2020年01月15日号
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artscapeレビュー

悪魔のしるし『SAKURmA NO SONOhirushi』

2012年02月01日号

会期:2012/01/06~2012/01/08

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

主宰の危口統之は本作で、チェーホフ『桜の園』の上演というよりも、その上演に向けたリハーサルのプロセスを芝居化した。だからといってたんなるバックステージものではなく、上演の会場がリハーサルの現場であったり、役者はみな本人として舞台に登場していたりと、いわゆるドキュメンタリー演劇の側面もある。しかも、没落貴族が自分たちの土地を奪われていく『桜の園』とパラレルなストーリーを、役者たちの実生活や危口の実家の話を基に描きもする。例えば、危口が腐乱死体になるとあちこちから得た助成金で食いつなぐというフィクションを差し込んで、役者たちをあたかも没落貴族のように見せたり、また、い草で一財を築いた危口家のリアルな困窮話を没落貴族の姿に重ねたりした。こうして重層的で複雑な構造をこしらえつつ展開されるのは、役者たちによるほとんどごみのような、他愛のない対話の数々。「○○に行きたいか!」と場に応じて「○○」を入れ替えつつ何度も似たフレーズを突発的に繰り返し口にする太っちょや「サクセス!」と無意味な(しかし「○○に行きたいか!」同様テレビ的記憶を刺激させられる)言葉をことあるごとに連呼するやせ男などを代表に、役者たちはくだらない、無意味な発言ばかりを繰り返す。こうしたくだらなさ、つまらなさは、精巧に縫製された衣服にダメージ加工の布を用いるみたいなもので、危口演劇の洗練を意識させることに貢献する。そう、とてもよくできた、ごみみたいでクレヴァーな、すなわちくだらなくてサイコーな舞台なのだ。
 ところで、本作に大きな問いがあるとすれば「この身体、どうしょう?」という問いだろう。「ちゃんと『桜の園』を上演したところで他の劇団にはとてもではないが勝てない、なのでこういう芝居にした」と危口本人が上演中に漏らしていたように、本作は正統な演劇から逸脱(没落)した者たちの話。だから死体の危口に象徴されているように、本作を貫いているのは没落しても生きていかなきゃいけない(死んでいるなら死体を片付けなきゃならない)という問題、つまり「この身体、どうしょう?」という問題なわけだ。このテーマは、自分がアルバイトしているダンサーなのかアルバイターが踊っているのかわからないと語った捩子ぴじんの『モチベーション代行』にも通じる。しかし、快快が役者個々の生を主題化し、そこから芝居を立ち上げる発想と比べれば明らかなように、ラストに壁に激突し墜落する危口(のカタルシス)は別として、他の役者たちにとってそれはたんに戯曲のテーマでしかなく、彼ら自身の生の問題はエピソードとしてとりあげられはしても、真にテーマ化されない。それゆえに本作はすぐれた現代演劇作品に見えるともいえるのだが、それゆえにぼくにはほんの少し物足りない。

2011/01/06(金)(木村覚)

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