artscapeレビュー
小栗昌子「フサバンバの山」
2011年09月15日号
会期:2011/08/05~2011/08/27
ギャラリー冬青[東京都]
岩手県・遠野で暮らしながら、その土地に根ざした写真のあり方を探ろうとしている小栗昌子。今回展示されたのは2010年に『日本カメラ』に連載していた「フサバンバの山」のシリーズである。27枚の11×14インチサイズのモノクロームプリントが、ギャラリーの空間に気持ちよく並んでいた。
たまたま知り合った老夫婦を6年前に撮りはじめたのだが、「爺々」が亡くなり、「フサバンバ」だけが残されて一人暮らしをはじめた。小栗はつかず離れずの絶妙の距離感で、老婆の日常を細やかに追いかけていく。「フサバンバ」の背を丸めた小さな姿は、まるでアイヌの伝説に登場してくるコロボックルのようだ。縁側にちょこんと座ったり、フキの葉を頭の上に掲げたりすると、ますます妖精めいて見えてくる。残念なことに、「フサバンバ」は今年になって体調を崩して、これ以上の撮影は難しくなっているようだ。このシリーズは、2009年の傑作写真集『トオヌップ』(冬青社)に続く写真集として、ぜひ刊行してほしいと思う。
会場に小栗のこんなメッセージが掲げられていた。3月11日の震災を経験して、「あらためて『命』という存在の重みを感じた」のだという。
「途方もない数の人達が一瞬にして亡くなり、その人生が途絶えてしまった。あたりまえのことだが、ひとつひとつのかけがえのない『命』である。私は今、そんな『命』を想い、自分自身のありようを確かめている。また、写真への思いを確かめている。そして、表現する者として、ここに伝えるべきことがあるとかんがえている」。
ここにも震災の体験を「表現する者」として受けとめ、投げ返そうとする営みがある。「フサバンバの山」に充溢する「命」の表現を。「震災後の写真」のひとつのあり方としてとらえ直すべきだろう。
2011/08/06(土)(飯沢耕太郎)