では、「蛇」もしくは「スネーク・ダンス」の踊り手の姿は映らないのか。「スネーク・ダンス」とは、蛇が象徴する自然界の脅威や絶大な力を、恐怖心に打ち克つことで手中に入れてコントロールする方法だった。その意味では、核以降の世界はまさに、「スネーク・ダンス」を踊ろうともがいている。核という人工的で超巨大なエネルギーの力と恐怖を何とか制御するために。そして核兵器の製造が新たな恐怖を生み出し、世界は帝国主義と資本主義という近代が罹患した病から回復できず、土地を転位しながら負の連鎖を繰り返している。だが、挿入されたヴァールブルクの言葉は告げる。「迷信とは失われた知恵であり、人類と世界を結びつける『神話と象徴』が失われると、原初の恐怖が訪れ、世界はカオスに陥る」。従って、核を産み出した/核が産み出した風景を描く『スネーク・ダンス』には、「蛇」は映らないし、映すことはできない。ヴァールブルクの言葉を借りれば、「神話と象徴」として自然界の脅威的な力との仲立ちを取り持つ存在である「蛇」は、核以降のこの世界にはもはや存在せず、姿を消してしまったからだ。私たちは、「蛇」のいない世界で、独り相撲のような孤独なダンスを踊り続けているのである。

2016/10/03(高嶋慈)

永瀬沙世「CUT-OUT」

会期:2016/09/23~2016/10/08

GALLERY 360°[東京都]

一時期コラージュ作品の制作に凝っていたことがあるので、「CUT-OUT」(切り抜き、切り絵)の愉しさは僕もよく知っている。鋏で紙を切り抜くのは、筆で描くように自由にはいかないし、つい切り過ぎたり、細かい部分が抜け落ちてしまったりもする。だが、逆に自分では思ってもみなかった大胆なフォルムがあらわれ出てくることもある。なによりも、紙に鋏で切れ目を入れていくときの独特の触覚的な体験そのものに、不思議な魅力があるのではないかと思う。
永瀬沙世が、そんな「CUT-OUT」の面白さに目覚めたのは、アンリ・マティスの作品を知ったからだという。マティスは78歳になって、絵筆を捨て、「CUT-OUT」の制作に没頭し始めた。「何かから解放された彼のアトリエがあまりにも自由に満ちていてびっくりした」のだという。たしかに、今回東京・表参道のGALLERY 360°で展示された、永瀬の一連の「CUT-OUT」作品には、のびやかな解放感がある。
永瀬はまず紙を網目状に切り抜き、女性モデルがそれらと戯れている様子を撮影した。その画像をアルミ板にインクジェット・プリントし、さらにその上に色のついたフィルターを、少し間隔をとって重ねている。アルミ板とフィルターの質感のズレが、刺激的な視覚と触覚を同時に刺激する効果を生み出していた。会場には「CUT-OUT」された銀色の紙そのものも展示されていたのだが、それらはあたかも近未来の衣装のようにも見える。それらを実際に女性モデルに着せるパフォーマンスも面白そうだ。このおしゃれで軽やかな連作は、まだいろいろなかたちで展開していく余地がある。

2016/10/05(水)(飯沢耕太郎)

GOCHO SHIGEO 牛腸茂雄という写真家がいた。1946-1983

会期:2016/10/01~2016/12/28

FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館[東京都]

牛腸茂雄は不思議な写真家で、没後30年以上経ても、彼への関心が薄れるどころか、さらなる展示や出版の企画が続いている。今回の、FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館での展示は、いわば彼の作品世界のダイジェスト版と言うべきものだが、それでも牛腸の写真には見る者の目をとらえて離さない、強力な磁力のようなものが備わっているように感じた。
展示の全体は3部に分かれ、第1部の〈こども〉には初期のスナップ写真が5点、第2部の〈SELF AND OTHERS〉には代表作というべき同名の写真集から27点、そして第3部の〈幼年の「時間(とき)」〉には、彼の最後のシリーズとなった子供たちの写真5点が出品されていた。全37点という数は、あまり多いとはいえない。だが、緊張感を感じさせる写真群を見続けていると、これくらいがちょうどいいという気もしてくる。
牛腸は被写体をあたかも標的のように、画面の真ん中に寄せて撮ることが多い。それゆえ彼の写真を見るときには、写っているモデルたちと真正面から顔を見合わせて対峙することになる。それはあまり普段は経験することのない、特殊な状況と言える。そして、モデルがたとえ幼い子供たちであっても、そこには一個の人間としての揺るぎない存在感がある。牛腸自身もまた、それらの顔と向き合いつつ、「自己とは?」、「他者とは?」、そして「人間とは?」と、自問自答を繰り返していたはずだ。そんな問いかけに答えなければならない地点へ、否応なしにわれわれを追い込んでいく力が、彼の写真には確かに備わっているのではないだろうか。

2016/10/05(水)(飯沢耕太郎)

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