artscapeレビュー

藤田嗣治と愛書都市パリ──花ひらく挿絵本の世紀

2012年09月01日号

会期:2012/07/31~2012/09/09

松濤美術館[東京都]

藤田嗣治がフランスと日本で手がけた挿絵本の数々と、同時代のパリの画家たちの挿絵本を紹介する展覧会。藤田がパリに渡ったのは1913(大正2)年。日本では明治末期から印刷技術の発展とともに出版文化が花開き、挿絵への需要が高まっていった時代であった。書籍や雑誌は多くの画家たちに活躍の場を与え、また新しい画家たちがデビューするための媒体ともなった。このころの日本の視覚文化の発展については近年「大正イマジュリー」という視点で再評価が進んでおり、昨年、松濤美術館でも展覧会が開催されている★1。藤田が活躍したパリで挿絵本出版のブームが始まったのも20世紀初頭のことであるが、そのありかたは日本とはずいぶんと異なっていた。本展の企画者でもある林洋子氏(京都造形芸術大学准教授)によれば、「日本での装本文化が表紙、カバー紙、外函のデザインと口絵に力点をおいた印刷物として展開」したのに対して、フランスでは「愛書家よりもむしろ絵画の愛好者、収集家をターゲットとした『版画集』に近いもの」であったという★2。実際、フランスの挿絵本は書物という形式をとるものの、挿絵は印刷ではなく1点ずつ刷られた版画であり、多くはエディション番号の入った少部数の刊行。手がけたのも出版社ではなく美術商であった。藤田が挿絵を最初に手がけた詩集──小牧近江『詩数篇』(1919)──も、部数210部の限定本であった。
 挿絵であるから、主題は基本的にテキストに依存する。第二次大戦前にパリで藤田が手がけた挿絵本には、日本やアジアの文化を紹介するものが多い。『日本昔噺』(1923)や『芸者のうた』(1926)、駐日フランス大使ポール・クローデルの『朝日の中の黒鳥』(1927)などの挿絵には日本やアジアのイメージが用いられており、そのような主題を藤田が描いていたという点が興味深い。また、版画という技法の特性から生じる表現、抑制された色彩の美しさが印象的である。これに対して藤田が日本で手がけた装幀や挿絵、婦人雑誌の表紙画のモチーフにはフランスの婦人像や風景が取り上げられている。フランスにおいては日本のイメージ、日本においてはフランスのイメージと、それぞれの国の人々が求めるエキゾチズムに藤田が自在に応えていたことが、これらの作品からうかがわれる。
 松濤美術館は最近ツイッターを活用した情報発信を積極的に行なっている(@shotomuseum)。本展を観た人々の感想もたくさんリツイートされているが、油彩や版画で見知った藤田の作品とは異なるアジア的なモチーフの作品に、その印象が変わったという人も多いようだ(じつは筆者もそのひとり)。上野方面で開催されている展覧会とは違って派手な宣伝も行列もないが、新しい研究成果に基づく充実した内容の展示である。展覧会はこのあと北海道立近代美術館(2012年9月15日~11月11日)に巡回する。[新川徳彦]

★1──「大正イマジュリィの世界──デザインとイラストレーションのモダーンズ」(渋谷区立松濤美術館、2010年11月30日~2011年1月23日)。
★2──林洋子『藤田嗣治──本のしごと』(集英社、2011)28~29頁。

2012/08/23(木)(SYNK)

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