artscapeレビュー
江成常夫「昭和史のかたち」
2011年09月15日号
会期:2011/07/23~2011/09/25
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
東京都写真美術館の地下1階展示室で鬼海弘雄展を見て、2階にエレベーターで昇り、今度は江成常夫展の会場を回った。重量級の展覧会を二つ続けて見たので、さすがにかなりの疲れを感じた。
江成は1974年に毎日新聞社を退社してフリーランスとなり、その後一貫して「アジア太平洋戦争」の傷跡を辿り、写真を通じて戦後日本人の精神性の「かたち」を問い続けてきた。今回の展示は40年近いその粘り強い営みの集大成である。ハワイ、テニアン、サイパンなど太平洋の島々の戦跡を記録した「鬼哭の島」、旧満州国の成り立ちとそこに取り残された日本人残留孤児を追う「偽満洲国」「シャオハイの満洲」に、近作である「ヒロシマ」「ナガサキ」のシリーズ(被爆者の肖像と遺品)を加えた代表作112点が展示されていた。正統派のドキュメンタリーには違いないが、ロールサイズの大伸ばしの印画紙をアクリルで挟み込んだ展示を積極的に試みるなど、視覚的効果にも気を配って作品を配置している。今年は太平洋戦争開始から70年という節目の年でもあり、記憶の風化が急速に進むなかで「これだけは後世に残しておきたい」という江成の強い思いは充分に伝わってきた。
ただ、鬼海弘雄の展示を見た後なので余計そう感じたのかもしれないが、「シャオハイの満洲」や「ヒロシマ」「ナガサキ」のポートレート作品が、どうも均一に見えてしまう。個々の「顔」の違いが、「日本人残留孤児」「被爆者」といった文脈に強く固定されてしまうことで、あまりうまく立ち上がってこないのだ。やや広角目のレンズによるクローズアップという手法にこだわったためでもあるだろう。無理を承知で言えば、ドキュメンタリーという枠組からこれらの「顔」を解放したならば、それらはどんな風に見えてくるのだろうかとも思った。「顔」は強力な被写体だが、拘束性が強いので扱い方も難しくなる。
2011/08/12(金)(飯沢耕太郎)