2024年03月01日号
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artscapeレビュー

2014年11月01日号のレビュー/プレビュー

六甲ミーツ・アート芸術散歩2014

会期:2014/09/13~2014/11/24

六甲ガーデンテラス他[兵庫県]

六甲山の観光地を舞台にした芸術祭。ケーブルカーや公園、植物園、ホテルなどに展示された作品をバスで周遊しながら鑑賞するという仕掛けだ。参加したのは淺井裕介、宇治野宗輝、太田三郎、加藤泉、金氏徹平、鴻池朋子、西山美なコ、三宅信太郎ら40組あまりのアーティスト。六甲山の観光地が手頃なサイズなので、ほぼ一日あれば、すべての作品を鑑賞して見て回ることができる。
昨今の芸術祭や国際展にとって、アート・ツーリズムは決して無視することのできない手法として、その構造の内側に深く組み込まれている。本展においても、美術作品を鑑賞する行為(アート)と観光地を周遊する行為(ツーリズム)を重ね合わせることで、全体を構成していた。それが、観客を動員する有効な手立てであることに疑いはない。事実、会場のいたるところで美術作品の鑑賞に誘導された観光客を数多く目にすることができた。アート・ツーリズムは「美術」にとっても「観光」にとっても有益というわけだ。
しかし、アート・ツーリズムに問題点がないわけではない。本展には、そのもっとも象徴的な2つの問題点が凝縮していたように思われる。ひとつは、アート・ツーリズムが歓迎する美術作品には、ある種の偏りがあるということだ。観光地という条件は、観光地にふさわしい美術作品を要請する。たとえば六甲山カンツリーハウスは家族で楽しむアウトドア施設だが、ここに展示された作品はおおむね遊具や空間演出装置のような作品で占められていた。その空間の特性に順接する作品が展示される一方、逆接する作品は省かれるという原則は、アート・ツーリズムに限らず公共空間や野外空間での展覧会に共通する一般原則であるとはいえ、本展ではきわめて明瞭にその原則が一貫していた。その目的が観光客の眼を楽しませることにあることは明らかである。
とはいえ、例外的な作品がないわけではなかった。鴻池朋子は六甲山ホテルのロビーの壁面に巨大な絵画を展示したが、その支持体は牛革。生々しい獣の皮を数枚つなぎ合わせた表面の上に、身体の臓器や血管、眼球などを鮮やかな色彩で描いている。元々壁に設置されている鹿の首の剥製を牛の皮が取り囲んでいるから、まるで鹿の肉体の内側がめくれ上がって露出しているかのようだ。肉の温度すら感じられるような絵と、格式高いホテルのロビーという静謐な空間との対比が目覚ましい。
その作品と空間の対比は、おそらくアート・ツーリズムを相対化する重要な契機にもなっている。すなわち、アート・ツーリズムのもうひとつの問題点とは、身体性が決定的に欠落しているという点である。ケーブルカーやロープウェイで一気に山を登り、周回バスで作品を見て回る。そうした鑑賞方法は、美術館におけるそれとほとんど大差ないか、あるいはそれ以上に身体を甘やかしている。せっかく窮屈な美術館の外の野外に出ているのに、身体を解放するのではなく温存させるような身体技法を、アート・ツーリズムは鑑賞者に強いるのだ。つまり鑑賞者は観光客として振る舞わなければならない。これがほんとうに鬱陶しい。
鴻池の作品が喚起しているのは、おそらく肉体の内側に隠されている原始的な感覚ではなかったか。それは、観光客としての身体技法を激しく揺さぶり、そうではない振る舞いに奮い立たせる。だからバスなんか乗ってはいけない。山道を歩いてみるがいい。裏道に一歩足を踏み入れれば、そこには「美術」にも「観光」にも望めない、新たな世界が待ち受けている。

2014/09/21(日)(福住廉)

村田峰紀『ネックライブ』

会期:2014/09/17~2014/09/28

Art Center Ongoing[東京都]

村田峰紀は群馬県在住のアーティスト。みずからの身体を使ったパフォーマンスで知られる。背中をキャンバスに見立ててクレヨンで絵を描いたり、鉛筆の芯をむしゃむしゃ食べたり、大量の文庫本を引き裂いてオブジェに仕立てたり、野獣的で爆発的な身体表現が魅力だ。
今回発表したのは、映像作品。みずからの口や眼をクローズアップした映像に文字のメッセージを当てこんだ。会場の隅の暗がりから聞こえてくる奇妙な音を気にも止めずに映像を見ていたが、どうも様子がおかしい。その音は音楽というわけではないものの、何かの音響装置から流れているような規則性も伺える。村田の身体表現はついに映像に転位したのだろうかと訝りながら、暗闇に目が慣れてきたところで、改めて会場を見渡すと、大きな箱の中から村田が頭だけを出して、何かを必死にわめいていた。
音響装置かと思ったのは村田当人の声だったのだ。その声は「ワンワンワン」なのか、「ウォンウォンウォン」なのかは定かではなかったけれど、とにかくものすごい勢いでわめいている。声をはっきりと聞き取れなかったのは、その勢いに圧倒されたからでもあり、同時に、彼が箱の内側を何かで激しくこすり上げていたからだ。外側からは明確に確認できるわけではなかったが、内側で強力な反復運動が繰り返されていることは気配で察することができる。暗闇の空間を、村田の身体から発せられた波動が何度も行き交い、それらがこちらの身体を前後左右から何度も貫くのである。
安部公房の「箱男」は箱の内側に閉じこもり、小さな穴から外側の世界を一方的に見通す、いわば視線に特化した存在として描写されていた。村田の「首男」は、同じく箱に自閉しているが、その箱の中で暴れまわることで、見えない身体全身の存在感を感じさせていた。いま思えば、村田は眼を瞑っていたような気がするから、村田の「首男」は「箱男」と相似形を描きつつも、内実においてはまったく正反対のネガであると言えよう。
直接見えるわけではないし、言語に頼るわけでもない。けれども身体と身体のあいだを交通する波動によって可能となるコミュニケーションはありうる。村田は、おそらくその恐ろしく微小な可能性を全身で押し広げているのだろう。

