2017年11月15日号
次回12月1日更新予定

artscapeレビュー

2017年11月01日号のレビュー/プレビュー

児玉幸子展覧会「眩惑について」

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会期:2017/10/06~2017/11/26

清課堂[京都府]

児玉幸子は「磁性流体」という液体金属の一種を用いて美術作品を制作するアーティストだ。「液体金属」と聞くと映画「ターミネーター2」の悪役アンドロイドを思い出すが、当然ながら彼女の作品とは無関係だ。磁性流体は磁力をかけると変形する性質をもつ。児玉はさまざまな形の容器に磁性流体を流し込み、磁力をコンピュータで制御することで、生き物のように変形する作品をつくり出す。その形態は、トゲの集合体やぬるっとした流線型などさまざま。プログラムは一定時間ごとに繰り返されるが、磁性流体の反応はその都度微妙に異なり、同じ形を繰り返さないのでなかなか見飽きない。作品によってはヒーリング効果も期待できそうだ。本展では伝統的な京町家の蔵と和室で展示が行なわれたが、とりわけ見事だったのは床の間の展示。幽玄な雰囲気を醸し出しており、インスタレーションとしても見応えがあった。

2017/10/10(火)(小吹隆文)

air scape / location hunting 2017 ヤマガミユキヒロ

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会期:2017/10/10~2017/11/05

Gallery PARC[京都府]

カテゴリー:美術
京都市中京区の御幸町通三条にあったGallery PARCが、そこから南西へ10数分の距離にある室町通六角へ移転。活動再開の第1弾としてヤマガミユキヒロの個展を行なった。ヤマガミは「キャンバス・プロジェクション」という独自の作品で知られるアーティストだ。同作は、まず綿密なロケハンで選んだ場所を写真撮影し、その情景を丹念に描写した鉛筆画を制作、次に同じ場所で映像を定点撮影し(撮影時間は、短時間、一昼夜、春夏秋冬などさまざま)、その映像を鉛筆画の上に重ねて投影するというものだ。絵画と映像の要素を併せ持ち、そのどちらとも異なる空間性や時間性を表現し得る手法として評価を確立している。本展は新作展ではなく、これまでのヤマガミの代表作を複数の展示室に配置するプチ回顧展の趣となった。彼の作品を知らない人にとって絶好の機会となっただろう。一方、見慣れた人にとっての注目ポイントは映像技術の向上だ。2点の大作が1点ずつ映像を投影しているのに対し、小品群はひとつの壁面あたり10数点の映像を1台のプロジェクターで投影していた。しかも作品は横一列ではなく二段掛け、三段掛けである。大がかりなシステムを用いずに正確な映像制御が行なわれていたことに驚かされた。映像技術が向上すれば、ヤマガミの表現はさらに多彩になるだろう。次に行なわれる新作展がいまから楽しみだ。

2017/10/10(火)(小吹隆文)

柴幸男『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』

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会期:2017/10/07~2017/10/15

東京芸術劇場シアターウェスト[東京都]

ジャンル:パフォーマンス
池袋の東京芸術劇場は、シアターが複数ある。そして、地下一階のシアターイーストとシアターウェストは同じ規模で隣り合っている。本作はこの二つのシアターを同時に使用し、一つの戯曲を上演する。「一つの戯曲」と書いたが、テーマは重なるものの、二つのシアターでは異なるキャストが異なるセリフで上演が行われているらしい(観劇後、F/Tのサイトにて公開されている戯曲を見ると、シアターイースト側とシアターウェスト側に分かれて会話を交わすところ以外は、同一の戯曲だったようだ。そのことは観客は知らない)。それを観客はどちらかのシアターを選んで鑑賞する。両会場をつなぐ扉は頻繁に開き、顔は見えないけれども、反対側から役者が呼びかけあったりするので、向こうで起こっていることをいつも少しだけ意識するような演出が施されている。テーマは「距離」。ぼくが見たシアターウェストでは西子(端田新菜)が誕生の産声をあげるところから物語は始まった。語られるのは、隣人の死の場面。自分の誕生とともに母が死に、小学生のときにウサギが死ぬ。友人は遠方に引っ越してしまい、そこで起こった地震によって瓦礫の下敷きになる。自分は安全に生きている。その周りで大切な人たちが命を奪われてゆく。隣人の死といえども他人の死だ。一定の距離が残って消えない。ここに距離というテーマの発生源がある。西子が隣人と踊る場面では、二人を挟んでひも式のメジャーが伸びていた。「距離」をめぐり、第一部では誕生から思春期までの出会いと別れが描かれ、第二部では母となって息子と旅をし、第三部では目の見えない車椅子の老女となってもう一人の若い頃の自分と対話する。トータルで75分だから、三部のうちどの逸話もとてもコンパクトに整理されていて、走馬灯のごとくスピーディーに展開する。ある場面で、英語字幕に「in the distance, there is no sorrow」と出てきた。もとのセリフはこうではないけれど、要するに「距離があるので、悲しみが存在しない」という意味だ。「悲しくない(からよかった)」とも読めるが、「悲しむことができない(からつらい)」とも読める。人生の機微がコンパクトに描かれるから、エモーショナルな気持ちになりかける。けれども「距離」がそこへ没入するのを妨げる。なんとも不思議な舞台だった。
公式サイト:https://www.ft-wkat.com/
フェスティバル/トーキョー(F/T)17 公式サイト:http://www.festival-tokyo.jp/

