artscapeレビュー
2013年05月01日号のレビュー/プレビュー
田附勝 写真展「東北」
会期:2013/04/06~2013/04/21
FOIL GALLERY[京都府]
第37回木村伊兵衛写真賞を受賞した「東北」の作品群に、昨年11月に岩手県釜石市で東日本大震災後初めて行なわれた鹿猟を題材にした「その血はまだ赤いのか」を加えた約40点で構成。「東北」は東北の習俗から滲み出る土俗性やアニミズム的パワーが濃密に感じられる作品だが、対象を真正面から見据えた静的な構図が多い。それに対し「その血は~」は狩猟の現場を捉えており、臨場感や時間の推移を意識しているように思われた。東日本大震災以後、同じ場所で同じものを撮っても以前と同じではいられないのだとしたら、田附の東北への関心は今後どこに向かうのだろう。そんなことを考えながら作品を見た。
2013/04/09(火)(小吹隆文)
五十嵐英之 Live with Drawing~多角的な視点から~
会期:2013/04/06~2013/05/02
自閉症の少年との間で20年にわたって続けられたドローイングによるコミュニケーションの作品と資料、中西夏之とのコラボレーション、そして自身の新作絵画を出品。点数と展示面積から言えば、自閉症の少年との作品・資料がメインを占めていた。五十嵐の個展はこれまでに何度か見たことがあるが、これほど多様な活動を行なっていたとは。日頃ギャラリーや美術館で見ているアーティストの仕事が、実はその人の一部にすぎないという事実を改めて思い知った。
2013/04/09(火)(小吹隆文)
アニメーション美術監督 小林七郎 展 空気を描く美術
会期:2012/12/19~2013/04/14
杉並アニメーションミュージアム[東京都]
アニメーション美術監督の小林七郎の展覧会。『ガンバの冒険』や『ルパン三世カリオストロの城』、『あしたのジョー2』などで知られる日本随一の美術監督で、鬼才・出﨑統と組みながら数々の名作を制作するとともに、男鹿和雄や小倉宏昌、大野広司といった後進の美術監督を育成した。現在は、自身が代表を務めた小林プロダクションを解散し、画家として制作活動に勤しんでいる。
本展は、アニメーション美術監督としての小林の仕事の全貌に迫る好企画。『ガンバの冒険』や『あしたのジョー2』、『少女革命ウテナ』などの背景画をはじめ、数々のスケッチ、そして実際のアニメーション映像が展示された。幻想的な城塞がひときわ印象的な『カリオストロの城』が展示に含まれていなかったのが残念だったが、それでも小林の筆力を存分に堪能できる展示になっていた。
なかでも本展の白眉と言えるのが、映像絵本として見せられた《赤いろうそくと人魚》である。童話作家の小川未明が1921年に発表した童話をもとに小林が新たに描き下ろしたアニメーションで、老夫婦のもとで育てられた人魚の娘の成長を描く悲劇だ。人間社会に希望を見出した母によって老夫婦に預けられたにもかかわらず、当の老夫婦によって裏切られる娘の心情が痛いほど伝わってくる。それは、ひとえにそのような悲劇を物語るに足る一貫して重厚な作画と、悲劇をよりいっそう効果的に物語る演出に由来するのだろう。
通常、アニメーションにおいてはキャラクターの絵柄と背景のそれは異なっていることが多い。前者が明るく平坦に描かれる反面、後者は筆跡を残した絵としてそれぞれ分離されて描写されるのだ。だが、小林による《赤いろうそくと人魚》では、そうした主従関係が相対化され、背景を描くタッチで登場人物も描写しているのである。従属的な立場に甘んじていた背景画が、前面にせり出し、ついに登場人物のシルエットを呑み込んでしまった。思わずそのように形容したくなるほど、物語は統一的に描写されているのだ。これは美術監督の逆襲なのだろうか。いや、むしろ「絵が動く」というアニメーションの原点に立ち返ったということなのかもしれない。
演出に関しては、象徴的なシーンがある。ある晩、老夫婦の家を訪ねてきた人物が戸を叩き、老夫婦はそれを戸内から見やるというシーンで、小林は暗闇の中で縦方向に走る光の筋を、戸を叩く効果音とともに二度描くだけで、それを表現した。一抹の不安に怯える老夫婦の心情に思わず共感を寄せてしまう。戸外の人物が描かれているわけではないが、それが老夫婦によって香具師に売り飛ばされた娘であることは想像に難くない。けれども、あえて光と闇に極端に抽象化して描写することによって、娘と老夫婦とのあいだの、もはや埋め合わせようのない決定的な隔たりを表現したのである。
小林の作画と演出には、アニメーションの本質というより、むしろ絵を描き、それを他者に伝えるという芸の真髄が隠されているのではないだろうか。
2013/04/09(火)(福住廉)
カリフォルニア・デザイン 1930-1965──モダン・リヴィングの起源
会期:2013/03/20~2013/06/03
国立新美術館[東京都]