2014/09/25(木)(福住廉)

窓の外、恋の旅。──風景と表現

会期:2014/09/27~2014/11/30

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

芦屋とゆかりが深い美術家である小出楢重、吉原治良、津高和一、村上三郎、ハナヤ勘兵衛に、詩人の谷川俊太郎、若手の下道基行、林勇気、ヤマガミユキヒロという、ユニークなラインアップで行なわれた企画展。テーマは風景であり、異なる時代、異なるメディアを用いる作家たちの共演が、美術館をみずみずしい感動で満たした。例えば、小出と吉原の絵画作品と、林とヤマガミの映像作品の対比、津高の絵画と谷川の詩の交感、谷川と下道による、詩と写真というジャンルの違いを超えたナラティブな表現の並置など、見所はあまりにも多い。しかし、それ以上に印象的だったのは、本展が醸し出す日常的な空気感だ。会場には、現代美術に不慣れな人でもスーッと溶け込めるような、リラックスした空気が満ち溢れていた。この雰囲気をつくり出したことが、本展キュレーターの最大の功績である。

2014/09/27(土)(小吹隆文)

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「関東大震災 震源地は神奈川だった──よみがえる被災と復興の記録II」展

会期:2014/09/18~2014/09/30

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

関東大震災の記録資料を見せる展覧会。当時の雑誌、新聞、書籍、錦絵、絵葉書など、約200点を展示した。昨年、同館はほぼ同じ主旨と内容の展観を催したが、今回は昨年に横浜市発展記念館が開いた「関東大震災と横浜」展に貸与していた資料も含めたので、昨年よりバージョンアップされた内容と言える。
あまり知られていないことだが、関東大震災の震源は神奈川県内にあった。家屋の倒壊等の被害も、東京や千葉に比べて神奈川県内が圧倒的に多い。本展で展示された《横濱大地図》を見ると、横浜市の中心部の大半が消失していたのが一目瞭然である。『横浜最後の日』という書籍が発行されたほど、その被害はすさまじかった。
けれども、その一方で見て取れたのは、そうした悲劇的な災害を受け取る民衆の健やかで力強い精神性である。飛ぶように売れたという絵葉書は震災の被害を記録した写真をもとにつくられていたが、あわせて展示されたもとの写真と見比べてみると、絵葉書には瓦礫の山に煙や炎が加工されていることがわかる。迫真性を増すための人為的な操作は、ジャーナリズムという観点にはそぐわないが、民衆の欲望にかなう表現という意味では、ある種のキッチュとして考えられなくもない。民衆は、震災に慄き、震えながらも、同時に、破壊された都市の荒涼とした風景を見たいと切に願っていたのであり、だからこそ絵葉書は加工され、大いに消費されたのだ。
さらに《大東京復興双六》や《番付帝都大震災一覧》などには、震災すらも、双六や番付で表わして楽しんでしまう民衆の姿が透けて見えるかのようだ。後者は、まさしく相撲の番付表のように、一覧表の上部に太く大きな文字で大きな出来事が書かれ、下部に細く小さな文字で小さな出来事が記されたもの。よく見ると、「首のおちた上ノ大佛」や「大はたらきのかんづめ類」といった大きな文字の下に、「まっさきにやけた警視廰」とか「避難民にくはれたヒビヤ公園の鴨」などの小さな文字がある。民衆は、公権力を嘲笑したり生存意欲をなりふり構わず露わにしたりしながら、震災という非常事態をたくましく生き延びていたのだろう。
本展で展示されたおびただしい資料は、同館スタッフの小山田知子の祖父、佐伯武雄が個人的に収集したもの。当時青山に居住していた武雄は所用で出かけた茅ヶ崎で被災したが、その二日後に、息子が誕生した。その一報を受けた武雄は、手紙で「震太郎と名づけよ」と伝えたという。当時、震太郎や震也、震子などの名前は珍しくなかったそうだ。「震」の文字が名前に含まれていることは、現在の感覚からするとかなり奇特に見えるが、おそらく武雄はそうすることで自らが経験した天変地異を後の時代に伝えようとしたのかもしれない。だが、そこには出来事の伝達ばかりでなく、その壮絶な出来事をたくましく生き延びる健やかな精神性も、きっと託されていたに違いない。

2014/09/28(日)(福住廉)

無人島にて「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション

会期:2014/09/26~2014/10/19

京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]

1980年代の関西では「関西ニューウェーブ」と称される一群の美術家たちが台頭した。その一方、流行とは一線を画し孤高の表現を保った作家もいたわけで、本展が取り上げるのは後者である。すなわち、上前智祐、笹岡敬、椎原保、殿敷侃、福岡道雄、宮崎豊治、八木正の、彫刻、立体、インスタレーションを再評価するのが本展の意図である。興味深いのは、本展を企画したのが1988年生まれの新進インディペンデントキュレーター、長谷川新であることだ。当時をリアルタイムで知らない世代により作品の読み替えや価値観の更新が行なわれるのだから、興味を持つなという方が不自然である。聞くところによると、入場者数や会期中のトークイベントに対する反応も上々だったらしい。地域の直近の美術史を振り返る機会が少ない関西で、このような企画展が行なわれたことは賞賛にあたいする。

2014/09/30(火)(小吹隆文)

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