artscapeレビュー

荒木経惟「彼岸」

2011年09月15日号

会期:2011/07/22~2011/09/25

RAT HOLE GALLRY[東京都]

以前もこの欄で書いたことがあるが、荒木経惟の作品世界の基本原理は「エロトス」である。エロス(生、性)とタナトス(死)へ向かう力は、彼の作品のなかで引力と斥力のようにせめぎあっており、そのバランスはぎりぎりの緊張感において保たれてきた。ところが、RAT HOLE GALLRYで開催された今回の「彼岸」展を見ると、そのバランスが微妙に壊れはじめているように感じる。タイトルが示すように、タナトスへの指向が作品全体を覆い尽くしはじめており、エロスの躍動や華やぎが影を潜めているように見えてくるのだ。
展示作品は「彼岸」(モノクロームとカラー)、「楽園」の二つのシリーズである。「彼岸」の中心になるのは走行中、あるいは停車中の自動車の窓越しに撮影した写真群で、これまでも1990年代から「クルマドトーキョー」と題して発表されてきた。だが以前にも増して、今回展示された写真群には不思議な浮遊感が漂っている。魂がふわふわ漂いながらどこか遠くに飛び去って行くような気配というべきだろうか。その「彼岸」の眼差しをずっと辿っていくと、次第に現実感が薄れ、向こう側に連れ去られそうになってくる。なんとも怖い、背筋が凍る写真としか言いようがない。
「楽園」はおなじみのバルコニーと花のシリーズ。だが、「楽園」というタイトルが皮肉に見えるほどの、饐えた荒廃の雰囲気が画面全体を支配している。以前はチャーミングな魅力を発していた人形や恐竜のフィギュアも。不気味なオブジェに変質してしまった。このヒエロニムス・ボッシュ風のグロテスクな世界は、むしろ現代の「地獄絵」のようにすら見える。とはいえ、ずっと見続けているとなぜか笑いがこみ上げてくる。いっそ地獄の底の底まで見せつけてやるという「写狂人」荒木の心意気が伝わってくるのだ。こうなったら、行くところまで行っていただくしかないだろう。

2011/08/03(水)(飯沢耕太郎)

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