2017/10/12(木)(木村覚)

テクマク写真展 インストゥルメンタル[instrumental]

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会期:2017/10/11~2017/10/15

ギャラリー・アビィ[大阪府]

テクマクは女性写真家で、個展はすべてギャラリー・アビィで行なっている。彼女の作品は繊細さに溢れたもので、日常の些細な一瞬を柔らかな、やや浅めのトーンで捉えるのが特徴だ。そして小さな幸福感が見る者をじんわりと包み込む。本展でもそうした彼女の特質を生かした作品が見られたが、同時にこれまでとは異なる点も感じられた。それは作品の抽象度である。本展の作品はすべて、水、雲、空をモチーフにしたもので、表現の核心には「光」への関心がある。それを抽象的に、しかし鋭角的にではなく、日常生活と地続きの視点でふんわりと着地させたところに作家としての成熟を感じた。本展をもって作風が変化したということはなく、今後も彼女はこれまで通りの作品を撮り続けるだろう。しかし、やろうと思えばいつでも別の顔を見せられる。そのポテンシャルがうかがえたことが本展の収穫である。

2017/10/13(金)(小吹隆文)

中島那奈子「イヴォンヌ・レイナー『Trio A』『Chair/Pillow』ショーイング」

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会期:2017/10/12~2017/10/14

京都芸術劇場大春秋座(京都造形大学内)[京都府]

ダンス研究者の中島那奈子が代表者を務める研究プロジェクトのイベント「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(10/11-15)のなかのショーイングのプログラムを見た。レイナーを軸としてポストモダンダンスを回顧するとともに、そこに「老い」というテーマを盛り込んだ意欲的な研究企画であり、とくにこれまでの類似のイベントと異なるのは、レイナーと活動を共にしているEmmanuéle Phuon氏を招聘して、レイナー直伝の振り付けが日本在住のダンサーたちに施されたことだ。『Trio A』は、6人のダンサーが舞台に登場した。5分強の振り付けは、最初はデュオで、次には一人は踊りもう一人はその踊り手の目を見つめる形で、その次は最初に二人が踊ると、残りのメンバーがそこに加わるという構成で、踊られた。5日間という短期間の猛特訓の末、実施されたパフォーマンスは、『Trio A』がきわめて緻密に構成された振り付け作品であることを強烈に印象づけた。ポスト・モダンダンスというと「ノン・ダンス」や「日常性の導入」といった先入観があるけれども、目前で展開された『Trio A』はいかにダンサーの肉体と精神を酷使する「ダンス」であるかを知らしめた。ダンサーの一人、神村恵に聞いたことをベースに筆者なりに説明すると、ひとつのフレーズごとに様式の違う動きを連ねながら(例えば、「モダンダンス」→「バレエ」→「日常の動作(足踏み)」を3秒ごとに切り替えながら)、同時にそれぞれの様式のもつ審美性をしっかりキャンセルしていく。それによって「モノトーン」の「流れ」を生み出す。そうすると「非ダンスのダンス」が立ち上がる、というわけだ。短期間の特訓では、100%それが実現できてはいなかったかもしれないけれども、どんなダンスを実現せんとしているのかは、見ていて掴むことができた。上演された『Chair/Pillow』は、タイトル通り、椅子と枕を使って8人ほどのダンサーがユニゾンで踊る作品。アップテンポの曲をバックに踊るので、ミュージカルのダンスとしてみれば見えなくもない。これも基本的には、いかにグルーヴ(つい踊ってしまう身体)をキャンセルするかが、振り付け指導の要点だったようだけれど、これが随分と難しかったようで、どこまでレイナー固有のダンスが実現されていたのかは、不確かなところがある。駅前留学的な「短期速習」で生まれた「ポスト・モダンダンス」は、それでも、十分に興味深いものだった。50年前のアメリカ合衆国の前衛作家たちの試みから、私たちが何を継承し、何を置いてゆくか、それは50年前のアメリカの状況といまの日本の状況とがどう異なるかを参加したダンサーたちが自分の身体を通して問い、また彼らがその相違や違和感から何を発見するかにかかっていることだろう。「非ダンスのダンス」というひねくれが今日、どんな活用可能性を秘めたものであるのか。このプロジェクトのインパクトが、じわじわと今後の日本のダンス・クリエイションに影響を与えていくことを期待する。

2017/10/14(土)(木村覚)

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