ミッド・センチュリーを中心に、1930年から1965年までのカリフォルニアで展開したデザインを紹介する展覧会。ロサンゼルス・カウンティ美術館で開催された「California Design, 1930–1965: "Living in a Modern Way"」展」(2011/10/1~2013/6/3)の日本展である。展示は四つの章から構成されている。第1章「カリフォルニア・モダンの誕生」では、1920年代の人口増とともに住宅や家具への需要増加のなかから生まれたカリフォルニア独自のデザインの誕生。第2章「カリフォルニア・モダンの形成」では、第二次大戦を経て民生品に転用されるようになった新たな素材や技術とデザインとの関わりが取り上げられている。チャールズ&レイ・イームズのFRPや成形合板を使用した仕事はそのひとつの典型であろう。また、復員兵は無償で教育を受けることができたそうで、もともと美術や工芸、デザインに関わりのなかった人々が、デザイン教育を受ける機会をえることができたのも、戦後のカリフォルニア・デザインの興隆に影響している。第3章「カリフォルニア・モダンの生活」では、人々の暮らしを中心として、住宅建築や家具、玩具や水着などのデザインが取り上げられている。東海岸と比べて温和な気候のカリフォルニアでは、屋内と屋外の境界が曖昧な住宅、プール付きの住宅が建てられ、海水浴やサーフィンはスポーツウェアに独自のデザインを生み出してきた。第4章「カリフォルニア・モダンの普及」は、雑誌、新聞、映画などのメディアを通じて世界に発信されていったカリフォルニアのデザインを紹介する。
アメリカで企画された展覧会なので、日本人には文脈が分かりにくい部分もある。これを補うのが、入口で配られている小冊子である。展示は実物資料ばかりではなく、工芸家などへのインタビュー映像、同時代のCMやニュース映画を見ることができる。陶芸などの量産製品ではないオブジェを、デザインの文脈でどのように評価するのか難しい部分もあるが、展示品がいわゆるグッドデザインに偏っていない点もとてもよい。既存の可動壁を利用した会場構成は面白いが、その壁を背にした展示品も多い。広い会場なのだから、立体的なプロダクトはどの場でどの面からも見られるようにしてほしかった。
アメリカの文化はさまざまな側面から戦後日本の生活に影響を与えてきた。それにもかかわらず、日本のデザイン史においては、ヨーロッパのデザインに比べてアメリカのデザインはこれまで重視されてこなかったように思う。手元にあるデザイン史のテキストをみても、アメリカに関する記述は限定的である。まして、イームズ夫妻や一部の建築家の業績を除いては、カリフォルニアのデザインに焦点があてられることは稀であった。その意味で、今回の展覧会はとても刺激的な試みなのである。[新川徳彦]
2013/04/10(水)(SYNK)
遠藤一郎 展 ART for LIVE 生命の道
会期:2013/03/03~2013/04/14
原爆の図丸木美術館[埼玉県]
遠藤一郎の最高傑作は、やはり《愛と平和と未来のために》だと思う。この映像作品で遠藤は「行くぞー!」と雄叫びを上げながら、ただひとり、六本木ヒルズに全身で激突する行為を繰り返しているが、これはナンセンスを突き詰めることによって辛うじてわずかな意味を生み出そうとする、すぐれてコンセプチュアルなパフォーマンスだった。しかも、コンセプチュアル・アートにありがちな肉体性の欠如という弱点を、文字どおり肉体を酷使することによって見事に克服している点が、何よりすばらしい。
言うまでもなく、遠藤がそのようにして生み出したわずかな意味とは、彼が執拗に訴え続けている「未来」や「生命」、「愛」、「平和」というメッセージである。むろん、それらは字義どおりに受け取ることが難しいほどベタな言葉ではある。けれども、そのような使い古された言葉の根底にあの激烈な激突パフォーマンスを見通すとすれば、それらはたんなる愚直でストレートなメッセージではなくなるはずだ。
本展は、丸木美術館で催された遠藤一郎の回顧展。自転車で原爆ドームに向かった17歳のひとり旅を原点として、その後の表現活動の軌跡を無数の記録写真によってたどる構成である。回顧展としては堅実であるし、あの広大な空間に掲げられた「生命」という文字を描いた巨大な平面作品も見応えはある。けれども、どこかで一抹の違和感が残るのは、遠藤一郎にとっての原点のありかが、「広島」というよりやはり「六本木」なのではないかと思えてならないからだ。
あの肉体の突撃には、ナンセンスなユーモアだけでなく、切実な危機意識とやるせない悲壮感があった。それらは現在の遠藤一郎の明るく、朗らかで、ポジティヴな表現活動からは見えにくいものだが、しかし、その背面に確かに内在しているものだ。
遠藤一郎の活動範囲が被災地を含む全国へ拡大すればするほど、そのダイレクトなメッセージが人びとに伝播すればするほど、まるで反射作用のように、その原点のありかが逆に問い直されるに違いない。もしかしたら、新たな原点をつくりだすことが必要なのではないか。
2013/04/10(水)(福住廉)