artscapeレビュー

ある画家の数奇な運命

2020年08月01日号

あらかじめ言ってしまうと、これは3時間を超す大作であるにもかかわらず、初っぱなから物語に引きずり込まれて時間を忘れ、終わってみればまだまだ先を見てみたいと思わせるような映画だった。これはタイトルにもあるように、脚色しているとはいえ、実在する有名画家の半生を描いた作品。いったいどんだけ凄まじい時代を生きてきたことか。しかもまだ前半生の、画家としてデビューするまでしか描かれていないのだ。もっとも続きをつくるとなると、画家として成功した後半生は芸術と経済の話になるから(それに離婚問題も)、別の映画になっちゃうけどね。その画家とは、ドイツのゲルハルト・リヒター。

リヒター(映画ではクルト・バーナート)は1932年ドレスデン生まれ。この時代と場所だけで、もう波乱に富んだ物語が予想される。最初は、ドレスデンに巡回してきた「退廃芸術展」を、クルトが若い叔母に連れられて見に行く場面から始まる。オットー・ディクスの失われた作品《傷痍軍人》も映されるが、精巧に描き直した模写だそうだ。「退廃芸術展」は見せしめとして開かれたものの、その思惑とは裏腹に前衛芸術を見る最後の機会として訪れる人も多く、叔母もその1人だった。クルトはこの感性豊かな叔母に感化されるが、次第に叔母の「自由」がエスカレートして奇矯な行動をとり始め、強制的に入院。精神病と判断された彼女は、ナチスの政策によってガス室に送られてしまう。

戦後、ドレスデンは東ドイツ領となり、クルトは美術学校に入学。そこでエリーと出会い、恋に落ちる。彼女の父ゼーバントは、叔母を死に追いやったナチス親衛隊の医師だったが、誰も知るよしもない。ゼーバントは2人の交際を認めず、妊娠した娘の子を堕してしまう。リヒターの義父がナチス親衛隊だったことは本当かもしれないが、あとはつくり話だろう。クルトはプロパガンダ用の看板描きや壁画制作に才能を発揮するものの、社会主義リアリズムに疑問を持ち、自由な表現を求めて妻とともに西側へ亡命。ベルリンの壁が築かれる直前だった。

クルトはデュッセルドルフの美術学校に再入学し、自由な表現に触れる。キャンバスに切れ目を入れたり、ひたすら釘を打ち付けたりする前衛作品は、かなり戯画的に描かれていて笑える。とりわけフェルト帽にフィッシングベストを着けた議論好きの教授には吹き出してしまった。この教授から「君の作品が見たい」と言われ、前衛表現を試みたものの「これは君じゃない。君は誰だ?」と問われ、悩み抜いた末、新聞に出ていた逮捕されたナチス残党の男の写真を模写。同じく西側に逃れていたゼーバントがたずねてきて、この絵を見て取り乱してしまう。男はナチス時代の元上司だったのだ。クルトは初個展を成功させ、かつて叔母がやっていたように、何台ものバスのクラクションを一身に浴びるシーンで終わる。

映画は以上のように、戦前のナチス時代、戦後の東ドイツ時代、亡命後の西ドイツ時代の3部に分かれるが、すべてに登場するのはクルトとゼーバントだけ。しかもクルトは少年時代とそのあとで役者が変わるが、ゼーバントのみ冷徹な表情のセバスチャン・コッホが通しで演じている。クルトの背後に黒い影のようにつきまとって離れないこの男こそ、リヒターの前半生を翻弄した時代そのものを象徴しているのだろう。影の主役と言うべきか。その影を祓ったのが、デビュー作のフォト・ペインティングだったというわけだ。というと重苦しそうな映画に思われるかもしれないが、退廃芸術や社会主義リアリズムや前衛芸術など、いまでは新鮮に感じられる美術ネタも多く、意外なことに濡れ場も随所に差し挟まれているので、いろんな意味で楽しめる映画になっている。


公式サイト:https://www.neverlookaway-movie.jp/

2020/06/30(火)(村田真)

2020年08月01日号の
artscapeレビュー